note.25 ジ・エンド

 西武池袋線・中村橋駅。


「おはようございます。遠海美里といいます」

「連絡してくださって、本当にありがとうございます」


 美里はほとんど眠れないまま、待ち合わせの10分前に改札口に着いた。先に来ていたレイの両親と挨拶していると、ザキと遠藤さんも到着した。


 柔和な感じのお父さんと、ちょっとキツい印象のお母さん。薄手のジャケットにジーンズというラフな服装のお父さんと、念入りにメイクして着飾った感じのお母さん。美里にはそれが、ちょっと不釣り合いに見えた。


「ここです」


 遠藤さんが道案内して、レイのマンションに着く。すぐにお父さんがオートロックの暗証番号を打って建物に入り、合鍵を使って203号室の玄関を開けた。


 室内は、無人。空気が淀んでいて、レイの気配もない。


 ベッド、机、タンス、ハンガーラック、電子ピアノ……。ごく普通の、ひとり暮らしの女子大生の部屋。ちょっと変わってるとしたら、半透明の収納ケースが無数に置いてあることだった。――もちろん、中身は大量の本。


「なんで、こんな本ばっかり……」


 派手なイラストがデザインされた本や漫画本の山を見下ろして、お母さんは顔をしかめた。明らかに嫌悪していた。


 その言葉を無視して、お父さんは窓を開けて空気を入れ替える。


「どう見ても、何日か不在にしてる感じだな。冷蔵庫の中身はどう?」


「3日前に賞味期限が切れた牛乳がある。中身も半分以上残ってる……あの子、牛乳大好きなのに」


 ゆるくウェーブをかけて栗色に染めたロングの髪が揺れるたびに、かすかに香水が香る。白地に紺の模様が入ったワンピースも、キラキラ光るピアスやネックレスも、ひと目で高価そうとわかる。


「レイと最後に会ったのは、どなたでしょうか?」


 お父さんの質問に、遠藤さんがスマホの画面を見せながら答える。


「私です。最後に会ったのは先週の金曜日です。でも、土曜日の夜にLINEでやり取りもしました」


「6月11日土曜日……の、何時頃ですか?」


 普段からそうなのか、それとも今だけなのかはわからなかったけど、お父さんはゆっくりと穏やかな話し方をする人だった。一つひとつメモを取りながらの質問に、美里たちも丁寧に対応した。


「22時37分です。私たちが知るかぎり、これが最後の消息です」


「そのLINEを打ったのがこの部屋だとしたら……時間的に考えて、そのまま眠ったんでしょう。ということは、やっぱり12日の日曜日に何かあったと考えるのが妥当だろうね……」


「それで、13日の月曜日から昨日の金曜日までは、ずっと大学も休んでて……」


 そこに、黙っていたザキが口を挟む。


「遠藤さん。最後のLINEを送ったのがレイ本人だと確信できる?」


「うん、それは絶対。その日に話してたことは私と本人しか知らない内容だし、絵文字とかスタンプの使い方もいつもと同じだったし」


 ご両親に聞かせるため、ザキはあえて確認したのだろう。遠藤さんの返事を聞いて、ちょっと満足げに目くばせした。


「洗濯物が干しっぱなしね……3日分かな」


 室内を調べていたお母さんが言う。カーテンレールにかけたブランコに干してあったのは、下着やキャミやTシャツ。美里には、そのうちの1枚に見覚えがあった。


「その黒いTシャツは、先週の金曜日に着てました。ね、遠藤さん?」

「うん」


「……ということは、金曜の夜か土曜に洗濯したと考えてよさそうだね。――ミチコ、洗濯カゴには何が入ってる?」


 ミチコと呼ばれたお母さんが確認して、「1日分の服と下着だけ」と答えた。


「たぶん、それは土曜の分だな。とすると、日曜の朝までレイはここにいて、その後で出かけたと考えるのが自然だろう」

「そうね」


 ここまで調べて、お父さんはひとつの結論に到達した。子を思う親なら当然の結論に。


「こうなったら、捜索願いを出すしかなさそうだな」


 その判断に、お母さんも同意した。


「あの、失礼ですが……」


 部屋を出ようとしていたお父さんに、ザキが声をかけた。


「何だい?」

「お父さんは大きな会社を経営しておられて、かなりの資産家だと聞きました。そうなると、誘拐という心配がありま――」


 ザキがそこまで言ったところで、お父さんが手のひらを立てて制止した。


「まあ、うちが資産家かどうかは別として、その可能性は考えてみたよ。でも、仮に身代金目的の誘拐だとしたら、犯人から必ず連絡が来るはずだよね?」

「……はい」


「だけど、レイがいなくなったと思われる日から1週間が経った今日の時点で、まだ来てない。見落としがあるといけないと思って、自宅と会社のメールやFAXまで全部調べて回ったけど、どこにもなかった。だからといって誘拐の可能性を消していいわけでもないし不安も残るけど、その点が変なんだよ」


「そうですか……」

「もちろん、警察でもその話は出るだろうけどね」


「すいません。余計なこと言っちゃって……」

「いや、いいんだよ。えっと……西崎くんだったっけ? ありがとう、娘を心配してくれて。そちらの女性ふたりも、ありがとう」


 タクシーで警察署に向かうご両親を見送った後、美里たち3人は秋葉原に向かった。行き先は、ライブハウス『クリティカルヒット』。


         *


「ここだ」


 秋葉原駅周辺の歩行者天国から少し離れたビル。先頭を歩いて案内してくれるザキのおかげで、『クリティカルヒット』はすぐに見つかった。


「いらっしゃいませ。参加者の方ですか?」


 店に入ると、メイド服を着たウェイトレスが迎え入れてくれた。


「すみません。ちょっと人探しをしてまして……」

「?」

「この人、この店に来たことないですか?」


 美里はスマホを取り出して、ウェイトレスにレイの写真を見せた。


「見たことあるかも……。店長を呼んできますので、ちょっとお待ちくださいね」


 奥から出てきたのは、細身のスーツにノーネクタイ姿の男性だった。真っ黒に日焼けしていて、短い髪をジェルで固めて立たせている。


「人探し……?」


 がさわらと名乗った店長は、たぶん30代の半ばぐらい。童顔のせいで実年齢より若く見えるタイプの、ちょっとチャラい感じの人だった。


「そうなんです。この人なんですが……」


 小笠原は、美里が差し出したスマホを覗き込んだ。


「あー、この子。前に、うちの大会に出て優勝した子かな」

「それって、いつ頃の話ですか?」


「今年の1月とか2月とか……ぐらいじゃないかな? でも、2週連続で出て優勝して以来、まったく来てないんだよね」

「一度も来てないんですか?」


「うん。ぜんぜん」

「今、彼女としばらく連絡がつかないんです。どこか、この店以外に彼女が行きそうな場所って、ご存じないですか?」


 小笠原は、すぐ首を横に振った。


「アキバで、こんなイベントやってるのはうちだけだしねえ……」

「誰かと一緒に来てたとか、わかりませんか?」


 強い口調で、ザキが割り込んだ。でも、小笠原の顔色は明るくならなかった。


「正直、うちのイベントは参加者が多いし、エントリーは当日ここで受け付けるだけなんでねえ……。住所はもちろん本名も知らないし……悪いけど、誰と誰が友達とかいうことまで把握してないよ」


「アニソンのサークルの人たちが大勢で来るようなことは?」

「それも、ないなあ……。どっちかっていうと、コスプレのサークルっぽい人たちが衣装を着て歌いに来ることのほうが多いぐらいなんで」


 ――ジ・エンド。


 3人は、しつこく食い下がって小笠原を質問攻めにした。でも、レイを探せそうな手がかりは探せなかった。


 ――やっぱり、ジ・エンド。

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