note.10 ミッション・スタート!

 たぶん迷ってたんだろう。


 レイはうつむいて、少しだけ長く目を閉じた。顎の横ぐらいでカットした茶色いソバージュの髪が揺れ、それを耳たぶに乗せた。


「興味はあるよ……ある……。でも、私で通用するかな?」


 レイは大阪出身だけど、完全に東京のイントネーションで喋る。いつもかわいいスカートかワンピースで、パンツ姿を見たことがない。


「する」

「する」

「します!」

 美里だけ敬語だったからハモれなかった……残念。


「無理だよ、私じゃ……」

「そんなこと、ないです! レイさんなら鍵盤はうまいし、すっごい美人だし……Bloodyの音楽が好きだったら、一緒にやってください!」


「私、Bloodyの曲は大好きだよ?」

「なら、やりましょうよ!」

「うん。曲もアレンジもいいし……歌詞はもっと好き」

「私もです! どの曲の歌詞が好きですか?」


「いろいろあるよ。『四季の4つの物語』とか、『Weeping Moon』とか」

「どっちも、名曲ですよね!」


 ――と


 美里の脳裏に、『Weeping Moon』の歌い出しのところが流れる。ほとんど条件反射みたいに。


  僕の手紙は 夕陽に焼かれて

  君には きっと届かない

  あの日ふたりで 交わした約束

  今はもう 風に朽ち果てて


 ――男女の、切ない別れを歌った曲。


「ねえミリ……」

「はい?」


 レイは、また少しの間だけ目を閉じて考える。そして言う。


「私……この話、ちょっと考えさせてもらっていいかな? 私がダメなら、心当たりの人に聞いてみるから」


 この弱気さを見て、ザキがすぐにツッコミを入れる。


「その心当たりの人って、鍵盤うまいの?」

「バークリーから帰ってきたばっかり」


 ――ボストンにある、ジャズの専門大学。


「なら、バリバリか……」

「うん。メチャうまいよ」


「よっしゃ! とにかく、今ここに俺たち――ギターと鍵盤とタイコ――がいるわけだから、それぞれの人脈をたどって、いい人を見つけてミリに紹介してやろうぜ。一応、鍵盤のレイは保留として、俺はタイコを探す。ザキはギターな」


 このケンの提案にも、ザキは即座に反応する。


「俺が今、頭ん中に思いついてるギターは、ふたり。どっちもプロでやってる人で、Bloodyのバックをやるには十分の腕もあるから、やれるかどうか聞いてみるよ」


「俺も、タイコの知り合いを当たってみる」


「わあ! ザキさんもケンさんも、ありがとうございます! よろしくお願いします!」


「あとは、『24』で聞いてみよう。テツさんなら顔も広いし」


 ザキの言葉に、みんなも同意した。

 4人はこれから、『スタジオ24』で『Z-A』の練習をする予定だった。


         *


 大学から少し歩いて、駅の反対側に行った雑居ビル。美里たちは、その地下にある『スタジオ24』という練習スタジオをよく使っている。というか、明和大学軽音楽部のすべてのバンドがお世話になっている。その関係は、25年前にオーナーのテツさんがオープンして以来の伝統だ。


「え、ミリちゃんがBloodyのバックを!? それはすごい! 大ニュースだね!」


 スキンヘッドにヒゲ面のテツさんは、脱サラしてこのスタジオを開いた。元銀行マンとは思えない風貌だけど、音楽を語り始めたらアツい。


「――誰か、いい人……ご存じじゃないですか?」

「うーん……Bloodyのバックかあ……。彼らはかなり凝ったことをやるタイプだから、それなり以上にハードル高いよねえ……」


 美里が事情を説明すると、テツさんはすぐに乗ってきてくれた。


「でも、誰かいると思うんです」

「そうだな。ギターだと……5年ぐらい前に明和大軽音のレベルがやたら高かったことがある。同学年に、桜庭さくらばくんとぶきくんという名手がそろってたんだ」


「知ってます。ていうか、僕の頭に浮かんでるのも、そのふたりです」


 同じギタリストらしく、ザキがすぐに反応した。


「確か桜庭くんは今、J-POPもののバックをかけもちでやってるよね。誰だったかな、えーと……」


 テツさんは何人かのアーティスト名をあげた。美里も知ってる名前だった。


「桜庭さんはいろんなジャンルが弾けるから、Bloodyにも対応できるはずなんです。でも矢吹さんのほうは……どちらかというとジャズ寄りでしたよね、テツさん?」


「うん。学生のときはフュージョンもやってたけど、基本的にはジャズ志向だった。こないだも新宿のライブハウスで演奏を聴いたけど、ゴリゴリの4ビートジャズだったな。そりゃもうジョー・パスみたいな、最高のギターだったよ」


 ジョー・パス。

 ジャズに詳しくない美里でも聞いたことのある、ジャズギターの名手。


「俺、矢吹くんとつき合いあるから電話してみるわ。ダメもとで」


 言うなり、テツさんはすぐにスマホを取り出して電話をかけた。すぐに矢吹さんにつながったけど――


「ダメだった。声をかけてもらってありがたいけど、今のところはジャズしか弾く気がないってさ」


 すると、さっきから隣でスマホをいじっていたザキが言う。


「おいミリ。明日、渋谷で桜庭さんが弾くライブがあるぞ。行ってみるか?」


 ザキが差し出した画面には「TAEKO LIVE」とあり、サポートメンバーの欄に「ギター:桜庭大輔」と書かれていた。


「行きます行きます! ザキさん、一緒に行きましょう!」


 ザキはうなずき、桜庭さんに連絡も入れておいてくれると言った。でも、テツさんが心配そうな顔をする。


「桜庭くん、決まればいいな。だけど……」

「どうしたんですか?」

「ギターはいいんだよ、わりと簡単に見つかると思う」

「……はい」


「問題は、鍵盤とタイコ。鍵盤はレイちゃんがリーチしてるからいいとして、ドラマーは人数が少ないから大変かもしれないなあ……。明和大軽音の歴史でも、これはと思うほど腕の立つ子はいなかった。ウチのお客さんにも、今は目ぼしい人もいないし」


「でも、頑張って探します! みんなが手伝ってくれますし!」


 ザキとケンとレイの3人は、うんうんとうなずいている。


「でも、探すんならネットも有効かもしれないよ?」

「ネット……ですか?」


「あれ、ミリちゃん知らないの? もう何年も前から宅録がえらい流行してて、大変なことになってるのに」

「タ……タクロク?」


「自宅録音のことだよ。自作の曲を家で録音してネットに上げるんだけど、うまい奴がゴロゴロしてて、アニメの主題歌に取り上げられたりしてプロになったのもいる。ま、録音機材がものすごく進歩して、ネット環境も整備されたからそういう連中が出てきたわけなんだけど、おかけでウチのスタジオはかんどりでさ……」


 ――知らなかった。


「わかりました! ネット見ます! 検索しまくります!」


「俺も一応、音楽スタジオを経営して25年の古狸だから、かけられる人に声をかけて探してみるよ。ミリちゃんの武道館デビューなら、いくらでも協力するさ」


「テツさん!」


 ――ミッション・スタート!

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