第八話 灯る夜

 ずっと、呼ばれるのを待っていたんだ。

 何もない、この真っ白な空間で。 


 あの満月の夜、僕は彼女の孤独を癒す話し相手として、現世に生み出された。

 でも、それじゃあだめだろ? 今の彼女と、そして僕にとっても、必要なのは話し相手じゃないんだ。


 それじゃあ何が必要だったかっていうと、それは考えるまでもない。

 力さ。番人を突破して、無事に彼女を目的地へ送り届けるための力。それは、孤独を癒す相手としての僕じゃあどう足掻あがいても足りなかったものだ。


 そして、その時はやってきた。


 ――助けて。


 確かに、そう聞こえた。彼女はようやく、自らの運命を切り開くための力として、僕を呼んでくれた。

 それなら僕は、力を得ることが出来る。力を与えることが、彼女には出来る。


 でも、すぐには動き出せない。

 僕にはこの白い世界に、ひとつだけ、心残りがあったんだ。


 それは、出会い。僕がこの何もない真っ白な空間で出会った、一人の少女だった。


 しばらくの時間を共にした彼女へと、別れの言葉を投げかける。


「それじゃあ、行くよ」

「うん、いってらっしゃい」


 その少女は、褐色の肌と白銀の長髪をもっていた。その笑顔は、夜闇の天女のようで――


 ――つまりその少女は、僕の主人である彼女と、瓜二つの外見をしていた。


「君も一緒に行くかい?」

「ううん、あたしの居場所はここだから」


 でも、違うところもある。

 それは、瞳の色だ。少女の瞳は僕のよく知る蒼色ではなくて、まるで世界の全てに絶望してしまったかのような、そんな漆黒に塗りつぶされていた。


「どうしても、ここに残るんだね」


 その目を見ていると、どこか、放っておけない感じがした。このまま立ち去ってはいけないような予感が、胸のどこかに燻っていた。


 しかし彼女は、小さく微笑んで、首を縦に振る。


「さ、もう行って。あんまり時間もないみたいだから」


 とん、とその細い指が僕の胸を小突く。すると、僕の体は透け始めた。

 それと同時に、この白い空間での記憶もすうっと消えていく。


「なっ――」


 なにを、と言い切る前に、彼女の細い人差し指で口をふさがれてしまう。


「きみはあたしのことを忘れる。だから、そんなに気負わないで」


 そして彼女はくるりと背中を向けて、言った。


「それじゃあ、あたしをよろしく頼むね――」


――灯火。


 薄れていく、霞んでいく、消えていく。それでもその背中に、叫びかける。


「いつか、いつかきっと、また会いに来るから!」


 それまで、待ってて。

 その言葉が最後まで届いたのかどうか、僕には分からない。


 そして、意識は暗転し――



 ◆◇◆



 顔の真横を、あおい一撃が通り抜ける。しかし、その一撃は何を捉えることもなく、ただ空を切るだけに終わった。


「大丈夫かい、廻」


 腕の中に、久しぶりに触れる彼女の体温を感じる。

 身にまとうものはボロボロだったけど、彼女はいつにも増して綺麗に見えた。決意を固めたから、なんだろうか。相変わらず、僕にはそういうことはよく分からない。

 でも、それでこそ僕のご主人様だ。


「灯火、なの?」


 廻は、腕の中から呆然と僕を見上げていた。その体は、いまだに震えている。

 だから僕は彼女を安心させるように、言った。


「大丈夫、あとは任せて」


 龍の初撃は、かわすことが出来た。今の僕なら対抗できる。

 大丈夫だ、行ける。

 今こそ、あの夜の約束を果たす時だ。


「一緒に、行こう。外の世界へ」


 すると、それを聞いた廻の大きな瞳から、大粒の涙が滝のようにこぼれ落ち始める。


「灯火、とうかぁっ!」


 しがみついてくる彼女を、しっかりと抱きしめた。

 その体の震えは、もう収まっていた。


「心配かけてごめん。僕は大丈夫だから」


 そう言って、廻の細い体を抱きかかえる。


「しっかりつかまってて」


 視線を上げる。その先に待ち構えるのは、あまりにも強大な敵だ。


 人形と幻獣の視線が絡み合う。

 先に口を開いたのは、龍だった。


『しぶとい。まさか、小舟の残骸からよみがえるなんて』

「死ねないさ。廻の夢を、叶えるまでは」


 辺りの空気が、これでもかと張り詰める。

 相手は凄まじい力を持つ存在。僕は、そいつへ向かって言い放つ。


「そういうわけで、突破させてもらうよ」


 その先に、廻の、僕らの望む物があるのだから。


 龍はただ静かに、その挑戦を受け止めた。


『できるものなら――』


 そして上空に、雷雲が立ち込め始める。龍はどうやら、天候を操る力を持つらしい。

 それは敵が初めて見せる、明確な戦闘態勢。こちらのことを、脅威として認めてくれたようだ。


『――やってみなさい』


 ああ、上等だよ。やってやる。


 そして、雷雲が閃光を発すると同時に――


ともれ、双翼」



 ――蒼き幻獣との戦い。その火ぶたが、切って落とされた。



 ◆◇◆



「僕が得た力は、絶景の力だった」

「うん?」


 暖炉に薪をくべながら語りを聞いていると、灯火はなにやら意味のよく分からないことを言い出した。


「絶景の、力?」

「そうさ。僕は、心を揺さぶられる景色を見るたびに、力を増すんだ」

「よく分からん」


 灯火は少し考えて、答える。


「たとえば、廻と一緒に孤島から眺めた夜空だよ」


 ともすれば、自分もって錯覚を受けるほどの、満天の星空。


「あの景色から僕は、空を駆けるための翼を得た」

「それが、双翼」

「そう、炎でできた一対の翼さ」


 酒をすする音が小屋に響く。

 ゆっくりと、灯火は再び口を開いた。


「だから、この夜僕が武器にしたのは双翼だったんだ。絶景を、思い出を武器に、僕たちは龍と戦った」

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