note.18 ドラムの「流儀」

「ギター、決まってよかったなあ……」


 西武池袋線・練馬駅。


 いつものように待ち合わせに遅れて現れたケンの第一声は、いつものように飄々としていた。服装も、いつものように短パン姿。ちょっとだけ違うのは、黒いニットのキャスケットを被ってるところだった。ケンにとっての「オシャレ」は、なぜか「帽子を被ること」なのだ。


「もうビックリですよ。まさか、お姉ちゃんの結婚式で見つかるなんて……」


 土屋剛さんというギタリストが武道館の出演をOKしてくれたことは、ケンとザキとレイ、つまり『Z-A』のメンバー全員には伝えてある。


「そのギタリストって、どんな人なの?」

「学生時代にやってたバンドで一度プロデビューしたけど、アルバム1枚だけで脱退したみたいです。その後は静岡に帰って、今は学習塾の先生をしながらギター教室でも教えてるって言ってました」


「……なら、現役と同じだね」

「はい。ときどきライブハウスにも出てるそうですから」

「そっか……でも、なんでバンドを脱退しちゃったんだろ?」

「レコード会社との方針の食い違いだそうです。土屋さんは純粋にハードロックがやりたかったのに、会社にヴィジュアル系を押しつけられちゃって……」


≪髪を青とか紫に染めてギター弾くのなんて、ひたすら気持ち悪いでしょ? カッコだけで中身のない音楽なんか、やる気になれなくてさ……≫


 武道館ライブへの参加が決まった後で昔話をしてくれた土屋は、眉をしかめてそう言った。美里にも、その気持ちは痛いほどわかった。音楽は人を幸せにするものなのに、最初のボタンをかけ違えたら全部がズレてしまう――。


「ともかく、これでレイの鍵盤と、その土屋さんというギターが決まった。あとはタイコだけだな。……俺、今日は頑張ってピカイチを口説くからさ」

「はい! よろしくお願いします!」


 ふたりはこれから、ケンが通っているドラムスクールの全国発表会に向かう。


 会場は、駅の目の前。入り口に『猪俣流律動教室 2016全国発表会』という大きな看板が掲げられていた。


「ケンさん。猪俣流って、どういうドラムスクールなんですか? こんな大きなホールで発表会をするなんて、すごくないですか?」


 入場すると、優に1000人以上は入れそうなほど大きなホールだった。その座席が、ほとんど隙間なく埋まっている。


「猪俣流はね――」


 ケンが説明してくれた。


 戦後間もない頃、日本でジャズの大ブームが起こった。多くのミュージシャンがしのぎを削るなか、ナンバーワンといわれた名ドラマーが猪俣譲治いのまたじょうじだった。その彼が後進の指導のためにと自宅を開放して、ドラム教室を始めたのが1970年。今では全国40ヵ所にスクールがあり、累計生徒数は10万人以上――。


「あの……猪俣さんって、すごいドラマーなんですか?」

「動画あるよ。見る?」

「はい!」


 2分ぐらいのドラムソロの動画だった。


 迫力と緊張感、そして優しさと繊細さ。リズムだけなのに、ストーリーが浮かんでくるような演奏。ひたすら、目と耳を奪われた。心も奪われた。


「これ、先生が75歳のときの演奏さ」

「すごいです……。ぜんぜんりきんでないのに、ドラムの胴が全体でドドーンって鳴り響いてる感じがしますね」


「そうなのよ。これが猪俣流の極意のひとつで、とにかくデカい音が出せる」

「大きい音を出すのも、ドラマーの技術のうちなんですか?」


「デカけりゃいいってもんでもないけどね……。手首や肘だけじゃなくて、肩の関節や肩甲骨までをうまく使うとスティックにスピードが出て、ドラムを効率よく鳴らせるわけさ。俺はまだ、そこまでのコツをつかめてないけど」


「『猪俣流』っていうと、剣道とか生け花みたいですよね」

「うちにも、級があるよ。最初は10級から始まって、1級まで」


「じゃあ、昇級試験も?」

「ある。試験に受からないと上に行けないし、1級に合格しないとプロ活動をしちゃダメっていうルールもあってさ」


「うわ、厳しいんですね……。ケンさんは何級なんですか?」

「俺? 俺は4級さ。今度、また3級を受けるけど」


 ケンはちょっとだけ悲しそうな顔をした。「また受ける」ということは、一度は落ちてるわけで……。


「1級のもっと上って、あるんですか?」

「あるよ。『師範代』っていって、そこまで行くとスクールの講師になれる」


「その上は?」

「最上位の『師範』。全国にたったひとりしかいなくて、これはなわけさ」


「たったひとり……?」

「俺の先生が言ってたけど、化け物みたいな腕前らしい」


「化け物ドラマーですか! なんか、会ってみたい気もします」

「俺もさ。今日、たぶん来てるはず……でも、顔を知らないんだけどさ」


 そこに開演ベルが鳴り、ステージに女性司会者が登場した。芯までよく通って聞きやすい、とてもキレイな声だった。


「――では、さっそく参りましょう。まずは千葉教室の講師・緑山純先生による模範演奏で、ご自身のバンド・グリーンウェイの『サンフラワー』です。どうぞ、お聞きください!」


 16ビート。長調の明るいメロディーの曲が、ギター、キーボード、ベースの3人とともに演奏される。緑山先生は派手なことを一切せず、リズムを的確に支えることを重視するタイプのドラマーだった。ハイハットのキレも抜群にいい。


「やっぱり、先生ともなるとすごいですね……」

「この先生、まだ24歳だってさ。世の中、広いね」


 呆れ顔でプログラムのプロフィール欄を指差すケンに、美里もうなずいた。


 次に登場したのは、小学生の部で優勝した6年生の女の子。ドラマー用に作られたバッキングトラックに合わせて、チック・コリアの『スペイン』を見事に叩いてみせた。タイミングの取りにくいシンコペーションのところも、いとも簡単に。


「今の子、3級って書いてありますよ。ケンさん、6年生に負けてます」

「ああ。なんくるないさぁ」


 演奏は次々と続き、4ビートジャズからヘヴィメタルまで、何人ものドラマーがさまざまなタイプのパフォーマンスをした。そして演奏が終わるたび、ケンと美里はよかったとか悪かったとか、上手だけどBloodyには合いそうにないとか講評し合った。


 前半が終わって、休憩時間。美里とケンは、ロビーに出て飲み物を買った。


「どう? 前半戦で、誰が一番よかった?」

「みんな上手だから迷いますけど、九州大会優勝の人……かな」


「ああ。なんか、難しい曲を叩いてた人ね」

「でも、もう少し光るものがあればよかったんですけど……」


「後半戦は、もっとすごい人が出るはずさ。期待しよう」

「はい、そうします」


 後半開始のベルが鳴り、ふたりはホールに戻った。すでにステージに立っていた司会者が、次の演者を紹介する。


「後半のトップバッターは、横浜教室の講師・山木秀一先生による模範演奏です。生まれついてのロックの申し子を自認なさっており、ハードな演奏を信条とされています。本日はご友人のみなさんとのバンドで演奏いただきます。曲は、オリジナルの『ハリケーン』。では、ド迫力の演奏をお楽しみください!」


 ホールに流れるPAの音量が上がったんじゃないかと思うぐらい、おなかの奥に響いてくる演奏――。重いギターリフに乗せたバロックのようなメロディーが美しく、ふたりのギタリストが交互に弾いたソロは速弾きを競うようで楽しませてくれた。それをドラムの山木先生がバスドラムの連打で煽る見せ場もあった。


「この先生、すごいなあ……。ギターの人たちもうまい」


 ケンの言葉に「はい」とは返事したものの、美里の目を釘づけにしたのはドラマーでもギタリストでもなかった。――キラキラの衣装を着た、若い女性パーカッショニスト。


 美里にとって、パーカッションという楽器から連想するのはラテンみたいな軽快な音楽しかなかった。でも、その認識は今日この瞬間、彼女によって根底から覆された。重いロックのビートに加わっても負けることなく、絶妙な深みとアクセントをリズムに加えていた。美里は思わず、スマホで動画を撮影していた。


「今の先生、気に入ったの? 撮影してたけどさ」

「はい。素敵なドラムでした」


 ドラマーの山木先生も、これまで見たなかでは最もBloodyに合いそうなスタイルのドラマーだった。年齢は33歳で、ルックスもカッコいい。でも、その隣で演奏していたパーカッショニストのほうに心を奪われている今は、ちょっと影が薄くなっちゃったけど……。


 女性パーカッショニストの名前は、いぬい月影つきかげ


 プログラムのプロフィール欄には、≪高校生の頃から横浜教室に通い、現在はプロのパーカッショニスト兼ドラマーとして活躍中≫とある。美里はバッグから赤いペンを取り出して、プログラムにある「山木秀一」と「乾月影」のふたつの名前を丸印で囲った。


 それからも、興味深い演奏が続いた。中学生ドラマーが大人のピアニストとベーシストを従えて、ゴリゴリの4ビートジャズを見事にやってのけたのは驚きだったし、神戸教室の講師が変拍子の曲ばかりをメドレーにしていたのは楽しかった。


「次、噂の子が出るよ」


 ケンがプログラムを指差す。


「噂?」


「次のたまりくくん。中学2年のときにドラムを始めて3年で1級まで行って、ついに師範代にもなっちゃった高校2年生のプロさ。――ま、天才よね」

「すごい子ですね」

「うん。猪俣流史上ナンバーワンっていわれてる」


 10万人の頂点に立つ高校生って、どんなにすごい演奏をするんだろう……?


 登場したのは、いかにも高校生っぽい細身の男の子だった。それほど長くない髪をドレッドみたいに巻いてるところがミュージシャンっぽいけど、それ以外はごく普通の高校生に見えた。


「なっ……? なにっ……!? このドラムっ!?」


 その演奏が始まった途端、美里は思わず座席から立ち上がっていた。

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