note.26 壁

「ミリ。Bloodyの武道館は24日だろ? リハはいつだったっけ?」


 アキバから帰る山手線。ザキが言いたいことは、すぐにわかった。


「21日と22日です」


 ――今日は、6月18日。


「てことは、初日まであと3日。仮に……あくまで仮の話だよ? もしも、このままレイが帰ってこなかったとしたら――」


「……」


 自然と涙がこぼれてきた。歯を食いしばっても、止められなかった。


 ――ザキさん、それは……。


 いちばん、考えたくないこと。でも、いちばん考えなければならないこと。


「――ミリは、どうする?」


 6月24日のBloody武道館ライブ。そのバックで美里がベースを弾ける条件は、「メンバー全員を探してくること」だ。


「私、どうしたらいいか……わかんなくて……」


 レイがいなければ、条件をクリアできない。


「でも、レイさんなら……戻ってくると……」

「……俺もそう思うし、そう思いたい。だけど最悪のケースとして、どうなるかっていう話だよ」


 そうなったら――


「それは……」


 Bloodyに伝えるしかなかった。「メンバーが欠けちゃいました」と。


         *


 美里は部屋に戻ってシャワーを浴びた。何度も深呼吸して、心を落ち着けてからステフに電話した。


「あら、ミリ。どうしたの?」


 すぐに出てくれたステフに、伝えるべきことを一気に話した。


 ――1週間前から、レイに連絡がつかないこと。大学をずっと休んでるし、部屋にもいなかったし、可能なかぎり探してみたけど見つからなかったこと。


「あの……レイさんがこのまま帰ってこなかったら……キーボードの人だけでも、誰かブッキングしてもらえないでしょうか?」


 ノーという答えはわかっていた。そして予想どおり、ステフは揺るがなかった。


「ミリ。悪いけど、それはダメよ。それだと、大地と大空が求めてるものが実現できないからね。21日のリハにキーボードの人が間に合わないと確定したら、その段階で私に連絡を下さい」

「でも……それだと、武道館のメンバーが……」


「大丈夫、プランBを手配してあります」

「……?」


「最悪の事態を想定して、もうひとつのバンドを押さえてあるの。ミリがメンバーを集められなかった場合には、今回の武道館はそちらのバンドでやります」


 ――納得。グーの音も出ない。


 ――でも仕方ない。武道館を押さえて、音響や照明のスタッフも押さえて、チケットだってとっくの昔に完売。バンドのメンバーが集まらないせいで公演中止なんてあり得ないから、私が失敗したときのバックアップぐらい、しててトーゼン。


――私なんかに、声をかけてくれただけでも幸せ。


「ステフ……すいません。こんなことになっちゃって……」


「ミリ、あなたは何を言ってるの?」

「はい?」


「まだ18日よ。最後の最後まで、のたうち回って探しなさい。あなたが『この人だ!』と思えるキーボードプレーヤーは、探せば見つかるはずです」

「……」


「それに、レイだって戻ってくるかもしれない」

「……はい」


「……ていうか、レイが戻ってくることを待ってるんでしょう?」

「そうです」


「あなたは今、レイを心配するのと、Bloodyのライブを心配することがごっちゃになってます。どっちを優先するの? どっちのほうが大事なの?」

「それは……」


「友達でしょう?」

「……」


 ――友達とバンド。友達と、Bloody。


 ――Bloodyのバックは、やりたい。でも、レイのほうが心配。


 ――レイさん、どうしちゃったの? 今どこにいるの?


「なんとかして切り抜けて。結論が出たら、そのとき連絡してください」


 ステフとの通話を切った後で、美里はまたレイに電話してみた。でも、電源は切られたままだった。


        *


 気づいたら、朝になっていた。


 ベッドに横になったまま、眠ってしまっていた。前の日の夜、朝までパソコンとにらめっこして、ほとんど眠ってないせいだった。


 ――何か、食べよう。


 時刻はもう、朝9時近かった。その前に、ボーッとした頭にシャワーを叩きつけて起こそうと思った。梅雨のジメジメした湿気が体にまとわりついてくるのが、イヤでたまらなかった。


 シャワーを済ませると髪を乾かして、近所のコンビニに行ってパスタを買った。あまり食欲がない今、麺類ぐらいしか入らないと思った。


 部屋に戻って玄関に鍵をしたとき、隣のヘヴィメタ青年がちょうど出かけていくところだった。夜中の音出しのことを注意しようかと思ったけど、今はとてもそんな気になれない。美里は「おはようございます」と小さく声をかけて、自分の部屋に入った。隣人は無言のまま、軽く目礼しただけで通り過ぎた。


 やっぱり、パスタも喉を通らない。半分食べたところで、フォークを置いた。


 ――レイさん、戻ってきて。


 スマホの画面を見つめて、強く願いながら発信ボタンを押す。でも、やっぱり電源は切られていた。


 ――レイさん、戻ってきて。


 でも仕方ない。レイさんがどこかに行ってたとしても、探す方法はもうない。せめて、ネットで使ってるハンドルネームだけでもわかればよかったけど、それも無理だった……。


 なら、別のキーボードの人を探すしかない……。あの人なら、誰かを紹介してくれるかもしれない。


 乾月影さん。


 スマホにある、彼女の番号を呼び出した。彼女はプロのパーカッショニストだから、キーボード奏者の知り合いもいるはず……その人を紹介してもらえば……?


 ――でも。


 今じゃない。今じゃない。


 月影さんに電話するのは、今じゃない。


 ――今は忘れよう。レイさんは、ひょっこり帰ってくるかもしれない。


 集中しよう。気を紛らわせるだけでいい。


 ――私のアドレナリン、出てこいっ!!


 2代目青ちゃんを手にする。ピンク色のアンプのスイッチを入れて、Bloodyの曲を流しながら、合わせて弾いてみた。


 ――えっと、『何よりも輝ける闇』のエンディングは……


「ダダダダダ・ダダダ・ダーン! だよ。ミリはずっと、Fの音を弾いてればいいの」


 音合わせにつき合ってくれたレイの声が蘇る。


 楽譜の読めない美里のためにレイが教えてくれた、ライブ用のエンディングパターン。一応メモしてあるけど、もう覚えちゃってるから、見ないで練習しよう。


 ダダダダダ・ダダダ・ダーン!


 ――こういうのって、全員でそろって演奏できると気持ちいいんだよね。メンバーの顔と音を思い浮かべながら弾くと、上手になった気もする。


 そのとき、どこかから小さな音が聞こえた。


 ――トトトトト・トトト・トン。


 あれ? 誰かが壁を叩いてる? 隣の部屋から?


 でも、隣人はさっき外出したはず。ジャケットを着て、大きなバッグも持ってたから、ちょっと近所に……という感じじゃなかった。


 何だろう? ちょっと途切れ気味ではあったけど、自分が演奏したのと同じリズムで壁を叩いていた。明らかに、意図的に。


 ――トトトトッ・トトトトッ・トトトトトトトッ。


 また音がした。その瞬間、美里の体を電撃が貫いた。


 ――こ……このリズムは! 『予言者の憂鬱』のエンディング!


 ――もしかして、レイさん!?


 ――レイさんが合図してる!?


 ――これを知ってるのは、レイさんだけ!!


「レイさん!」


 美里は壁に向かって、必死で叫んだ。全身のエネルギーを振り絞って、大声を張り上げた。何度も何度も、手のひらで壁を叩いた。


 ――お願い! 頼むから聞こえて! レイさんに届いて!!


「レイさんっ!!  レイさんなんですかっ!?」


 こんな壁なんか、壊れてもいい。いっそ壊れちゃえ!


「レイさん!! 聞こえたら返事してくださいっ!!!!」


 ――トン。


「レイさん!! レイさんっっ!!!!」

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