第四話 輪転する冬

 僕とエミリーは、再び桜を咲かせようとしたんだけれど。廻が抜けた穴は、大きかった。双翼無くして、もう一度箱を作ることも難しい。

 自然、すっかり口数が減ってしまって。僕らはただ黙々と、雪を除けていた。

 期限はあと三日。手詰まりだ。だから僕はひとつ、手を打った。


 ◆


 組み上げた薪に火をつけようとして、ふと、誰かの足音に気づく。


「ふん、せいがでるな」

「トム、来てくれたのかい」


 眉間にしわを寄せて、皮肉気にそんなことを言う老人が立っていた。見せたいものがある。そう言って彼を呼び出したのが、数刻前のことだ。


「行き詰まっとるか」


 ちらりと、その細い目が桜を捉える。


「うん。それで、頼みがあるんだけど」

「まあ、待て」


 老人はこれ見よがしにため息をつくと、手に持った大きな瓶を掲げた。見覚えがある。かつてエミリーが、廃屋から持ってきた酒瓶だった。


「教えてやろう。人にモノ頼むときは、それなりの準備が必要というものだ」


 老人は座り込み、不機嫌に言った。


「一杯付き合え」


 注がれた器を受け取り匂いを嗅ぐと、辛いような、甘いような、えもいわれぬ強烈な刺激が、鼻腔に満ちる。思い出されるのは、エミリーの水筒から出てきたあの酒だ。


「やっぱりこれ、飲み物じゃないだろう?」

「つべこべ言わずに、さっさと飲め」


 トムは一息に器を煽った。僕は意を決して、それを一口、口に含む。

 毒の味がした。それまでに遭遇したどの味よりも、そいつはひどかった。やっとの思いで飲み込むと、喉が焼けるように熱い。

 精一杯眉間にしわを寄せて、トムを睨む。彼は不思議そうに、首を傾げた。


「ふむ、口に合わんか。やはりおかしいのは、あの子なのだろう」

「それ、エミリーのことかい」


 そういえば彼女は、酒がおいしい、あたたかいだとか言っていたけれど。


「分からない、どこが美味しいんだ。暖かくもならないし」

「暖かい、だと?」


 訝しむトムに、少しばかり驚く。彼は、少女が酒を好む理由を、知らないのか。


「エミリーは、冷え性だろ。でも酒を飲むと、少しだけ暖かくなれるらしい」


 老人の、酒を注ぐ手が止まる。


「そう、か。それであの子は」


 彼は一息に、器の酒を呑み下した。


「それで、お前さんが見せたいものというのは?」


 白く光る雪が、地に置いた酒にはらりと舞い落ちる。


「エミリー、今は家で寝てるかい」

「ああ」

「だよね。今日はすごい、頑張ってたから」


 桜の木の周りを指さす。散らばっているのは、焚き火の薪であったり、マッチや灯油であったり、雪かきをするための多種多様なスコップであったり。


「ガラクタばかり、よくも集めたものだ」


 感心半分、皮肉半分に、トムが呟く。


「これ全部、エミリーが集めたんだ」


 僅かに、老人の目が見開かれた。こじ開けるように、言葉を浴びせる。


「少しずつ、物資を集めてたんだよ。僕らが街に来る、ずっと前から」


 彼女一人じゃ無理でも、いつか誰かが手伝ってくれれば、あるいは。


「そう思って、君の目を盗んで、必死に集めたんだ」


 どうしてそこまでするのか、知ってるかい?

 僕はエミリーとの約束を、破ることにした。


「君に見せるためさ、トム。そのために彼女は毎日、頑張ってるんだ」


 だからどうか、知恵を貸してはくれないかい。

 老人は空を眺めて、呟く。


「知っとるよ。そんな理由、わしは知っとった」


 なら、どうして。思わず開きそうになる口をぐっと閉じて、言葉を待つ。

 トムは悲しげに笑った。彼のそんな表情は、初めてだ。


「エミリーは、あの子は、笑わんだろう」


 頷いた。ずっと無表情な少女は、めったなことでは表情を崩さない。


「奪ったのは、わしだよ」


 なんでもないことのように、言葉は吐き出された。たき火の映す顔に、深い皺が浮かぶ。


「何があったんだい」


 ちらりと彼は僕の目を見ると、締め出すように言った。


「それを語るのは、わしの役目ではない。ただ、ひとつ聞きたいことがある」


 くぼんだ瞳がぼんやりと、枯れた桜を眺めた。


「あの子は最近、少し明るくなった。わしには為し得なかったことだ」

「それだけ、さくらが大事なんだ」

「そうなのだろうな」


 すっと、浮かべていた薄い笑みが、消える。糸のように細い眼の奥から、灰色の瞳が、いつになく真っすぐに僕を見つめていた。


「お前さん、エミリーの笑顔を見たことは、あるか」


 街の夜空のように、揺らめく声音。瞳を閉じて、ひとつの夜を思い出す。僅かではあったけれど、僕は確かに。


「うん、あるよ」


 もしかしたら見間違いかもしれないくらいの、小さな表情だったけど。


「一度だけ、エミリーは笑った。桜の蕾が膨らんだ、あの夜だけ」


 トムは、表情を緩めて、たった一言漏らす。


「そうか」


 皮肉気な色の無い、いつになく静かな微笑みだった。


「わしももう、長くはない。もう一度くらい、見ておきたいものだ」


 さらりと口にされた言葉を、聞き流すことは出来ない。


「どういうことだい」


 彼は薄く笑みを浮かべると、器に酒を注いだ。


「このわしは、残りカスみたいなものだからな。むしろ、これまで良くもったほうだ」

「何を、言って」


 詰め寄る僕を片手で制して、老夫は盃を煽る。


「期限は変えん。ただ、少しばかり知恵を分けてやろう」


 そして、ゆっくりと息を吐く。


「温室を、作るといい」


 ◆


 木でもなければ、鉄でもない。不思議な素材でできた骨組みが、桜の木を覆っていた。


「エミリー、そっちを持っててくれるかい」

「わかったの」


 透明な布を大きく広げて、背伸びをしたり飛び跳ねたり。どうにかうまく骨組みに被せて、額に滲んだ汗をぬぐう。桜の木を覆う、透明なドームが出来上がった。


「これが、温室ってやつかい」


 前に建てた箱とは違う。トムに教えられた場所にあった素材で、教えられた通りに組み上げたドーム。見た目はなんとも弱弱しく、作り初めて一刻ほどで完成してしまう。

 半信半疑だったけれど、果たして、その効果は絶大だった。中に入って火を焚くと、じとりと首筋に汗が浮かぶ。温かさは以前の比じゃあない。簡単に作れるから、たくさん建てて、何本もの桜を咲かせることができる。少女の夢が叶う日も、そう遠くはない。


 提示された期限まで、残り二日。


 ◆


「どうにか、咲かせれるかもしれないよ」


 廻に声をかけて、暖炉に火をおこす。

 ぐったりと机に突っ伏した彼女は、くぐもった呻きを漏らした。どこから拾ってきたのか、床にはぐしゃぐしゃに丸められた紙屑が、無惨に散らばっている。

 拾い上げて、ゆっくりと皺を伸ばしながら広げていくと、文字の連なりが見え隠れし始めた。書かれた内容を、読もうとして。紙切れは忽然と、手の中から消える。


「読んじゃだめ」


 上げた視線の先で、震える少女の手が、それを握り潰していた。彼女の顔に浮かぶのは、色濃い疲れと焦り。はっと、気まずそうに目を逸らす。

 辺りに散らばった紙屑をかき集めると、少女はそれをまとめて、暖炉に放り投げた。ぱちぱちと、灰があたりに弾け飛ぶ。


「ごめん。あたし、もう寝るね」


 それだけ言って、廻は敷かれた毛布にくるまってしまった。残された僕は、焼き消されていく紙くずを眺める。

 結局、彼女を問い詰めることは出来なかった。


 ◇◆◇


「不透明な要素をはらみながら、それでも順調に、蕾はふくらんでいった」


 人形は、鼻先に舞い落ちた雪粒を、撫でるようにして払いのける。


「それは、九日目。雪のやんだ夜のこと。僕らはついに、出会ったんだ」


 小さな小さな、一輪の花に。


 ◆◇◆


 真っ白な雪に、ぽたりと一滴、血を垂らす。朱色は白に滲んで解ける。どこか不気味で、だから美しい。見上げた先、細い枝にたった一輪。夜闇を背に、その色は咲いていた。

 あまりに速い成長は、永らく冬に押さえつけられていた反動だろうか。まもなく、すべての蕾が花開くはずだ。


 ぎゅっと、銀のペンダントを握る小さな手が、こわばる。僅かに、その手は震えていた。


「大丈夫だよ」


 エミリーの頭を撫でた。少しでも、不安が拭えるのならいいと思って。


「温室も、しっかり補強したんだ。前のようには、いかせない」


 ◆


 花見をしよう。そう言い出したのは、エミリーだった。

 満開には程遠かったけれど、ぽつぽつと、桜は咲いてきていた。


「おじいちゃんとめぐる、きてくれるかな」

「きっと来るよ。嫌って言っても引きずってくる」


 エミリーは満足げに頷くと、暗い廃屋の奥へと、ぐいぐい進んで行く。

 彼女曰く、花見をするには、必ず要るものがいくつかあるらしい。ひとつは、美味しい料理。ひとつは、大量のお酒。他に、敷物やらお菓子やらいろいろ。


「こんなのあったの!」


 エミリーは棚をさらって、茶色い瓶を引っ張り出した。


「またお酒かい」


 いつになく元気に、小さな少女は頷く。僕としては正直、お酒なんて懲り懲りだったけれど。心底楽しそうに、朽ちた部屋を物色するエミリーを見ていると、そんな文句は腹の底に引っ込んでしまった。


 ◇◆◇


「やっぱり渋ったトムと廻を説得して、僕らは着々と準備を進めて行った」


 そんなうちにも、何本かの枝で、桜はぽつぽつと咲き始める。


「まだ満開ではなかったけれど。それでも、みんなで桜を見るっていうエミリーのささやかな夢は、いよいよ、叶おうとしていたんだ」


 そして、十日目。月の見える、穏やかな晩のこと。


「ついに、花見は行われた」


 ◆◇◆


 水に覆われた空に、揺らめく月明かりの下を、並んで歩いた。思えば、そうして四人で歩くのは、始めてのことだったかもしれない。


「それでね、とーかのつくったおんしつがね、すごかったの!」

「そうか、そうか」


 老人が見守るなか、エミリーはいつになくはしゃいでいた。両手に、ぱんぱんに膨らんだ風呂敷がふたつ、しっかりと握られている。僕とエミリーで用意した料理の数々だ。素人だから、たいしたものはできなかったけれど。それでも、みんなの笑顔が見たいと言った少女が、精一杯つくった料理だった。


 天気は良好、準備は万端。もはや何も、彼女の夢を妨げるものはない。

 ただ、廻の思い詰めたような表情だけが、気がかりだった。


「めぐる、おさけのむの?」


 暗い顔で俯いていた廻に、エミリーが声をかける。


「えっ、お酒?」

「うん、おいしいの」


 とてとてと駆け寄ってきた小さな少女は、上目遣いに僕を見た。


「とーか、ちゃんともってきたの?」

「もちろん」


 背負った大きな背嚢を揺らす。たぷんと、液体の揺れる音がした。


「お酒って、おいしいのかな」


 首をかしげる廻に、エミリーは大きく頷く。それでも煮え切らない廻を僕は後押しした。


「すごく美味しいから、君も飲むといいよ」


 僕だけあんな思いをするのもシャクだったから、嘘をついた。何かを感じ取ったのか、廻はじとっとした目つきで睨んでくる。


「ねえ、エミリー。灯火の言ってることって嘘っぽいんだけど、どう思う?」

「ほんとにおいしいの。ね、おじいちゃん」


 老人に話を振るエミリー。けれど彼は、答えなかった。


「おじいちゃん?」


 トムは答えない。痺れを切らした廻が、振り返る。


「ちょっとトム、無視しなくても」


 彼女は、言葉をつまらせた。不思議に思って、僕も振り向く。

 雪にのめり込んで、老人が、倒れ伏していた。その体は、ぴくりとも動かず。まるで、折れた枯れ枝のよう。


 小さな少女の両手から、風呂敷がこぼれ落ちた。

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