めぐる月夜の旅人形――君と僕とで絶景を――
アワイケシキ
第一部 君と僕とで絶景を
第一夜 僕と彼女は、広い世界に飛び出した
プロローグ 闇の夜の訪問者
「やあ、一晩泊めてくれないかい」
月星が厚い雲に隠れた、闇夜のこと。
深い森奥に、冬が来る。予感を孕む寒風が、一人の客人を連れてきた。
丸太のドアを開ける。立っていたのは、人の良い笑顔をした、小さな老人。黒曜石のような瞳は、底知れず。身に纏った枯葉の香りが古めかしい。
しかし、微笑む眉尻に皺は無く、頬は雪のように透き通っていて――おれは、彼が年若い少年であることに気がついた。
「まぁ、入んな」
ともあれ、外は寒い。さっさと体を暖めさせてやろう。
「ありがとう」
礼からは、疲労が滲み出ていた。
◆◇◆
「助かったよ、もう食べ物も無くて」
明々と灯る暖炉の前で、少年は荷を下ろす。
古びた暖炉と、熊の絨毯。四冊の本に、簡素な炊事場。それが小さな丸太小屋の全てだ。今そこに、一人の少年と、蛙の腹のように膨れた背嚢が加わっている。
険しく、深閑な森奥に建つ小屋だ。客人が来たのは、いつ以来のことだろう。
「君は旅人なのか」
「いいや。僕は、旅人形だ」
少年は赤い外套を脱ぎ、固く結んだブーツの紐をほどく。至福の溜め息が零れた。その姿は、長歩きを終えて一息着いた旅人そのもの。
いや、彼の言葉を借りるなら、旅
「塩漬け肉は要るか」
「
台所の床をひっぺがすと、大きな木樽の
塩をいっぱいに敷き詰めた樽の中から、
「それは?」
少年が、不思議そうに尋ねてくる。
「秘蔵の、濁り酒だ。まあ見てな」
パチパチと弾ける暖炉の前にどっかり座って、
少年の目が輝き、口から唾液がこぼれ落ちる。
生赤い表面に軽く焦げ色が付けば、頃合いだ。じゅうじゅうと汁が
こいつで、完成。
少年の口元に、肉を差し出す。
「塩漬け肉の
ごくりと唾を飲み込む少年。その視線は、口元の肉に釘付けだった。
「親切な森の住人と、果てなく
言うやいなや、猛然と肉にむしゃぶりつく少年。
実に旨そうに頬張る彼を眺めながら、どこか変わった
必死で肉にかじりつくこの少年は、いったいどこから来たのだろう。にわかに興味が
まあそれも、ほどなく分かることだ。ここは、そういう場所なのだから。
それでは今夜は、久々の馳走にありつくとしようか。
◆◇◆
瞬く間に、肉は食い尽くされた。あとに残ったのは、
「ごちそうさま」
「お粗末さまだ」
頃合いか。少年に話を向ける。
「さて、少年。君は知っての上でここに来たのか」
「それは、ここが人食い鬼の
数瞬も間を置かずに、少年は答えた。
「もちろんだよ。それが事実であることも、確信した」
彼は語る。おれは黙してそれを聞く。
「君は、本物の食人鬼なんだね。旅に疲れた人間をおびき寄せて、ガブリとやってしまう、あの、子供の頃に誰もが恐れた食人鬼」
「それが分かっていて、よく訪れたものだな」
じろりと少年を睨みつける。しかし少年は、どこ吹く風とばかりに涼し気な顔だ。
「だって、君が喰らうのは人の肉じゃないだろう?」
手に持った骨をぶらぶらさせて、断定する。
僕は鼻が利くから分かるんだ、染み着いた人間の想いの
「君が欲するのは人の霊魂、つまりは、誰もが胸のうちに秘めている、想いだ」
驚いた。どういうわけか、この少年はおれのような存在を正しく理解しているようだ。
で、あれば――
「――少年、君はそれを、このおれに捧げに来たのだな」
「そういうことさ」
弱ったように笑う黒い瞳に、底の知れない闇が見え隠れする。
「そうか」
なら、このおれは聞く他にない。
「さすれば、語れ、語れ、この
今この時をもって、少年は語り部となった。
「夜は永い、なぜなら――」
――この地は、夢幻に満ちている。
今宵の主役は、枯木のような笑みと共に、口を開く。
「それじゃあ、聞いてもらおうかな。まずは、あの、皿のように丸い満月の夜、僕がこの世に生を授かった、あの晩から――」
それは、一人の少女と一体の人形の、小さな旅の、物語。
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