第五話 混ざりあう瞳

「混血は往々にして、強い力を持って生まれる。片親となった幻想の力を超えることすら、珍しくないんだ。そのかわり、彼らは寿命が短いんだけどね」


 どこか淋しげに、人形は語る。


「一方、当時の僕は壊れかけの人形。まあその割に善戦したとは思うけど――」


 やれやれと、灯火は肩をすくめた。


「ぶっちゃけ、勝ち目は無かった」


 ◆◇◆


 炎を纏った腕は、彼女の防御を貫くことに成功した。旅人の着ていたコートはあちこち破れ、全身の火傷からは赤い血が滲んでいる。息だって、荒く上がっていた。


 それでも、彼女にはまだ、余裕があった。


 口の中に、生臭い泥水の味が広がる。うつ伏せに倒れ、雨に打たれて地を舐める僕の右手両足は、全く動く気配がない。灯した炎なんて、とっくの昔に消えていた。


「約束だ。答えて、もらおうか」


 水を跳ねさせて、女性が歩いてくる。暗闇に、水色の左目だけが妖しく浮かんでいた。

 負けるわけにはいかない。泥を噛み締め、力を振り絞る。繰り出した最後の拳は、彼女の胸を掠めるに終わった。


 終わる、はずだった。


 掠めた指先に凍るような痛みが走り、女性が目を見開く。

 突然のことだった。彼女の胸元が、淡く輝いた。

 何が起こったのか。一瞬の驚きは、感情の波に押し流される。

 それは、僕には覚えのない感情だった。濁流のごとく、胸に流れ込む。


 ――混血に、居場所など無い。


 肺が、鉛に満たされるような衝撃。それを、絶望と呼ぶのだろうか。昏く、淀んで、奥底にこびりつく、まるで呪いだ。自ら命を絶ちたくなる衝動を、必死に抑えこむ。


 混血の女性の中身が、とめどなく流れ込んでくる。息も付けない苦しみの中で、僕の心もまた、流れ出ていくようだった。決して侵されることのない場所を、覗かれる感覚。


 お互いの境界線が、朧げに霞んで、解けていく。


 弾かれたように、旅人はコートの内ポケットから何かを投げ捨てた。銀に光る、ロケットペンダント。時間にしてみれば、数瞬のこと。ペンダントはもう、輝いていない。

 荒く呼吸を取り戻し、僕は仰向けに倒れた。雨水が盛大に跳ね散る。壮絶な感情を食らって、手足の痙攣が収まらない。


「やっぱり、死のうとしてたんじゃないか」


 刹那、僕が体験したそれは、彼女のものに間違いなくて。


「何を、した?」

「知らないよ、僕じゃない」


 ふたつの色を宿した切れ長の瞳が、いつになく大きく見開かれて、僕を覗き込む。


「なぜだ」


 頼りなく、声が震えた。


「お前は、なぜ、私に近づいた」


 問いかけは同じ。けれど縋るような声音は、らしくない。

 決闘は僕の完敗。一縷の勝ち筋すら、見出すことは出来ず。


「君を助けろって、主に命令されたからだ」


 もう、どうにでもなれ。半ばやけくそに、僕は言葉を吐き出した。


「どうせただのおせっかいだろ。裏なんて無い」


 薄く目蓋を上げて、呆然と開く双色の瞳を見返す。


「僕の中身を見たんだ、嘘じゃないって分かるだろ」


 いや、とか。だが、とか。言葉が纏まらないほど狼狽する女性を、冷めた心境で眺める。


「私は、混血だ。混血に、居場所なんて」

「何が混血だ。少し眼の色が違うぐらいで、いちいち大げさなんだ」


 混血は大罪を犯したとリオは言ったけど、それが何なのかは知らないし、僕や廻に害が及んだわけでもない。そもそも、人と幻想が憎みあっていることは僕らに関係が無いし、そんな理由で幻想であることを隠さなきゃならないなんて、まったくいい迷惑だった。


「別に君は、理性のない化物じゃない」


 愛想が悪くて、リオを殺そうとして、かと思えば僕を助けて。意味が分からない。

 往々にして人は、人形には分からない原理で動くことを、僕は知っていた。


「だから君は、ただの人だ。そうにしか見えないよ」


 吐き捨てるように、言葉を締めくくる。雨は依然として降り続き、僕の頬を打った。見下ろす女性の茶髪も濡れそぼり、すらりとした顎から、雨水が垂れる。


 その幾つかが、雨にあるまじき熱を孕んでいた。

 灰と水色の瞳から滴る水滴には、他とは違う温度がある。頬に感じるそれは、覚えのある温度だ。まだ島に居た頃、怒った廻に押し倒され、僕は熱い雨粒を知った。


「勘弁してくれ」


 呆然と涙を流す混血の女性を前に、僕は変わらず、どうすることも出来ない。


「どうして、そんな呆けた表情で泣いてるんだい」


 まるで、人形が涙を流しているかのようだった。


「すま、ない。なぜだか、涙が止まらないんだ」


 見ていられなくて、瞳を閉じる。そしてふと、思い立った。


「僕は、灯火っていうんだ。君は?」


 ぎこちなく、噛みしめるように、混血の旅人は呟く。


「私は、ナイアだ」


 それからもしばらく、雨が止むことは無かった。


◇◆◇


 地面もすっかり乾き、雲ひとつ無い月夜の下。ナイアと二人、炎を囲む。


 その晩の食事は、森で捕らえた野兎の丸焼きと、香辛料を効かせたスープ。味覚の失われた舌で肉を転がす僕と、物静かにスープをすするナイアの間に、会話はない。


 ナイアが常に纏ってた鋭い気配はずいぶん丸まり、射殺さんばかりの眼光も和らいでいた。そうしてみると、彼女はただの、無口で経験豊富な旅人だった。

 お互い心を覗きあった仲だ。しかし、いまだ彼女を助けるという命は果たせず、少し縮まった距離感に、どう対応すれば良いのかは分からない。


「あの、さ」


 肉をゆっくりと咀嚼しながら、捻り出した話題を持ちかける。


「混血が犯した大罪っていうのは、何のことなんだい」


 混血が忌み嫌われる理由、ナイアを絶望に追いやった原因を、知りたかった。

 女性の肩が、硬直する。不自然な揺れに、握ったカップからスープが僅かにこぼれた。

 顔を俯けて、彼女は言いよどむ。


「私も詳しくは、知らないんだ。私に教えてくれる可能性のあった奴は、一人だけいたが」


 泣きそうな顔で、ナイアは薄く笑った。


「私には聞けなかった。怖かったんだ」


 それでも、話の大筋程度なら、語ることは出来るが。大きく、ナイアは息をついた。


「常夜に至る前から、混血はひどい扱いを受けていたらしい」

「酷い扱いって」

「私達には、人としての権利が認められなかった。幻想からの扱いは、もっと酷かった」


 幻想は幾度となくナイアを排除しようとし、彼女はそのことごとくに逆襲してきた。


「だが、幻想と交わる人間が居るのと同じで、変な奴はどこにでも居る」


 混血こそ新しい時代の希望だと、狂信する連中が居たらしくてな。彼女の語り口が、だんだんと、重たくなっていくのを感じた。


「奴らは、混血を神のように崇め、そうして、世界中に手を回し」


 言葉が止まる。ナイアの薄い唇が迷いをはらんで動き、しかし明確な言葉とはならない。


「済まない、ここまでにしてくれないか」


 自嘲するように、女性は呟く。


「真実を知ったらお前は、私を嫌うかもしれない」

「別に、君が何かした訳じゃないんだろう?」

「それでも、怖いんだ」


 混血は、力無くうなだれた。僕は深く、ため息をつく。自分がおよそ、最悪の話題を選びとってしまったことを、認めるしか無かった。


「いや、僕が悪かったよ」


 廻だったらきっと、僕なんかよりよほど上手くやっただろう。

 けれどその場に居たのは、出来損ないの人形一体だけだった。


 ◇◆◇


 屋根の上で、灯火の短い黒髪が風に揺れる。


「図らずも、僕とナイアの間にあった深い溝は、埋まってしまった」


 けれど、埋まったら埋まったで、うまく距離感が測れなくて。


「ろくに人付き合いの無かった混血と、人形だ。お互い、そういうことは苦手でね」


 語る灯火は、しかしどこか楽しげだ。


「馬鹿な頭で考えて。僕は彼女に、笛を習ってみることにした」

「吹けるのか?」

「少しだけね。聴いてみるかい」


 灯火は法被の懐から、葦の小笛を取り出し、片手で器用に構える。

 くぐもった、それでいて澄んだ音色が、響き始めた。


 ◇◆◇


「力みすぎだ。もう少し丁寧に、ゆっくりと息を吹き込め」


 うなずいて、笛を構える。痩せ細った音色が、森の夜空に消え入った。ナイアの演奏とは似ても似つかない。

 眉をひそめて唸る。何度も息を吹き込むけど、調子の外れた音が鳴るばかり。意固地になってやるものだから、余計に音は歪む。力んだ肩に、手が置かれた。


「落ち着け。荒く吹いても上手くはならない、ましてお前は片腕だ」

「ナイアみたいに吹きたいんだけど」


 やれやれと、女性は肩をすくめた。


「お前は意外と、負けず嫌いだな」


 その一言で、頭が冷めた。笛を掲げた腕を下ろす。

 隣の女性が、眉根を寄せる。


「張り合いの無いやつだ」

「それで結構。僕は人形だ」


 ふんと鼻を鳴らして、ナイアは焚き火を眺める。


「歪だな、お前は」

「君に何が分かる」

「お前の中を覗いたんだ。それに、お前は分かりやすい」


 彼女は独り言のように呟いた。


「きっかけが、要るのかもしれないな」


 ◆


「出かけるぞ、灯火」


 次の夜、ナイアは拠点を片付けて、言い放った。

 ついに、残り火へ攻めるのか。取引をした僕は、彼女の邪魔をすることは出来ない。

 僕の硬い表情を読み取ったのか、彼女はふんと鼻を鳴らす。


「違う。実行には、まだ少し時間があるからな。準備も兼ねて、出かけると言っている」


 燻ぶる火種を踏み消して、ナイアは大きな背嚢を背負った。


「前にお前の主が、絶景を探していると言っていただろう」


 彼女と初めて出会った夜のことだ。廻の問いかけにナイアは、ある一点を指差した。


「少しばかりの旅路だ。連れて行ってやる、着いて来い」

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