note.21 化け物、降臨

「あ、先生」


 しょげかえっていた玉井くんが、真っ赤な目で振り返った。


「陸……ったく、心配させやがって」

「すいません……」


 尊敬する師匠の顔を見て安堵したんだろう、玉井くんはまた瞼の防波堤を決壊させた。大粒の涙がいくつも地面に落ちて、アスファルトに跳ね返る。


「もういいよ。そんなに泣くこたぁない」


 村石は、泣きじゃくる玉井くんの肩を軽く抱いた。その大きな手で。


「――お嬢さん。こんな事情で、迷惑かけちゃってごめんね」

「迷惑だなんて思ってません。だって事故ですから」


「いや。ほんと、申し訳ない。このとおり」

「いえいえ。そんなこと、しないでください!」


 発表会のときと同じように、村石は深々と頭を下げた。美里はなんとか止めようとしたけど、なかなか姿勢を戻してはくれなかった。


「こないだ、お嬢さんが陸にこの話をもってきてくれたとき、絶対に受けろとハッパかけたのは俺だった。つまり、俺にも責任がある」


「……」


「というわけで、今回こんなことになってトラを探そうと、陸と同じぐらい叩けるタイコを何人か当たったんだよ。うちの講師連中とか、元生徒でプロになってる奴とかね……。ところが、どいつもこいつも都合が悪くてさ」


「はい……」


「残るは、最後の手段」


「……?」


 村石は自分の顔を指差して言う。


「俺、ちょっとならタイコ叩けるんだけどさ……」

「え……!?」


「こんな56歳のおっさんじゃ、ダメかな?」

「……ホントですか!? おっさんとか、そんなこと関係ないです! 村石さんが叩いてくれるなら、Bloodyのふたりも絶対に喜んでくれます!」


「とはいっても、お嬢さんは俺のドラムを聴いたことなくて心配じゃない? オーディション受けたわけでもないし」

「いえ。そんな……村石さんみたいな化けも……じゃなくて、すごい先生にオーディションなんて失礼なこと、とんでもないです!」


「いや。俺からの希望として、ちょっとだけでも聴いてほしい。場所を用意しといたから、一緒に来てくれる?」

「はい、どこでも行きます!」


 ハチ公前から5分ほど歩いて着いたのは、大きな楽器店だった。


「ここは打楽器をやる人たちに有名な専門店でね……。店長は昔、俺の生徒だったのよ」


 店に入ると、その店長がすぐに出てきた。


「村石先生、お待ちしておりました! 試奏室も空けてありますので、ごゆっくりなさっていってください」

「突然、すまんな。遠慮なく使わせてもらうよ」


 大量のドラムやシンバルが陳列された店内の一番奥に、重いドアで仕切られた防音の試奏室があり、1台のドラムセットが置いてあった。村石はすぐ椅子に座って、スネアやタムを軽く叩いてチューニングを確かめた。


「うん、いい感じにセッティングしてあるな。さすが」

「ありがとうございます!」


 村石にホメられて、店長は表情をほころばせた。大先生が来ることになって、店長は慌ててセッティングをチェックしてたんだろうと美里は思った。


「でさ……このiPod、どうにかして音出せる?」

「出せます。少々お待ちを……」


 店長が村石のiPodをアンプにつなぐと、PAスピーカーからBloodyの曲が流れた。いつもライブのラストで演奏される、『夜よ、いつまでも』だ。


 村石は間髪を置かず、再生に合わせてドラムを叩き始めた。


 ――こ……これは……これは……


 軽く叩いてるだけなのに、大音量で刻まれるビート。ほかのどのドラマーよりクッキリと明確な、「イチ・ニ・サン・シ」という4拍子の波。大空がコンピューターで作り上げたリズムもすごいけど、それとはまた別の世界が広がった。


 曲がツーコーラス目に進むと、村石はグッとアクセルを踏み込む。室内にビートが響き渡り、曲全体のイメージもガラッと変わった。


 ――か……雷っっ!!!!


 まるで雷鳴だった。

 猛り狂い、稲妻を伴って轟く雷鳴だ。


「よし。いったん止めてくれ」


 最後まで叩いたところで、村石は店長に指示してiPodを止めた。


「お嬢さん。わかってくれたと思うけど、ワンコーラス目は小手調べ。ま、いってみれば小さいホール向けの叩き方ね……。ツーコーラス目からは、武道館みたいなデカいとこを想定した感じでやってみた」


 ドラムとは、そんなことまで考えて叩く楽器なのか……。


 美里は、村石が自分のプレーを説明しながら、遠回しにアドバイスもしてくれてると感じた。――ホールの大きさを考えてベースの音量を決めろ、と。


「で、今のはCDに吹き込んであるとおりのフレーズとタイミングを、まるっきり再現した叩き方ね」


「はい」


「次は、もし俺が武道館でやらせてもらえるとしたら、こんな感じに叩いてみたらどうかな、と思ってるパターン」


「はい」


「――の、その1をやってみる。アクセントを少し強調して、いくつか小技も入れて手数を増やすよ」


「お願いします!」


 それから村石は、3曲続けて「その1」を披露してくれた。それは、美里の予想をはるかに上回る次元にあった。


 もちろん、Bloodyの原曲のイメージはまったく壊れていない。でも、新たなスパイスがいくつも加えられて多彩になり、スピード感も増加していた。


 ――やっぱり、化け物……。


「――どう?」


 演奏を終えて、村石が聞いた。


「魂……です。魂のこもった演奏でした……」


 半ば放心状態で言葉を絞り出すと、村石はにっこりと微笑んだ。


 玉井くんのドラムが剣だとすると、村石のそれは剣と斧の両方を合わせもっていた。ときには剣で身軽に立ち回り、ときには斧で巨木を切り裂くのだ。


「俺、Bloodyの名前はもちろん知ってたけど、正直ちゃんと聴いたことはなかったんだよ。でも昨日、陸からSOSをもらって真剣に聴いてみたら、あんまり素晴らしいんで惚れちゃってさ……」


 額を汗で光らせて照れた表情が、子どもみたいに可愛く見えた。


「――で、俺のドラマーごころが久しぶりにムクムクと首をもたげてきてね。可愛い弟子のピンチも救ってやりたいし……。そうなると、24日の武道館は自分でやりたくなっちゃってさ」


 この言葉に、美里より早く反応したのは店長だった。


「え!? 村石先生が復帰されるんですかっ!?」

「復帰って……お前さ、俺は別に引退したわけじゃないし」


「でも、最後に人前で叩いてから10年か……それ以上じゃないですか?」

「どうかなあ……15年……いや、20年ぐらいかな」


「それなら、立派な復帰ですよ! 私もぜひ聴きたいですもん」

「それがお前、今回は人気者のBloodyだからなあ……ねえお嬢さん、チケットはもう完売なんでしょ?」


「だと思います。私も毎回、抽選に外れ続けましたから」

「……ほらな?」


 そう言われて、店長は本気で悔しがった。


「で、お嬢さん」

「はい?」


「どうかな? 6月24日、俺でいい?」

「もちろんです! よろしくお願いします!」


「ありがとう。こちらこそ、よろしく頼みます」

「はい!」


「……ま、平均年齢上げちゃって申し訳ないけど」

「そんなの大丈夫です! ギターの土屋さんという方も50代ですから」


 すると、村石は顔色を変えた。悪いほうじゃなく、いいほうの変え方で。


「ん……土屋? 下の名前は?」

「剛さんです」


「え! 土屋剛がギター弾くの!?」

「……ご存じなんですか?」


「ああ。若い頃、何度か対バンもやったことあるよ。ものすごくカッコいいギターを弾く男で、当時は北島きたじまって奴と日本のロックギタリストの2トップなんてうたわれてたんだ。でも、土屋はつまんないバンドやらされててさあ……あいつのギターはすごいのに周りが全員ヘタクソで、カワイソーなぐらいだった」


 ――やっぱり、ボタンのかけ違い。でも、このBloodyのバンドには、土屋さんというボタンが入る穴がある。


 それに――


 土屋さんと村石さんという超ベテランのふたりが加わってくれたことで、経験のないレイと自分がどれだけ安心できることか……。


 美里は内心、ひと息つくことができていた。


 でも、その一方で新たなアイデアが浮上してしまっていて……。


「村石さん。ひとつだけ、ワガママなお願いをしてもいいでしょうか?」

「何だい?」


「パーカッションの乾月影さん。もし都合がつくようでしたら、彼女も一緒に誘ってほしいんです」

「おお、それはいい! あの子が入れば、すごいグルーブが出るぜ」


 メンバーにパーカッショニストを加えていいかどうかは、大空に相談してOKをもらってある。


「はい。私、発表会で乾さんの演奏を見てから、ずーっと考えてたんです。アクセントのつけ方が絶妙だし、ラテン音楽の打楽器とは別の世界が広がってて……Bloodyみたいなロックに加わっても、すごい化学変化が起きると思うんです」


「そうそう。あの子は何やらせてもオシャレに仕上げてくるんだよ」

「曲によっては、ツインドラムでやればいいですし」


「おお、ツインドラムはいいぞ。ひとりで叩いてるのとはまったく別世界で、豊かなサウンドになる」

「はい」


「よし。そういうことなら、さっそく連絡してみよう」


 そして乾月影はすぐにつかまり、大急ぎで渋谷に来てくれた。


「さっき村石のオヤジに電話もらってから、興奮が止まらなくてさ! Bloodyとやれるなんて、サイッコーのサイコーじゃん!」


 乾さんは、体の周りに「イキイキ」という名のオーラをまとっていて、どんなことも本当に楽しそうに話す人だった。


 その乾月影と、村石と、ミリ。3人で喫茶店に入った。玉井くんは、先に帰っていた。


「で、美里ちゃんはこないだの猪俣流の発表会んときに、私のプレーを見てくれてたわけね? うっれしいなぁー!」


 身振り手振りが大きくて、声も大きい。彼女がひとりいるだけで、半径20メートルぐらいの範囲が明るくなるようだった。


「はい。あのときは、なんていうか……乾さんのパーカッションが、あのバンドをと思いました。サイコーの形に」


「美里ちゃん、私ってそんな立派なもんじゃないけどさ――」


 そう言うと、乾さんはちょうど運ばれてきたバナナパフェのてっぺんにあるチェリーを指でつまんで外した。


「パーカッションって、このチェリーみたいなもんなんだよね。このパフェの主役は、あくまでバナナ。チェリーなんて、あってもなくても何も変わりゃしない。でもね――」


 今度は、チェリーを元の場所に戻す。アイスクリームの白やバナナの黄色のなかに戻った赤が、「そこにあるべきもの」に見えた。


「自己主張はそれなりに強いんだ。私はいつも、そんな気持ちでパーカッションを叩いてるの。あくまでバナナである歌を引き立てながら、一生懸命にアピールしてね……。だからこそ、こんなヘンテコリンな芸名を名乗ってるんだけど」


 そう言って笑う乾月影に、美里は24日の出演を正式にオファーした。


 そして、彼女と握手した。


 彼女が入ることで、Bloodyの音楽に新たな彩をつけられる――。そう思っただけで、興奮して鳥肌が立った。


 武道館まで、あと9日!

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