note.15 AKATSUKI

「えぇぇーーっ!! 和田一生がダメになったって!?」


 いつもの軽音部室に、ザキの声が響いた。

 近くに置いてあったスネアドラムの響線が共鳴するぐらいのボリュームで、一緒にいたケン、レイ、美里の3人を驚かせた。


「それが、手帳の6月と7月を見間違えちゃってたみたいで……」

「うへぇ……そんなの、ありかよ……」


 ガクッと肩を落としたザキを、ケンが沖縄言葉で慰める。

「ま、勘違いはしょうがない。なんくるないさぁ」

「でも、BRACESの和田一生だぞぉ! これを逃したのはデケェよ……痛い……痛すぎる」

「そうかもしれないけど、もともと都合が合わなかったんだしさぁ」

「でもなあ……くそぉ……」


 ザキはBRACESの、というかギタリスト・和田一生のファンだったらしく、だからこそ余計に悔しがった。指を震わせ、何度も大きなため息をついていた。


「BRACESの人なら、いい音になるのは確実だったのにね……」


 レイも残念がっていた。そのレイに、ケンが聞く。


「そういえば、レイはどうするの? Bloodyのバック、やる?」

「それ……昨日、ミリに話そうと思ったんだけど、もう帰っちゃってたから」


「すいません。昨日は楽器屋さんに行ったので……」

「うん、それはザキに聞いた。だから今日、返事しようと思って」


 3人が、レイに注目した。


「レイさん!」


 なかなか答えを言わないレイに、3人はさらに注目する。


 そして、出てきた答えは――


「私、決めたよ。Bloodyの武道館……やる」


「わあ!」

「おお!」

「よし!」


 美里とザキとケンが、そろって歓声を上げた。ザキとケンはガッツポーズして、美里はレイに抱きついた。


「レイさん!」


「ごめんね。私、6月末にある別のイベントに誘われてたの。それで迷ってたんだけど、ゴールデンウィークの間もずっと考えてて……そっちは断ることにした。Bloodyと武道館なんて、一生の思い出になりそうだし……ミリも一緒だし」


「レイさん! ありがとうございます!」


 トーゼンのように、うるうるしてきて……。


「武道館で演奏するなんて、ミュージシャンの夢だもんなあ……」

「俺も一度はやってみたいよ」

 泣き虫の横で、ザキとケンも涙目でつぶやいた。


「でも私、ちゃんとしたシンセサイザーとか持ってないけど、平気?」

「はい。それは大丈夫って大空さんが言ってました!」


 レイは4歳からピアノを習っていて、高校2年のときに方向転換するまではバリバリの音大志望で、専門の先生について個人レッスンを受けていたような人だ。リズム感は抜群だし、音感もいいし、たいていの譜面は初見でスラスラと弾きこなしてしまう。


 ――つまり、ミューズの落とし子。自分とは、レベルが違う。


 彼女がキーボードを弾くなら、Bloodyのふたりも喜んでくれる!


 レイがBloodyのバックに参加すると決まって、4人は自動販売機のジュースで乾杯した。いつも飲んでるグレープフルーツジュースが、いつもの何倍もおいしかった。


         *


 部屋に戻ってシャワーを浴び、髪を乾かしているとスマホが鳴った。姉からの電話だった。


「美里。今度の土曜日のこと、まさか忘れてないよね?」

「そんなの、当たり前でしょ?」


 ――その日は、姉・づきの結婚式。


「金曜日の夜には、こっちに帰ってくる?」

「うん、そのつもり」


 実家は、静岡県沼津市にある。今も実家に住んでいて、地元で化粧品の美容部員をしている姉もBloodyの大ファンだけど、武道館のことはまだナイショにしたまま電話を切った。


         *


「ホントに? ホントにホントにホントに!?」


 金曜日の実家――。


 Bloodyの新曲でベースを弾き、メンバー集めの条件つきではあるけど武道館のライブにも出ると告げたとき、姉は跳び上がった。本当に文字どおり、その場で何度もジャンプして喜んだ。


「ほら、これ」


 ステフが早めに送ってくれた、姉へのサプライズ。


「ん、なになに?」

「Bloodyの新曲。私がベース弾いたやつ」


「ちょっと! 早く聴かせなさいよ!」


 姉は、美里の手からイヤホンを奪い取るようにして、自分の耳に差した。美里が再生ボタンを押すと、姉はずっと目を閉じて聴いた。


「終わった。もう一回かけて」


 姉は再び目を閉じて聴いた。今度は、涙を浮かべながら。


「ホントに、このベースを美里が弾いたの?」


 3回目を聴き終えた後で、姉が聞いた。


「うん、弾いた」

「CDに名前が載ったりする?」

「かもね……。お姉ちゃんにも送るよ、CDができたら」

「なに言ってんの、ちゃんと自分で買うよ。大事な妹のデビュー曲なんだから」


「ちょうど私が一緒にいたときに大きな地震があって……大地さんが急に『今から新曲を作って、収益を被災地に全額寄付する』って言って、この曲ができたの」

「だったら、なおさら自分で買うよ」

「ちょっと切ないけど、力強い感じのメロディーでしょ?」


「タイトルは?」

「『AKATSUKI』」

「……もう一回、聴かせて」

「うん、いいよ」



 『AKATSUKI』


  燃え尽きたみたいに 声を震わせて

  瞳を濡らした 横顔

  張り裂けた心と 絶望の日々に

  僕には何が できるだろう?


  「慰めの言葉は いつも的外れ」

  誰かが言うけど 違うよ

  今はただ 疲れた羽根を休ませて

  そっと眠って いればいい


  嘆きの月に 抱かれても

  君は君だよ もう泣かないで

  どんなに夜が 深くても

  必ず朝は やって来るから


  AKATSUKI 東の空に

  君を 照らし続ける

  AKATSUKI ささやかだけど

  僕は 照らし続ける



「優しい歌だね。これは、どっちの声なんだろ?」

「リードボーカル? 大地さんだよ」


 双子だから声もそっくりだけど、大地と大空では歌い方が少し違う。どちらかといえば大地の声は少しドスが効いていて、大空のほうはのびやかに聞こえる。


「Bloodyのこと、私に教えてくれたのは美里だったよね……」

「うん」


 それは4年前のこと――。


 2歳上の姉は、高校3年の夏に体調をひどく崩した。起立性調節障害という病気で、それは自律神経の乱れによって起きるものだった。


 普通なら、朝は興奮物質であるアドレナリンを分泌して活動的になり、夜は沈静物質であるノルアドレナリンを分泌して休息に向かうのが人体だけれど、それが逆転してしまう病気。そのため姉は、朝起きることができず、夜は眠れなくなった。


 当然、学校も休みがちになった。受診した内科では「ストレス性のものだろう」と言われただけで、真実は見抜いてくれなかった。


 毎日、朝方まで起きていて学校を休み、昼頃まで延々と眠り続ける姉を見て、最初のうちは両親もただ心配するばかりだった。でも、何度も担任教師の電話や家庭訪問が続くうち、「不登校」や「サボリ」という見方に揺れ動くようになってしまった。そのとき、姉の学校は荒れ気味だったし、いじめを受けた子どもの自殺が相次いでニュースになっていた。


 それから遠海家は混乱し、迷走し、崩壊寸前になった。


 毎日のように咎められる姉は両親に罵声を浴びせるようになり、手当たり次第にものを投げて荒れ狂った。学校の校医には精神科の受診を勧められたけど、本人は頑として拒み続けた。結局、姉は部屋に鍵をかけて閉じこもり、一歩も出なくなった。両親からも会話と笑顔が消え、美里にはどうしていいかわからなかった。


 そんな日が2ヵ月ほど続いたある夜、姉は美里の部屋をノックした。ろくに食事をしてないせいで頬がこけ、憔悴しきった姿で。


「美里が最近よく聴いてる歌って、なに?」

「Bloodyの『dreams』っていう曲だよ」

「かけて」

「うん」


 最初はCDプレーヤーで再生した。曲が終わると、姉は今日と同じように「もう一回」とリクエストして、「次はヘッドホンで聴きたい」と言った。そして、最後まで目を閉じて聴いた。


「いい声……。これは自分でハモってるの?」

「じゃなくて、双子なの。日本人とイギリス人のハーフ」

「歌詞がいいね。『ひとりじゃない』とか『翼を広げる』とかばっかりの、よくあるJ-POPとは違ってて」

「うん」

「これ、ちょっと貸してくれる?」

「いいよ」


 その翌日の夜、姉は再び美里の部屋に来た。


「いろいろ検索してみたら、私のこれは病気みたいなの。10代に多いのに、まだあんまり知られてなくて、ちゃんと診断できるお医者さんが少ないんだって」

「……そうなの?」

「明日、ここに行ってみたい。お母さんに頼んどいてくれる?」


 それは、沼津から少し離れた街にある病院の名前が書かれたメモだった。


 そして姉は起立性調節障害に詳しい医師によって確定診断を受け、治療と安静を続けて少しずつ健康を取り戻していった。しばらくして姉に笑顔が戻った頃には、家族を支配していた荒波も通りすぎていた。


「私が元気になったのは、美里が『dreams』を教えてくれたおかげだよ。あれを毎日聴いてただけで励まされたから」


 4年前の姉の言葉は、今も忘れていない。


 その姉は今、Bloodyという名の暁に包まれている。


  AKATSUKI 東の空に

  君を 照らし続ける

  AKATSUKI ささやかだけど

  僕は 照らし続ける――


「ねえ美里」


 姉の声に、美里は我に返った。4年前と同じ声だった。


「なに?」


 姉が自分を見つめていた。結婚式を明日に控えた、幸せな姉が。


「初めて、美里に『dreams』を聴かせてもらったときのこと、思い出しちゃったよ……」

「私も……」


 そこから先は、涙に閉ざされて声にならなかった。美里も、しがみついてくる姉を受け止めることしかできなかった。


 ――いつか機会があったら、この話をBloodyのふたりに伝えよう。


 美里は、心のなかで思う。


 ――4年前、あなたたちの音楽は姉を救い、家族の危機も救ってくれました。いくら感謝しても足りないぐらい感謝しています。だから私は、Bloodyには命をかけてでも恩返しをしたいんです。


 ――今度の武道館、必ず成功させます!! 絶対に!!

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