note.19 音楽界の宝

 一瞬で、心臓をつかまれた。


 ――まだ幼い顔をした、この高校生のプレーに。


「歌ってる! ドラムが……歌ってるっ!」


 バッキングトラックに合わせてリズムをキープしながら、彼はさまざまなパターンを繰り出していく。それは常に複雑な音楽的装飾アーティキュレーションで彩られ、強弱、メリハリ、疾走感と重厚感といった落差の集合体をつくり上げていた。アップテンポの曲を忙しく叩きながら、そんなことを簡単にやってのけるなんて……。


 ――神業。


「スティックが踊ってるみたい……」


 思わず、口をついていた。


 両手のスティックが空中に描く軌跡が、瑠璃色の羽根を広げて飛ぶ蝶のように見える。その軌跡は1ミリの誤差もなく、同じ形の残像を描き続ける。そのせいで、一つひとつの音が驚くほどクリアで際立っている。


 ――と、ケンが美里の手を引いて腰を下ろさせる。


「後ろの人、見えないからさ」

「……すいません」


 完全に、この高校生ドラマーに心を奪われていた。バッキングトラックにジャストタイミングで合わせたかと思えば、わざと外して遊んでみたりする無邪気な変幻自在ぶり。激しく叩いてるように見えるのに、プレーのすべてが完璧にコントロールされていた。


「ケンさん! 私、今の子に声をかけますっ!」


 興奮を抑え切れず、美里は演奏が終わるとすぐに立ち上がった。


「お、誘うか?」

「はい! 玉井陸くん、絶対ゲットしたいです!」


「彼のタイコ、イケてたもんなあ……」

「はいっ! あんなに、一つひとつの音が際立ってて、激しくて、しかも優しいなんて……ビックリして、感動ものですっ!」


「なんていうか、俺なんかから見たら別世界のスティックワークだったよ」

「軽く叩いても強く叩いても、音にものすごい深みがあるんです。これまでに出た人たちと、同じドラムセットを叩いてると思えないです」


「……やっぱ、天才だったね」

「天才ドラマーを10人まとめたぐらいの天才だと思いますっ! 玉井陸くん、サイコーにカッコいいですっ!」


「よっしゃ、俺も一緒に行くよ」

「はい、お願いします!」


 その言葉を言い終えるより前に、そしてケンが立ち上がるよりも前に、美里は走り出していた。心がはやっていた。


 でも落ち着こうとして、一瞬だけ深呼吸してからステージ袖に行くと、玉井くんはハンチングを被った中年男性と話していた。その話が終わるのを美里とケンが待っていると、男性が気づいてくれた。


「ん? 君たち、陸に何か用かい?」

「あ……はい、そうです」

「なら、こっち来て話しなよ。俺は世間話をしてるだけだからさ」


 好意に甘えて、美里は一歩前に踏み出す。


「お邪魔しちゃって、すみません」

「なんのなんの、美人はいつでも大歓迎だよ。――陸もそうだよな?」


 ハンチングの男性がからかうと、玉井くんはちょっと顔を伏せて赤らめた。高校生の男の子らしく。


「はじめまして。遠海美里といいます。今度、Bloodyの武道館ライブで弾くことになってるベーシストです」

「……玉井です。ドラム……やってます」


「それで今、その武道館で叩いてくれるドラマーを探してるんです。いきなりなんですけど……玉井さん、やってくれませんか?」

「ぶ……?」


 玉井くんは、「ぶ」だけ言って固まってしまった。それがBloodyの「ぶ」なのか武道館の「ぶ」なのかは区別がつかなかったけど。


「Bloodyの音楽は、嫌いですか? それとも武道館、ダメですか?」


 美里はたたみかけた。これまで共演を断られた何人ものミュージシャンたちが、意外なほど臆してしまったポイントに、ど真ん中の直球を投げた。口の中も唇も乾いてて喋りにくかったけど、渾身の思いをぶつけた。


「おい、陸。お前、何を迷ってるんだ? Bloodyのバックで武道館なんて、サイコーの話じゃないか。即答でイエスだろ?」


 男性にうながされて、玉井くんはやっと口を開く。人前であれだけの演奏ができるのに、性格は内気のようだった。


「あ……それ……あの……ホントですか?」

「はい、本当です。私、メンバー探しを頼まれてるんです」


「すいません……信用してないわけじゃないんです……けど」

「何か?」


「あの……僕なんかで、いいん……ですか?」

「ていうか、今の演奏を聴いて即決しました。これまで、あんなにすごいドラムを聴いたことないです」


 そこへ、ハンチングの男性が口を挟む。


「ねえ、お嬢さん。陸のドラムの、どのへんが気に入ったの?」


「何から何まで、全部です。でも、それでは答えになってないでしょうから何かひとつだけ言うと……『ドラムが歌ってること』です。まるでスティックが踊ってるみたいだったし、叩いてもらってるドラムセットも楽しそうでした。だから、一緒にやりたいな……って」


「おお! それはドラマーにとって、最大級の賛辞だよ。なあ、陸?」

「はい……うれしいです。『セットが楽しそう』って、それ……僕が一番大事にしてるとこだから」


 ――と、キラキラの衣装を着た女性が通りかかって、玉井くんに声をかける。


「おい陸ぅー。聴いたぞ、またうまくなったね! サイコー!」


 キラキラの女性――さっきのパーカッショニスト・乾月影は玉井くんに軽くハグして、すぐに別の人のところに行ってしまった。


「で、どうする陸? この話、受けるのか?」

「はい、やりたいです。Bloody、好きだし……僕でよかったら」


「で、お嬢さん。日程はどうなってるの?」


 ハンチングの男性に聞かれて、美里は予定を説明した。玉井くんはスケジュールの管理を任せてるという母親に電話して、すぐにOKをもらった。


「……僕、やれます」


 ――やっ


 ――ややややっ


 ――や……やったぁぁーーっっ!


 ――これで、キーボードとギターとドラムの全員をゲット!!


 ――ミッション・コンプリートっっ!!!!


「あ……ありがとうございますっ!!!!」


 うれしくてうれしくて、すぐに玉井くんに握手した。乾月影さんみたいにハグしそうになったけど、そこは踏みとどまった。――まだ高校生だし、はにかみ屋さんみたいだし。


「陸、いいか。武道館っていう場所は、特別中の特別だ。あそこで、自分がどういうセッティングをして、どういう音を響かせるか。Bloodyの力を借りて、自分なりの答えを見つけてこい」


「はい。もう……気合が入ってきてます」


 ここまで話したところで、美里はやっとハンチングの男性が誰なのかが気になった。玉井くんのお父さんかと思ったけど、どうも違うみたいだし……。


「あの……失礼ですけど?」

「あ、俺? これはこれは、挨拶が遅れて申し訳ない。俺は猪俣流で番頭をやってる村石むらいしといいます。よろしくね」


 その瞬間、美里の背後から不思議な音声が聞こえた。「ウェッ」と「グェッ」と「ヒィ」が三種混合になったような声を発したのは、ケンだった。


「む……村石先生!」


 ケンは目を見開いて直立不動の姿勢になり、今まで見たことないぐらいに背筋をピンと伸ばしている。つまり、ものすごく緊張していた。


「ミリ……こちらが村石力哉りきや先生だよ。さっき話した、猪俣流にひとりしかいない『師範』の先生さぁ」


 ――ばばばば、化け物ドラマー!!


「おいおい。そっちの彼はうちの生徒かな? そんな、幽霊か何かでも見たみたいな目で俺を見ないでくれよな」

「すいません。僕は池袋教室で習ってる座波という者です。村石先生のことは、池袋の清武きよたけ先生からよく聞いています。『化け物だ』って……」


「んなもん、幽霊でも化け物でもおんなじだよ。……ったく、清武の野郎。さっき、そのへんにいたから後で首でも締めてやらねぇと」


 4人は笑った。外見はちょっと怖いけど、眼差しがとても優しかった。


「ま、それはともかくとして……お嬢さん」

「はい?」


「この玉井陸は、うちの猪俣流だけじゃなくて日本の音楽界の宝なんだ。いい機会を与えてくれて、本当にありがとう。どうか、いろいろ教えてやってください」


 村石は、深々と頭を下げた。わざわざハンチングを脱いで。


「そんなそんな! 教えるなんてとんでもないです! 私は、いい演奏して音楽を楽しんで、みんなで幸せになりたいだけなんです。バンドだけじゃなく、お客さんも一緒に」

「おお。『音楽で幸せになる』って、いい言葉だね!」


 自分みたいな小娘に頭を下げるなんて、なんて謙虚な人なんだろう? 美里は村石力哉という人の心の深さに感謝しつつ、大きくて分厚い手と握手した。


         *


 Gt:土屋 剛

 Kb:三田村礼

 Dr:玉井 陸


 部屋に戻った美里は、確定したメンバーの名前を手帳に書いてみた。最後に、


 Ba:遠海美里


 と書き加える。


 玉井くんのドラムと自分のベースで、全体のビートをしっかり支える。そこに、土屋さんの華麗なギターと、レイさんの正確なキーボードが加われば……


 ――完璧!


 美里は3人のプロフィールと連絡先の一覧を作り、演奏している動画のファイルと一緒にステフにメールした。しばらくするとステフから電話がかかってきて、「急いで、みなさんに楽譜やCDを送りますね」と言われ、大空の声に代わった。


「ミリ、やったじゃん! 全員、素晴らしいよ! お疲れさん!」

「ありがとうございます! 何とか、期限内に集まりました!」


 電話を切った途端、美里はそのまま眠りに落ちていた。たぶん、達成感と脱力感が同時に襲ってきたせいだった。

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