note.08 Gifted
音の……お尻?
「うん。ミリは『
聞いたことのない言葉だった。
「簡単にいうと、一つひとつの音符が占有する時間のことね。2分音符なら2分音符、4分音符なら4分音符それぞれの長さがあって、それが鳴る時間はテンポによって決定づけられている。――ここまではいい?」
美里は目でうなずく。
「たとえば、ある4分音符をブンブンブンブン……と長めに弾くか、ブッブッブッブッ……と跳ねるように弾くか。両者の音価は同じだけど、ニュアンスがまったく違うことになる。で、問題はそのニュアンスなんだけど――」
「……はい」
「ミリの弾き方は、それがそろってないのさ」
大空は、美里のベースを再生しながら説明してくれる。
「たとえば、ここ。1回目はこう弾いてる」
――再生。
「で、2回目はこう」
――再生。
「……あ」
1回目と、明らかに違っていた。
「ここの、ドーン、タリララーっていうフレーズの最初の2分音符。1回目は長めに弾いてるのに2回目は少し短め、スタッカートっぽく弾いてるよね?」
気にしてなかった。同じイメージで弾いてたのに……。
「これじゃ、ダメですね……」
「絶対にそろってなきゃダメ、ってこともないけどね。ここまで違っちゃってると、ちょっとアウト。これはゆっくりした曲だから、余計に目立つ」
「わかりました」
「それと、ベースの
「あの……弦高……って、何ですか」
「おいおい」
「おいおい」
本日、何回目かの双子の見事なハモり……。
大地が「弦高っていうのは、ボディから弦までの空間の距離のこと。これが近すぎると、弾いたときに弦が余計なフレットに当たって、キャンキャンしたノイズが出るんだ」と言いながら、レンチで調整してくれた。
「これで、少しはよくなるはず。弾いてみて、違和感ない?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「じゃ、最初からもう一回録ってみよう」
「はい」
それから美里は、大地と大空の猛特訓を受けながらベースを弾き続けた。バッキングの部分を録り終えると、次にフレーズを録った。それは大地の見本どおりに弾くことができて、1回でOKをもらえた。
「よし、これで決まり!」
「うん。うまいもんだよ……」
これまでの人生で味わったことがないほどの達成感。OKをもらえたことで、一気に緊張がほどけた。
――私、Bloodyの新曲でベースを弾いたんだ! それも、Bloodyがプレゼントしてくれたベースで!!
それから3時間。
大地は何本ものギターを持ち替えながらいくつものトラックを重ね、大空は自分のプレイをしながらミキシングも並行していく。どちらかが迷ったときにはふたりで相談するけど、相談はたいてい一瞬で決着した。
――今、どうしてギターを替えたんですか?
――ディレイとリバーブって、何が違うんですか?
――コンプレッサーって何ですか?
――ラインクリシェって何ですか?
――何ですか、何ですか、何ですか?
質問攻めにしたかった。でも、曲作りの邪魔になっちゃいけないから、喉まで出かかった言葉を全部飲み込んだ。
新曲は、あっという間に完成に近づいた。あとは、歌詞ができればボーカル録りをして、音入れは終了。それをトラックダウンして加工すれば――
完成。
美里の体感では、ほぼ一瞬の出来事だった。
「じゃあ、今日のところはこのへんにしとこうか」
ここまでの成果を再生しながら、大空が満足そうに言う。
ギター、ピアノ、ベースが互いを追いかけるように絡むイントロ。少しずつ盛り上がっていくメロディー、それを鮮やかに彩るバッキング。これまでどおりのBloodyの音楽でありながら、新しい感覚の曲になりそうだった。
そのとき、ステフがドアを開けた。仮眠してたらしく、髪が少し乱れて赤い眼鏡もかけていない。
「どんな感じ?」
「だいたい仕上がって、今ちょうど再生してるとこ」
「なら、そろそろミリを開放してあげなさい。――もう朝よ」
言われた本人のほうは、必要以上に興奮して目をランランと輝かせていた。壁の時計は朝6時を指してたけど、疲れてなかったし眠くもなかった。
「いつも、曲作りはこんなに早いんですか?」
美里が聞くと、
「そうだよ」
「そうだよ」
ふたりは、またもやハモる。
「んもう……そんなとこまでハモらないでくださいっ!!」
ずっと我慢してたことを言うと、兄弟は大きな声で笑った。
「ミリ、今日はお疲れさま。まだ途中だけど、いい曲になると思う。何日かしたら、完成したトラックを送るよ」
「ホントですかっ!? お待ちしてます!!」
一刻も早く聴きたい。
――でも、大空が何かを企んでいるみたいで……。
「アニキ。俺が今、何を言おうとしてるか読める?」
「当たり前だろ」
「何だよ? 当ててみなよ」
「6月のことだろ」
「お、さすがアニキ。正解」
「何年、お前の双子の相方やってると思ってるんだよ」
双子のシンクロニシティー。
「……で、いいよね?」
「おう」
「じゃあ、決定。――ミリに、もうひとつお願いがある」
大空が美里に向き直る。
「あのさ、俺たちの次の武道館ライブが6月にあるんだけど、そこでミリにベースを弾いてほしいんだ。一緒にやらない?」
「…………はい?」
「どう? やろうよ」
「い……いいい……いいんですか、私で?」
「ミリ『で』じゃなく、ミリ『が』いいんだ」
「私、一度も人前で弾いたことないんですけど……」
「そんなの関係ないよ。いいじゃん、武道館でデビューしちゃえば」
「……でも」
「でも、何? やりたくない?」
そんなこと、ない。やってみたい――。
違う。「みたい」じゃない。
やる!!!!
「やりますやりますやりますやります!! やらせてくださいっっ!!」
「よし、決まり」
「よし、決まり」
兄弟は、またハモった。
「いやー、楽しくなりそうだね」
大空はうれしそうだった。美里もうれしかった。
でも、大地がひとつの課題を出した。
「ただし、ひとつだけ条件がある。ベースだけじゃライブはできないから、残りのギターと鍵盤とタイコの3人をミリ自身が探してくること。――できる?」
「……!!」
「俺たちはバンドのメンバーを固定しないで、毎回違う人とやることにしてる。それを今回は、『ミリのバンド』でやりたいわけさ」と大地。
「無理?」と大空。
「う……」
「どうなの?」
「えっと……私が今やってるバンドのメンバーじゃ、テクが……」
――本音。どストレートの。
「そこは最低限、俺たちと一緒にできるスキルのある人じゃないとダメだよね。でも大事なのは、Bloodyと演奏することを楽しんでくれる人――」
「……」
「あとは、ミリが『この人と一緒にやりたい!』と思って見込んだ人なら、誰でもいい。年齢・性別・国籍も問わない」
「……」
「どうする? やらない?」
美里は考えた。知り合いをたどれば何とかなるかもしれない。
――悩んでる場合じゃない。
――こんなチャンスを逃すなんて、あり得ない!
「ややややや……やります! 探します! 絶対に探してみせますっ!!」
*
「しっかし、すごい子だったな」
半分あきれたような顔で、大地が大空に言う。
「音符を身にまとって生まれてきた……みたいな感じかな?」
タクシーで帰れと言ったのに、ミリはどうしても首を縦に振らなかった。そこで仕方なく、近くの駅までステフが車で送って行った。
「楽器を持った瞬間、何かが宿ったろ」
「ああ、あれはベース歴3年の音じゃなかった」
ベースなのに、歌うような演奏……。兄弟は、ミリの音楽能力の高さを一瞬で見抜いていた。
「しかも、いきなり武道館って言われても、ぜんぜんビビらない……こっちが驚くぜ」
「
「あの様子じゃ、自分でもそれに気づいてねえだろ」
「だね。あそこまでの耳があるなら、もっと自覚するだろうになあ……」
部屋の片隅に残された、2代目青ちゃんのハードケース。ふたりは、それを
「最初に『Purple Haze』でチューニングしたときだって、一発で決めてたもんな。メーターなしで、一瞬で」
「しかも441だった。俺たちと同じで」
楽器のチューニングは、いつもA《ラ》の音程から決定される。通常のAは440ヘルツだが、441や442に合わせる場合もある。Bloodyは、それを441と決めていた。
「本物の絶対音感……か」
「そう。『未完の天才』ってやつだ」
絶対音感をもつ人のなかには、自分の耳の感覚が440や441に固定されているケースがある。442や443、あるいは444の場合もある。そんな人が、自分の感覚と異なるチューニングで演奏された曲を聴くと、気持ち悪くなってしまうこともある。
「お前、すごい人のところに婿入りしたなあ」
大地は立ち上がり、ミリから預かったハードケースに触れた。これを持って電車に乗るのは重くて大変だから、今日はソフトケースに入れて帰るよう大空が言ったのだった。今日が土曜日で、平日の朝ほどの満員電車じゃないとしても。
「大空、もしかするとあの子は――」
「うん」
「俺たちの常識なんか、あっさり飛び越えちゃってるのかもしれねえぞ」
「それはあるかもな。でも――」
「ん?」
「俺はミリの心、読めなかったんだ」
「マジ?」
「うん」
「それ、早く言えよ」
「ていうか、言うチャンスもなかったじゃん」
「それもそうか……」
「アニキも体調悪いの黙ってたし、おあいこだよ」
「……だな」
「ところで――」
「?」
「あの子、武道館のメンバー集められると思う?」
「トーゼンだろ。あのすごい耳で、すごいミュージシャンを探し出してくるさ」
「てことは……俺たち、ついにバンドができるかもしれないな」
兄弟は、満足げにうなずき合った。
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