note.29 武道館の夜、再び

 ――江古田駅。


 足が重い。いつもなら、テツさんの『スタジオ24』までは駅から5分もあれば歩けるのに、どれだけ歩いても到着できる気がしなかった。視界が白く濁って、頭もボンヤリしていた。踏切の音も、ずいぶん遠くから聞こえてるみたいだった。


 今の自分を誰かが漫画に描いたら、「トボトボ」という擬音を書き込むだろう。もしかすると、「ヨロヨロ」かもしれないけど……。


 もう、無理。

 レイさんの代わりは、見つからない。

 6月24日、私はBloodyと一緒に演奏できない――。


 土屋剛さん

 村石力哉さん

 乾月影さん


 ごめんなさい。

 せっかく一緒にステージに上がれると思ってたのに

 最高の演奏ができるはずだったのに

 できなくなっちゃいました。


 大地さん

 大空さん

 そしてステフさんも

 ごめんなさい……。


『スタジオ24』へ下りる階段が、いつもより暗くて歩きにくかった。


         *


「お、ミリちゃん。来たね、待ってたよ!」

「テツさん、すいません。遅くなりました」


「さっそくだけど、これは俺からのプレゼント。そろそろBloodyのライブが近いから、ベースの弦! せっかくの武道館なんだから、ピッカピカの新品の弦で弾いてほし……って、どうしたの? なんだか元気ないね」

「私もテツさんに、これを……」


 6月24日のチケット。「友達を呼ぶのに使ってね」と、ステフが送ってくれたものだった。


「おおっ! 武道館の招待チケット! 俺、一度でいいから関係者席っていうところに座ってみたかったんだよ!」

「もう、この1枚しかなくて……すいません」


 メンバー探しを手伝ってくれたザキとケン、骨折しちゃった天才ドラマー・玉井陸くん、『Purple Haze』の桐谷さん、姉・美月と義兄の新婚夫婦……渡すべき人には全部渡して、最後に残った1枚だった。


「そんなこと構やしないよ。ミリちゃんとレイちゃんの音、この耳でしっかりと聴かせてもらうからね!」

「テツさん……それが……」


「ん? どうしたの?」


「レイさんも私も、その日……弾けなくなりました」


         *


 テレビのニュースに、美里の部屋が映っていた。


 正確には、女子大生監禁事件の現場として小笠原忠弘の部屋が映されていて、そこに美里の部屋が映り込んでいた。小笠原の部屋はブルーシートで完全に覆われ、あたりには無数の「KEEP OUT」の黄色いテープが張り巡らされている。


「まさか……レイちゃんがこんなことに……」


 テツさんがうめいた。目が怒っていた。


「指を骨折しちゃって……レイさん、弾けないから……」

「ケガ、ひどいの?」


「骨折自体は、わりと早くつながるそうです」

「不幸中の幸い、か……。それは何よりだったね」

「……はい」


 美里も、本当にそう思う。病院で見たレイの笑顔が蘇る。


「で、レイちゃんがケガしちゃったことで、Bloodyの出した課題がクリアできなくなったから、ミリちゃんもやれなくなった……ってわけ?」


「そうです。もう、あさってからリハーサルで……レイさんの代わりの人を探す時間もなくて……」


「待ってよ。ミリちゃんたちがいないんだったら、当日はBloodyのバックを誰がやるのさ?」

「私が集めてたメンバーとは別に、もうひとつのバンドが押さえてあるんです」


「あー、なるほど。念のために保険をかけてあったのか……」

「……はい」


「なあミリちゃん、そんなに落ち込むなよ。彼らは君に大きな期待を寄せて、メンバー探しを任せてくれたんだろ?」

「……だと……思います……けど」


「だったら、その期待に応えてやろうじゃないの! いよいよ、この俺……内山うちやまテツさんの出番かもしれないぜ?」

「……?」


「ちょっと、これ見て」


 テツさんはパソコンを美里に向けて、YouTubeを見せた。それはパンダの着ぐるみ姿の人が、電子オルガンで『パイレーツ・オブ・カリビアン』のテーマ曲を弾いている動画だった。


 ――見事な演奏だった。その人は1台の電子オルガンを駆使して、たったひとりでフルオーケストラの音を完璧に再現している。両手両足の4本が鍵盤とペダルの上でリズミカルに踊っていて、フィギュアスケートの複雑な振りつけみたいに見えた。


「すごいですね……情感があるし、リズムもキレッキレだし……」

「でしょ?」


「なんていう人なんですか?」

「リンリンさんっていう人。映画とかゲームのテーマ曲なんかを電子オルガンで弾いて大量にアップしてるんだけど、どれも迫力満点なのよ。こっちも聴いてみて」


 ――『スター・ウォーズ』のテーマ曲。ジョン・ウィリアムズの世界観をそのまま完璧に再現したかのような、素晴らしい演奏だった。


「ミリちゃん、覚えてるかなあ?」

「はい?」


「前に、ここで俺にBloodyのメンバー探しの話をしてくれたじゃない?」

「しました……けど?」


「そのときはまだ、レイちゃんが返答を保留してたし、俺も彼女が鍵盤をやるならそれがベストだと思ってた。だけど、その一方ではこの人が頭に浮かんでたんだよ」


「……お知り合いなんですか?」


「うん。この人、本名は坂本さかもとみちっていうの。倫理の倫の字を書いて、ミチコね。リンリンっていうハンドルネームは、その本名を音読みしてるわけ」


「……」


「で、坂本ってのは結婚した後の苗字で、旧姓は内山」

「……え?」


「もうわかったと思うけど、俺の妹なんだ」

「!」


「俺は東京の大学に通って東京で就職したんだけど、こいつはそのまま実家の群馬で暮らして地元で就職して、そこで結婚相手も見つけたのよ。そんで、俺は先週たまたま法事で群馬に帰ったときに妹に会って、ちょっとBloodyのメンバー探しの話をしたのさ」


「!?」


「そしたら……前からBloodyの大ファンで、武道館に出られるもんなら出てみたいなんて言いやがってさ」


「テツさんっっ!!」


「こいつ、子どもの頃から天才的にうまくて、中学の頃には全国レベルのコンクールでも無敵だったのよ。ところが、そのうち勝ち続けることに飽きちゃって、電子オルガンを弾くこと自体をやめちゃったんだ」


「それは……」


 ――バーンアウト。これに泣かされたミュージシャンは、信じられないほど多い。音楽に限らず、スポーツでもアートでも何でも起こりうる悲劇だけど。


「ただ、それも長い年月を経て自然と癒されて、子育てが落ち着いた頃からインストラクターの仕事をしてる。だけど、決まりきった弾き方をするのは相変わらず嫌いだから、この動画じゃいろんな掟破りをブチかましてるわけ。でも、インストラクターがそれをやっちゃおしまいってことで、着ぐるみで素性を隠してリンリンに化けてるんだ。今、ネットじゃ『電子オルガンの神』なんて呼ばれてるよ」


 電子オルガンの神。よくわかる。だって、それほどの演奏だから。


「兄貴の俺が言うのもアホ丸出しだけど、妹は音楽がよくわかってると思うし……もちろんテクもすごいし……何より、この動画は楽しいでしょ?」


「はい!」


「もちろん、Bloodyのバックをやるには十分以上の腕はある。でも、いかんせん俺の妹だからさ……群馬のアラフィフおばさんっていう点が、若い彼らと不釣り合いなんだよね……」

「年齢も群馬も関係ないですよ! ギターもドラムも50代の方ですから!!」


「……そうなの!?」

「そうですっ!」


 美里が言うと、テツさんは笑いながらスマホを取り出した。そのスマホを顔の横でゆらゆらと振りながら言う。


「妹には娘がふたりいるけど、どっちも成人してる。つまり、3日や4日ぐらい家を空けても大丈夫。旦那も、そういうことを気にしない人。――どうする? 電話していいよね?」


「はい! お願いしますっ!」


 テツさんは、すぐスマホを操作した。美里よりうれしそうな表情で。


「俺だけど……ニュース見てるか?……そうそう、女子大生の監禁事件……その被害者が、Bloodyのライブで弾くことになってた子なんだよ……ダメ。指を骨折しちゃってる……お前、助けてやってくれないか……みんな、いい子たちなんだよ……もう時間がなくてさ……今、横にベースのミリちゃんって子がいるから、直接話してみ?」


 ――リンリンこと坂本倫子さんの参加は、その場で決まった。


 通話を終えてテツさんにスマホを返すと、今度は美里のスマホが震えた。


「ニュース見たけど、レイちゃんは鍵盤の子だよね? ケガは大丈夫?」


 乾月影さんだった。その電話を切ると、村石力哉さんと土屋剛さんからも立て続けに電話があった。みんな、「6月24日の自分がどうなるか」じゃなく、「三田村礼のケガの具合はどうか」を心配してくれていた。


 それだけで、美里の心に大輪の花が咲いた。胸が熱くなった。


 ――みなさん、ありがとうございます。


 バンドは家族。


 ――私、そういうメンバーを探せました。


 大地さん

 大空さん

 ステフさん


 お待たせしました。

 6月24日には、素晴らしい家族メンバーをお連れします。

 素敵な演奏になります。


 お客さんとひとつになる、サイコーのライブができます!


         *


         *


 6月24日、日本武道館。


 流れていたBGMが消されると同時に客席の照明も落とされ、1万人のざわめきが静寂に変わった。


「さあ本番! ノリノリでいきましょう!」

「武道館をブチ壊すぐらいのイキオイでね!」


 大地と大空が交互に声を出して、メンバーに気合を入れた。


 土屋剛さん、リンリンさん、村石力哉さん、乾月影さん、それに美里。Bloodyのふたりと合わせて7人が、ステージ袖で輪になっている。


 ――あとは、開演するだけ。


 ――開演したら、突っ走るだけ。


「今日はミリのベースソロから始まるけど、緊張してる?」


 いつもの人懐っこい表情で、大空が聞いた。


 でも、返事は――


「緊張なんか、ぜんっぜん!」


 まず、美里がひとりでステージに出る。そして、1分ほどベースソロを弾く。その最初の音にシンクロして大量のクラッカーが爆発し、頭上にある4本のスポットライトも点灯される。


 ――それが、オープニングの演出。


「じゃあ、すっごいソロを弾いて、みんなを驚かせといで!」


 肩をポンと叩く大空の声に「はい!」と返事する。


「ミスしたって、絶対にビビるんじゃねぇぞ!」


 大地の叱咤にも「はい!」と返事して、美里はステージへの階段を駆け上がる。


 真っ暗なステージセンター。2代目青ちゃんを肩にかけて、白いテープで×印がつけられた立ち位置にスタンバイする。


 1万人という数字から想像していたよりもはるかに近く感じられる客席から、オーディエンスの息遣いが聞こえてくる。ステージ後方にも座席がある武道館らしく、息遣いは背後からも聞こえる。


 和田一生さん

 玉井陸くん

 そして、レイさん


 今日は、みなさんの分も弾きます!


 そう心で念じると、美里はステージ袖の舞台監督にアイコンタクトした。監督はスタッフに無線を飛ばし、親指を立てて美里に合図を戻した。


「私のアドレナリン、出てこぉぉーいっっ!!」


 すぐさま、2代目青ちゃんでカウントを出す。ジャストタイミングでクラッカーが爆音を鳴らして、ステージに火薬の匂いが広がった。


 ――Bloodyのライブ、開演。


 1万人の大歓声が、美里のベースソロを迎えた。



[ロックンロール・ヴァンパイア 第1部・完]



 最後までお読みいただいて、ありがとうございます。

 少年漫画誌の原作ということで、「真っすぐなキャラクター」が「真っすぐに突き進む物語」を書こうと思いました。Web小説でもあるので、深い描写はなるべく避けて、スピーディーな展開も意図してみました。

 第1部は、ミリとBloodyとの出会い。第2部からは、3人がさまざまな困難に立ち向かいます。大地と大空の夢、彼らにのしかかる暗雲、ステフの秘密……もろもろが進展していきます。もちろん、第1部のキャラたちも登場します。

 では、またお会いできる日まで。

 真野絡繰でした。

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ロックンロール・ヴァンパイア 真野絡繰 @Mano_Karakuri

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