ロックンロール・ヴァンパイア

真野絡繰

第1部 Family

note.01 武道館の夜

 東京・日本武道館。


「いいかい、みんなーーーーっ!!」


 ロック・ユニット『Bloody』のライブ。

 2度目のアンコール。

 セットリストのラストを飾る曲『夜よ、いつまでも』の激しいイントロが流れる。


 1万人の熱狂――。


 荒々しくひずませた音色。無造作に弾くピッキング。あえて崩してるように見せつつ、それでいて針のあなを通すような、精緻そのもののギターリフ。


 CDでは8小節に収められているリフを延々と繰り返しながら、


「ホントに、ホントにこれで最後だからなーーっっ!!」

 兄・タウンゼントだいが限界まで声を振り絞る。


「みんな、サイコーだーーーーっ!!」

 弟・タウンゼント大空おおぞらも、ピアノの鍵盤に指を叩きつけて叫ぶ。


 大地と大空のロック・ユニット、『Bloody』。

 ふたりはイギリス人と日本人のハーフで、24歳の一卵性双生児。


「もっと騒げ! 躍れ! 跳ねろーーーっっ!」

 大地は客席への挑発を続ける。

「まだまだ! それじゃ足りねぇぞーーーっっ!!」

 1万人が呼応し、武道館全体がひとつの周波数で揺れ始める。


 観客オーディエンスが波をつくる。波は荒れ狂う怒涛になる。その波しぶきを受け取った大地がまた観客に投げ返し、ステージと客席のエネルギーがひとつに重なって舞い上がる。


 ――今だ。大地はグルーブをつかまえた。


「行くぜぇーーっ! 『夜よ、いつまでも』、聴いてくれーーーーっ!!!!」


 バックバンドのメンバー全員がアイコンタクトし、ジャストタイミングのフォルテシモで合わせる。――かと思ったら一瞬でブレイクダウンしてAメロへ。重厚かつ巧妙な、観客との極限までの駆け引きのようなアレンジ。



『夜よ、いつまでも』


  君の心のナイフが

  この闇に光ってる

  待たせたのは僕 それとも君?

  答えを探すなら 今


  窮屈すぎるドレスを

  身にまとうシンデレラ

  時計の針なら 壊したのに

  それでも迷うのは なぜ


  あの日と同じ 白い雪が舞う

  初めて指に 触れたときのように


  踊ろうよ このままで

  夜よいつまでも

  踊ろうよ 抱きしめて

  夜よいつまでも



 全力疾走する大地のギターと、音の洪水を織り上げる大空のキーボード。

 双子のどちらかがリードボーカルを取れば、もう一方がさりげないコーラスで寄り添い、たえなる調べを描き出してみせる。そこに観客がジャンプして起こした地響きと歓声が加われば、荘厳かつ壮大なロック・オペラの完成――。


  踊ろうよ このままで

  夜よいつまでも

  踊ろうよ 抱きしめて

  夜よいつまでも――


 切なくほとばしる大地のボーカルはサビで一気に盛り上がり、それを大空のハーモニーが包み込む。そして、すすり泣くような大地のギターソロ。


 会場のテンションはピークに達したまま、絶頂のエンディングを迎えた。


「ありがとーーーーっ!!」

「次も絶対に来いよーーーーっ!!」


 燃えたぎるようなライブは観客の血を集めてエネルギーを昇華させ、武道館を別世界に染めて幕を下ろした。観客の興奮はしばらく冷めやらず、大地と大空のふたりを呼ぶ歓声が永遠のうなりを上げ続ける。

 

「大地ーーーーっ!!」

「大空ーーーーっ!!」

「Bloodyーーーーっ!!」


 陶酔。

 融合。

 歓喜。

 咆哮。

 そして、途方もない狂気。


 1万人の悲鳴と共鳴を背に、大地と大空はステージを下りた。


「足りねえ……」


 楽屋への通路を歩く大地が、独り言のようにつぶやく。

「――ぜんっぜん足りねえ。もっと狂え、狂っちまえばいいんだ」


「アニキ、どうした? ラストのほう、息苦しそうだったぞ」

 スタッフから受け取ったタオルで汗を拭きながら、大空が聞く。


「――そうか?」

「それだけじゃないよ。今日は最初から何かおかしかった」

わりぃ、バレてたか」

「当たり前だろ。俺たち、双子だぞ」

「昨日……いや……おとといあたりから、このへんが何かワサワサしててな……どうもスッキリしねえんだ」

 大地は手でグーをつくり、それを胸に当ててトントンと叩いた。


「それ、先に言っといてくれよ」

「……だな、すまん」


 楽屋に着くと、大地はそのまま倒れるようにソファーに座り込み、頭からタオルを被ってうずくまる。


 その姿を見た大空は、怪訝な顔で紙コップの水をあおった。


          *


「ううう……すごい……すごかった……」


 遠海とおうみさとは、武道館の脇にある小さな階段に座り込んでいた。圧倒されていた。震えていた。涙ぐんでいた。


「感動……チョー感動……また泣いちゃった……私、泣き虫だもんね」


 これまで何度申し込んでも、何百倍の確率といわれる抽選のいたずらに負け続けて、Bloodyのプラチナチケットを手にする幸運に巡り合えていない。仕方なく、ライブ当日はこうして武道館を訪れ、会場から漏れ出てくる音に酔いしれる。


 この場外勤労、略して「外勤」ができるのが武道館の素敵なところ――。


「大地……大空……」


 周囲に人がいないのをいいことに、メソメソと泣きながら独り言。でも、それもしょうがない。これまでに聴いた音楽はたくさんあるけれど、Bloodyほどコーフンさせてくれるアーティストはほかにいない。


 唯一無二――。


 美里にとって、Bloodyはそんな存在だ。こうして「外勤」して、武道館から漏れてくる音に耳を澄ますだけでも、同じ時間と空間を共有した気持ちになれる。


「ふたりとも、本物のアーティスト。本物の天才……」


 大地と大空は、まだ24歳。20歳のときにインディーズデビューした瞬間から、日本の音楽シーンにおける神になった。大手のオファーには目もくれず、対外的には今もインディーズのまま。雑誌やテレビには一切登場せず、インタビューはすべて公式サイト経由で答えるだけで、詳しいプロフィールさえ公表されていない。


 それなのに……しかも宣伝らしい宣伝もしないのに、矢継ぎ早に発売するシングルもアルバムもすべて初登場1位になる。トップアーティストとして君臨しつつ、日本のショービジネス界の常識をくつがえした存在でもあった。


「今日はありがとう。感動をもらいました」


 美里は小さくつぶやいて武道館に向いてペコリと一礼し、かたわらに置いておいたベースのソフトケースを肩にかけた。――よいしょ、っと。


 どうしても欲しくて、バイトして貯めたお金で買ったベース。2万7000円の安物だけど、美里にとっては一番の宝物だった。ボディーの色が、絵葉書の海の色みたいなコバルトブルーだから、『青ちゃん』と呼んでいる。


「私も、こんな音楽をつくりたい……」


 大学で組んでる自分のバンドの音も、少しずつまとまってきた。次の目標は、オリジナル曲だけでワンマンライブをやること――。


 美里はBloodyとライブを共有できた感動を胸に抱いたまま、段下だんした駅に向かって歩き始めた。


 そこに突然、背後から近づいてくる足音――


「う……わっ!?」


 抵抗する間もなかった。黒いキャップを被ったサングラスの男がいきなり美里を突き飛ばし、青ちゃんをひったくって走っていく。


「い……っ……てっっ」


 不意を突かれたせいで倒れて、額を地面にこすった。でも即座に立ち上がり、男を追った。必死に追いかけた。


「返せーーっ! 私の青ちゃんを、返せぇぇーーっ!!」

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