note.06 迫害の島
「ミリ。地球上に人類が登場したのって、今から何年前?」
「えっと……400万年……?」
「諸説あるんだけど、今は700万年という説が有力らしい」
「そうなんですか……」
「うん。ともかく700万年の間、アルディピテクスという種から始まってアウストラロピテクスが登場し、次々と絶滅しては次の種が登場することを繰り返して、現代まで存続したのがヒトという種だ。ヒトもいくつかの人種に分かれていて、東洋のモンゴロイド、ヨーロッパのコーカソイド、アフリカのネグロイドなどがいる。ここまではいいね?」
「はい」
「俺たちヴァンパイアもそれと同じで、サルから枝分かれした種のひとつなんだよ。ただ――」
「……?」
「あまりにも少数派で、誰にも知られていない。人類学者にさえ知られてない。700万年のどこかで枝分かれしただけなのに、人種としてカウントされてないのさ」
「そんな……」
「俺たちの祖先はイングランドの北にあるスコットランドの、さらに北にあるいくつかの島で暮らしてた。遠い昔の話だけどね……」
大空は、また肉を口に入れる。「学者に知られてない」と語る学者みたいな表情で。
「今から1万年前、人類は農耕を始めた。農耕は今の中国とメソポタミア地方で始まってヨーロッパに伝わって、その時代から人類は食生活の大変換を迎え、穀物を主食にするようになった。ところが、スコットランドの北にある島はあまりにも寒くて、とても農耕なんかできない。だから、俺たちの祖先に農耕が広まることはなく、従来どおりにクジラやアザラシ、あるいはシカやトナカイを食べる生活を続けた。農耕開始以前の人類はみな穀物や野菜なんか食べず、肉中心の食生活をしてたんだから当たり前だよね? しかも、まだ火が使えないから生肉さ」
「699万年も、ずっと肉食だったんですね……」
人類誕生が700万年前。
農耕開始が1万年前。
ということは、農耕開始までは699万年。
――うん。計算は間違ってない。
「そう。農耕開始以前の人類は、狩猟と採集で食料を得ていた。でも、いつ食べ物にありつけるかわからない移住生活は大変だから、やがて定住を求めた。となると家畜のエサが必要……ってことで、そのために農耕が始まったのさ」
生物学と歴史の授業みたいだったけど、大空の話はスッと心に入ってきた。嘘をついたり騙そうとしたり、そんな気配は感じられなかった。
「ミリは、エスキモーとかイヌイットとか呼ばれる人たちのことは知ってるよね?」
「はい」
「カナダやロシアの、北極圏に近い地域に住んでる人たちだよね? 彼らにもいくつもの種族があるから一概にはいえないんだけど、そのなかには21世紀になった今も、昔ながらの食生活をしてる人たちがいる。つまり肉しか食べない。しかも、生肉ばかりをね」
「じゃあ、おふたりのご先祖も……」
「正解。俺たちの先祖も、肉ばかりを食べる暮らしをしてた。生き物を狩るのは必要量だけで、狩った獲物は余すことなく食べた。血も飲んだし、骨を割って骨髄も食べた。そうやって、生きながらえたんだ」
「骨髄って、うまいらしいぜ」
大地が口を挟んだ。それを手で制し、大空は話を続ける。
「ちょっと変わった風習もあって、死者の弔い方がユニークだった。誰かが亡くなったとき、遺族は死者の指に針を刺して血を舐めるのさ。ほんの一滴だけどね……」
「え?」
「奇妙ではあるけど、これは死者に対する敬意の表れであり、『あなたのことを忘れない』という意思表示だった。さらには、死者が生前に得た知識や経験を受け継ぐための崇高な儀式でもあった。ところが――」
大空は、悲しい目をした。「悲しそうな目」じゃなく、「悲しい目」を。
「あるとき、島のことがスコットランド本土に知れ渡ってしまった。それも、『北の沖にある島に、生肉を喰らい、生き血をすする野蛮な奴らが住んでいる。あれは悪魔だ、悪魔に違いない。生かしておいては危険だ』と、間違った伝聞でね」
「そ……そんな」
「それから、島は何度も襲撃を受けた。意味も意義もなく、ただ野蛮なだけの不条理な襲撃を、繰り返し、繰り返し、執拗に受けた……。島民の多くは殺され、家を焼き払われ、殺されなかった者は命からがら逃げるしかなかった。逃げた者は荒海を渡ってスコットランドに流れ着き、わずかに生き残れた者たちはそこで隠れるように暮らした。もっと南下して、イングランドまで行った者もいる。そうして、俺たちの先祖は故郷の島を追われてバラバラになった」
――悲しい。
悲しすぎる。
美里の頬を、涙が勝手にこぼれていた。とめどなく流れた。
「500年ぐらい前の話さ。今はもう、その島の名前は変わっちゃってるけど――」
「……」
「昔は、ヴァンプール・アイランドという名前だった。それが、『ヴァンパイア』の語源だよ」
≪人類の歴史は、侵略と迫害によって成り立っている≫
美里は、高校のときに世界史の先生が言った言葉を思い出していた。地球上から、戦争の2文字が消えてなくなる日が来るのだろうか? との思いが心によぎる。
「アニキ。それ、食べないならもらう」
大空は、大地の皿に残っていたステーキを指差した。
「いいけど、お前……よく食うなあ」
兄に許可を得て、弟はステーキを切りながら聞く。
「そっちが食欲なさすぎなんだよ。体調、まだ変なのか?」
「ああ。さっきから、なんかおかしい」
「ライブのときも調子悪かったけど、ひどくなった?」
「……じゃなくて、その逆」
「逆?」
「さっき突然、頭痛やら倦怠感やらのモヤモヤが全部スッと消えた。ここ2~3日ずっと続いてて、今朝からさらにひどくなってた違和感が全部、急にな……」
大空が眉間に皺を寄せる。
「いつ?」
「20分ぐらい前……かな」
「アニキ――」
「ん?」
「それ、どこかで何かあったかもしれない」
「……だな」
大地はリモコンを使ってテレビをつけた。画面を見た瞬間、独り言みたいにつぶやく。
「――これだ」
美里の目にも、『西日本に津波警報発令中』という文字が見えた。
冷静な口調のアナウンサーが「海には近づかないようにしてください。けっして、様子を見に行ったりしないでください」と繰り返している。画面には日本地図が表示され、九州や四国の沿岸全体が赤い枠で覆われて点滅している。
「津波警報か……」
「地震? 震源地はどこ?」
「台湾近海。最大震度7だって……」
「これは大変なことになるかもしれないな」
「あちこち、建物が壊れたり……」
「何事もないといいですけど」
その場にいた4人が、口々に言った。
美里も、被害が最小限であることを祈った。
――だけど、大地はこの異変に、2~3日前から気づいてた?
――はるか遠くの台湾で起きた異変を!?
「俺はそうでもないけど、アニキはずいぶん敏感でね……敏感というか、極端にいえば気圧とか磁場とかの変化に弱い。たとえば、赤道の近くに台風が発生した途端、一気に気分が落ちたりするんだ。そんなとき――」
美里が知りたかったことを、ちょうど大空が話し始めた。でも――
「ごめん。悪いけど、ちょっと静かにしててくれるか」
大地が大空の言葉を遮り、そばにあったギターを弾き始めた。
それは美里が見たことのないタイプのギターで、アンプにつながなくても音が響いた。すごく澄んだ音色だった。
大地はしばらく集中して、和音を鳴らしたりフレーズを弾いたりした。ときおり鼻歌も歌った。
やがて、テーブルに置いてあった五線紙に音符を書き込み始める。
「大空。今からいいか?」
「いいよ。すぐ準備する」
ふたりの会話を聞いていても、美里には何のことだかわからない。
「ミリ。君にも頼めるか?」
「?」
大地に言われても、まだ理解できず……。
「な……何をするんですか?」
「決まってるじゃん。レコーディングだよ」
「……えっ!?」
「新曲。今から作って最短でアップして、収益を台湾に全部寄付する」
「!」
「こんなとき、俺たちミュージシャンにできるのはこれぐらいのことしかないのが悔しいけどな……」
「そんなことないです! ミュージシャンだからこそできる、素晴らしい行動です!」
心の底から思った言葉が、そのまま口から飛び出ていた。本心だったから。
「東北の地震があったとき、真っ先に動いてくれたのは台湾の人たちだった。だから、その恩返しをしないとね……。台湾には、俺たちの音楽を熱心に聴いてくれるファンもたくさんいるし」
大空が言う。大地が書いた楽譜を覗き込みながら。――もう臨戦態勢。
「ベース、弾いてくれ。さっき、君が楽器屋で弾いてたフレーズを生かしてイントロ作るから」
もう一度大地に言われて、美里は我に返る。
Bloodyの新曲……やりたい!
でも、自分にできる……? 弾きこなせる……?
「う……っ……」
「どうした。ヴァンパイアが怖いか? ヴァンパイアなんかと一緒に、曲作りをしたくないか?」
大地は美里を睨むように見た。美里も負けずに視線を返した。
「怖くないです! 曲作り、参加します! ていうか、やらせてください! ボノボもチンパンジーも人間もヴァンパイアも、同じ霊長類の仲間じゃないですかっ!」
「なんだか……やたら威勢いいな」
「音楽に国境はありません! 人種も何も関係ありませんっ!」
「……本気だな?」
「はいっ!!」
「よし。じゃ、これ弾いて」
美里は、大地が差し出した楽譜を受け取った。同時に、マリアナ海溝の深さまで一気に落ち込んだ。
「すいません……私、楽譜読めないんです……」
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