note.17 ミリ、コナンになる

 周りのメンバーが全員、驚いたような顔をした。


「すごいねえ……」


 美里は、つぶやいたベーシストに目をやって聞く。


「違います……か?」

「いや、まるっきり正解ですよ。確かに、土屋の本職はギターです」


「やっぱり」

「僕、こいつと高校が同じで、一緒にバンドもやってたんですよ。当時からバカテクで有名でねえ……はっきり言って、そのへんのプロよりはるかに上だった」


 それからベーシストは、いくつか昔話をしてくれた。今日のバンドメンバーはみんな地元の出身で、高校時代に知り合った30年来の友人たちで――


 話がひとしきり続いた後で、土屋が口を開く。


「妹さん。俺がギターだって、どうしてわかったんです?」


 不思議そうな表情だった。


 ――ということは、きちんと説明する必要がある。義務もある。


「さっきの演奏中、土屋さんは何度もスティックを持ち替えてました。本職のドラマーなら、普通そんなことしません。それに、土屋さんは右手の手首はすごく柔らかく動くのに、左手の動きは硬くてぎこちない……。これも、長年やってる本職のドラマーならあり得ません」


「う……うん」


「右手の手首が柔らかくて左手が硬いのは――もちろん右利きの場合ですけど――ギタリストの特徴です。それで想像したのが、演奏中に右手をレギュラーグリップで持つなんていう変則的なことをしたのは、ギタリストが右手のトレーニングをしてるんじゃないか……という仮説でした。スティックの重みを負荷にした筋トレというか、右手のストローク練習。でも、あまり長時間やると今度は腱鞘炎とかが怖いから、1曲ごとに持ち方を変えて手首を休ませた……」


「うへぇ……これは降参するしかないなあ。全部、そのとおりですよ」


 土屋は言った。ちょっと呆れ顔で。


「妹さん、なんかコナンみたいじゃない?」


 ベーシストは、もっと呆れ顔だった。


「さっき、土屋さんと両手で握手したときにも確かめました。左手の指先にはタコがあるのに、右手にはありませんでした。それでベーシストの可能性は消えて、ギタリストに絞れました」


「やっぱりコナンだ。娘が大好きなんですよ」


 ベーシストは笑って、ギタリストがドラムを叩くことになった事情を教えてくれる。


「僕たちはいつも、このへんのホテルとかクラブで仕事してるんだけど、今日はメンバーのタイコがひどい風邪をひいちゃいましてね。それで代理を探したけど急だから誰も見つからなくて、最後の最後の手段で土屋に頼んだんですよ。こいつ、ギターのくせしてタイコもかなり叩けますからね……。でも、こんな簡単に見破られるとは思わなかったなあ……しかも、新婦の妹さんに」


 美里はギタリストに聞く。


「あの、ちょっとギターをお借りしてもいいですか?」


「どうぞどうぞ。ていうか君、まさかギターも弾けるの?」

「そうじゃないんです。土屋さんのギターが聴きたいんです」


「こいつのギター、ホントにとんでもないバカウマですよ? 若い頃にデビューしたこともあるプロだから、当たり前っちゃ当たり前なんだけど」


 そう言うギタリストを笑顔で押しのけて、土屋がギターを抱えた。美里でも知ってるぐらい有名な、ギブソン・レスポールというモデルだった。


「じゃあ妹さん。なに弾く?」

「セッションの王道で、ブルースでも」

「うん。じゃ、キーも王道のAで」

「オッケーです」


「待て待て。それなら俺、タイコやるわ。8ビートぐらい刻めるから」


 ベーシストがドラムの椅子に座り、スティックでカウントを出す。ピアニストも加わって、すぐに即席バンドのセッションが始まった。


 ――でも、聴きたいのは土屋のギターだけ。


 そして、そのギターは美里の予想をはるかに上回る迫力と完成度だった。アドリブのフレーズはどこまでも独創的だし、バッキングのリズムもタイミングもすべて完璧。微妙なチョーキングとビブラートで歌い上げる音世界はさまざまに表情を変えて躍動し、ときには悲しげにすすり泣いた。アドリブなのに、まるで作曲されたメロディーみたいな整合性も見事だった。


 そして、セッション終了――。


「土屋さん、すごかったです!」

「そう? そりゃうれしいな」


 ドラムを叩いてるときとは、まったく違う表情。

 土屋は、ギターを愛していた。

 音楽を愛していた。

 そして、全身で楽しんでいた。


「だって、綺麗なフレーズばっかりだったじゃないですか!」

「いやいや……君のベースにゃ勝てないよ」


 土屋がホメてくれる。美里は手を左右に振ってその言葉を否定しつつ、心のなかで次の言葉を準備していた。


 ――さあ、ここからが本題!


「突然ですけど、土屋さんはBloodyの曲って聴いたことありますか?」


「もちろん、あるよ。彼ら、すごくいいよね。これまでの日本にはなかった、ホントにいいロックをやってると思う」

「ですよね!」


「ギタリストの目線でいうとさ……彼らの曲のギターって、歌のバッキングでただコードでジャカジャカやるんじゃなくて、何か必ずがあったりして楽しいんだよ。ああいうアレンジって、なかなかないんだ。特に、日本の音楽だとね」


「普通に聴いてたら聞こえないぐらいの小さい音も、いっぱい入ってますもんね」

「そうそう! ……って、君はやっぱりいい耳してるねえ」


 ――だって、レコーディングの現場を見せてもらったし。


 大地はあのとき、ギターを何本も持ち替えながら10回以上ものダビングを繰り返した。「どうせ聞こえないような小さな音にこそ、音楽の神様が微笑んでくれるんだ」と言って……。


「これとか……俺、好きだよ」


 土屋がギターをつまびく。――Bloodyの『予言者の憂鬱』。


「この曲にはまず、こういう主旋律があって……」


 6本の弦で、メリハリのある美しいメロディーが紡がれる。それを土屋は、自分の手元を見ないでサラッと弾いた。


「これに対して、後ろでAとBの2種類のギターが鳴ってて、Aがこうで……Bはこういうので……それらはツーコーラス目には別のCとDに発展する。こんなの、ズルいぐらいカッコいいよね」


 ギターを弾きながら解説する土屋は無邪気で、何より楽しそうだった。ずっと緊張しまくりの花婿よりも幸せそうに見えた。


 美里はもう、心を決めていた。


 ――この人しかいない。


「ギタリストの立場を離れて、として聴いても素晴らしいよ。凝りまくったアレンジを取っ払ってメロディーだけ抜き出してみるとさ……たとえば、この曲とか」


 土屋はメロディーを奏でる。


 ――『Fearless』。


「この曲とかも……」


 ――『今日ではなく明日の夜に眠れ』。


「全部、見事なぐらいに美しい旋律ばっかりなんだよね……。複雑な転調をしてる曲も多いのに、そんなこと感じさせないぐらいにナチュラルでさ」


「ですよね!」


「俺はもう30年近く前に一度デビューしてコケた半端者のプロだけど……一応はミュージシャンの端くれとして、こういう音楽がヒットチャートの一番上に載ってるのは、日本の音楽業界にとって革命的なことだと思う」


 ――そのとおり!


 美里は確信した。


 ――この人となら、「家族」になれる!


 ――絶対、なりたい!


「土屋さん! 来月の24日、予定は空いてませんか?」

「24日? どうして?」

「私、その日のBloodyの武道館ライブでベースを弾くんです」

「おお、そりゃすごい。……ていうか妹さん、プロだったの? どうりで、うまいはずだ」


「いえ。プロじゃなくて学生なんですけど、1日だけ弾くことになってて……それで今、一緒にやってくれるミュージシャンを探してるんです」

「……え?」


「土屋さん。よかったら、ギターを弾いてくれませんか?」

「お……俺? マジで?」

「はい。思いっ切りマジです!」


 美里はワクワクしてたまらなかった。これだけテクがあって、心もあるギタリストと出会えたことにワクワクしないなんて、無理!


 ぜーーーーったいに、無理!!!!


「お願いします! 一緒にやってください!」


 土屋は、一瞬も迷わなかった。


 ――返事は、YES。


「うぉぉぉ! 俺も、この年で武道館デビューか!」


 そして喜んでくれた。周りのミュージシャンも全員、笑顔で土屋とハイタッチして喜んでくれた。そこには、温かい仲間がいた。


 まさか、こんなところでこんなすごいギタリストに出会えるとは、美里も思っていなかった。

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