第五話 暗き夜

 僕は一度、ここで死んだ。

 だから、ここからしばらくは、後になって聞いた話をしよう。


「うそ、でしょ」


 僕に突き飛ばされた廻が見たのは、真横で粉々に砕け散った、人形の残骸だった。それはもう、見事に粉々だったらしいよ。人形の姿に戻ってたから、大量の木片が辺りに散らばってたんだって。


「と、灯火っ、返事してっ」


 もちろん、返事はない。

 呆然とする廻に、龍は無慈悲に突きつける。


『これであなたは、また、一人よ』


 現実を飲み込みきれていない廻に、龍は容赦しない。


『あなたに残された選択肢はひとつ。おとなしく島へ帰ることだけ』


 もはや廻に、抵抗する気力は残されていなかった。

 虚ろな瞳で龍を見上げる。

 ひとつだけ、彼女は問いかけた。


「どうして、あたしを閉じこめるの?」


 龍は答えた。


『それが最善だからよ』


 その答えを聞いた瞬間、揺さぶるような衝撃を受けて。

 そして廻は、気を失った。



  ◆◇◆



「聞いている限り、絶望的な状況じゃないか」


 灯火たち二人は、龍という強大な存在を前にして、為すすべもなかった。


「逆転の目は無いように思えるが?」


 その問いに、灯火はふわりと笑う。


「まあ、普通ならね」


 普通なら。つまり、彼らは普通ではなかったということか。


「聞いてて分かったかもしれないけど。廻は、ただの人間じゃなかった」


 暖炉の火を眺めながら、灯火は語る。


「どことも知れない孤島に閉じ込められ、見張りには龍がいて、作った人形は命を授かる。いかに夢幻の常夜と言えども、彼女は明らかに普通じゃなかった」


 人間でない存在。たとえば、おれのような妖鬼。たとえば、目の前に座る人形。

 今となってはごく少数の、常夜の流れをくむ、夢幻を宿した存在。


「では、彼女には実は、龍をも上回る力があったということか」


 すぐには口を開かずに、灯火はゆっくりと酒を呑む。


「力は確かに、あったとも言える。でも、結局決め手になったのは、廻の強い想いだった」


 どこか寂しそうに、少年は言葉を紡ぐ。


「廻は、決して強い女の子ではなかったけど、でも、諦めなかった。諦めきれなかった」


 少女の絶望と、そして、再起。

 少年は再び、語り出した。



  ◆◇◆



 目覚めたとき、廻は砂浜に横たわっていた。

 朦朧とする意識で、彼女は立ち上がる。既に嵐は過ぎ去って、辺りは月明かりに照らされていた。

 見覚えのある景色が、そこにある。それはやっぱり、いつもの孤島だった。


「ああ、そうだ」


 彼女は、何があったかを思い出した。


「あたしたちは失敗して、それで、灯火が」


 じわり、と、そのまなじりに涙が浮かぶ。

 失意と後悔と悲しみが、彼女の小さな背中に重くのしかかって、廻は思わず地に膝をついた。


「――って、言ったのに――」


 両手を地面について、彼女は叫ぶ。


「連れてってくれるって、言ったのにっ!」


 砂浜に、泣き叫ぶ声が響き渡る。慟哭は、澄んだ夜空に吸い込まれていった。

 その晩は、泣いて泣いて、やがて泣き疲れて、廻は気絶するようにその場で眠り込んだ。


 そうしている間にも、夜は廻る。

 彼女がその眠りから覚めたとき、既に月は湖の向こうに沈んでいた。


「やっぱり、だめだったなぁ」


 仰向けのまま、星空に向かって呟く。


「また、ひとりかぁ」


 出会ってから一年にも満たない、短い時間ではあったけれど。他者との触れ合いを知ってしまった今、孤独は以前よりもずっと重みをもって廻を襲った。そして、彼女にそれを受け止めるだけの強さはなかった。


 だから少女はまた、人形を作ることにした。もしかしたら、人形ぼくが復活するかもしれないと、一縷の望みをかけて。


 木を切って、草から縄を編んで、骨組みを作り、土で補強する。僕を作ったときと全く同じように、不格好な人形を一日かけて作り上げた。


「おーい、起きなよ」


 けれど、いくら声をかけても、人形は返事をしなかった。それは、ただの人形でしかなかったんだ。


 次の日も、その次の日も、廻は人形を作り続ける。やがて、彼女の力で用意することが出来る木材が無くなるころには、小屋の周りは失敗作で埋め尽くされてしまった。


 それらのどれひとつとして、生命を宿すことは無かった。


 廻には、何も出来ることがなくなった。だから彼女は、何もしなくなった。


 嵐で半壊している小屋に引きこもって、ただ寝ては起きるだけの生活を送る。ろくな食事もとらず、眠りから覚めるたびに襲いかかる孤独から逃れるように、薄暗い小屋の中で眠り続けた。

 あれほど好きだった夜空も、眺めることはなくなった。


 小さな体は見る見る間にやせ細っていって、目は落ち窪んで肌も荒れる。あの美しかった廻はもう、そこにいない。

 そんな生活をどれほど続けたのか、やがて、彼女は自力で立ち上がることも出来なくなった。


「このまま、死んじゃうのかな」


 夢も叶わないままに、こんな狭い島で独り寂しく暮らすくらいなら、いっそ死んだほうが楽なんじゃないか。

 少女の中に、そんな考えが生まれる。そう時間がたたないうちに、それは確信へと変わった。


「もう、いいや」


 ぼーっと小屋の天井を眺めるだけの毎日。生命いのちの灯りは、だんだんと小さくなっていく。

 過去に思いをせるうちに、ついに彼女は、幻覚を見るようになった。


 それは、苦しかった日々の回想。島の外に出ようと孤軍奮闘し、諦めてしまったあの日の記憶。

 それは、楽しかった日々の思い出。人形と一緒に、二人で暮らした日々の追憶。

 そしてそれは、決して叶わない夢の空想。孤島を飛び出し、世界中を旅して回りたいという渇望。

 幻の中で絶景を廻る彼女の隣には、一体の人形がいた。


「灯火」


 一筋の雫が、彼女の頬を流れ落ちる。

 廻にはもう、泣き声を上げるだけの体力も残っていない。少女の命は今まさに尽きようとしていた。だから彼女は、静かに涙を流す。


「最期にきみに会えて、良かった」


 そして、彼女の生命いのちついえる。残された僅かな灯火ともしびが、消え去る。


 その瞬間――


 一陣の風が、少女の髪をなびかせた。

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