第二話 星振る夜


 夢。そう、廻には一つの大きな夢があった。でもまずは、僕らの島での暮らしを少し話そうと思う。


 晴耕雨読っていうのかな。僕と廻は、畑を耕して、家畜を飼って、雨の日は歌って、語り合って。そんな生活をしたよ。小さな孤島は、それでも、ちっぽけな僕ら二人が生きていくには十分に広かったんだ。

 僕は人形だから、本来は食事も睡眠も必要じゃない。でも、廻は僕に自分と同じような、まるで人間のような生活をして欲しかったみたいでね。何度言っても、僕の分の食事まで作るんだ。


「意味がないよ、廻が食べたほうが合理的だ」


 よく、そうやって訴えたよ。そしたら廻は、決まってこう答える。


「あたしはきみを、そんなまらない人形に作った覚えはありません」


 両手を腰に当てて、ちっちゃな頬をまるでリスみたいに膨らませながら、そんなことを言うんだ。

 今だからこうして笑ってられるけどね、当時の僕は、それはもう困りきったよ。だって、詰まらないなんて言われても、いったい何が詰まらないのか、これっぽっちも分からなかったから。

 でもそれを彼女に聞くのは、なんだか負けたような気がしてね、意地になって考えてみた。

 それで、気づいた。僕に理解できないもの、それは彼女が時たま見せる、合理的で無いことだ。つまりそれは、人間性とか、風情とか、浪漫ろまんとか、そういうものなんだって。


 今にして思えば、廻はその点、すごく人間くさかった。泣いて笑って怒って、よく表情が回る娘だったな。そして彼女は、人並み以上に、浪漫を大事にした。


 そう、浪漫だ。それが、夢の話に繋がってくる。


 月のない夜、僕は浜辺で星空を眺める廻に、聞いたことがあるんだ。


「星なんか見て、楽しいのかい」


 迷わず彼女は言った。


「楽しいよ。なんだか、あそこには浪漫があるから」

「浪漫って、何かな」


 それはどうやら、廻にとっても難しい問いだったみたいでね。うーん、うーん、ってしばらく唸って、彼女は答えた。


「心が、湧き立つことだよ」


 なんだそりゃ、って思ったよ。でも、とりあえず理解してみようと思って、僕も廻の横に寝そべって、星を眺めてみたんだ。

 そして思った。


「綺麗、だ」

「でしょ」


 してやったり、と言わんばかりに、廻はにやにやして、こっちを見てきた。でも、確かに、その星空は綺麗だったんだ。まるで、星の海を泳いでいるような、心地いい浮遊感に包まれたな。


「でも、いつも見てる景色なのに、どうしていまさら、こんな気持ちになるんだろう」

「きっと、初めて気づいたからだよ」

「何に」

「星の夜空の美しさに」


 そう言った廻の顔は、どうしてか、悲しげだったんだ。


 唐突に、彼女は聞いてきた。


「ねぇ、灯火。この世で一番綺麗なところは、どこだと思う」

「この夜空さ」


 僕の知る限りは、そうだった。この世で一番の、そして唯一の綺麗なところ。でも、彼女はそれを聞いて苦笑した。


「きっと、世界は広いよ。あたしたちが想像もできない景色が、この世のどこかに、あると思うんだ」

「根拠がないじゃないか」

「そう、根拠はなにもない。でも、あたしはそう信じたい」

「それも、浪漫なのかな」

「浪漫だよ」


 まったく、人の心に関わることは、僕にはなにも分からなかった。


「これは夢物語なんだけど、聞いてくれるかな」


 楽しそうに、本当に楽しそうに、廻は言葉をつむぐ。


「あたしは、いつか、この小さな島から出て、それで、世界中を旅するんだ。いろんな人と知り合って、おいしいもの食べて、そして、綺麗な景色を見て」


 ねえ、知ってる?

 廻は微笑んで、聞いてくる。


「外の世界には、湖よりも遥かに大きい『海』っていうのがあるんだよ。この島よりもずっと高い『山』もある。そして、人がいっぱい住んでる『街』があるんだ」


 でもあたしは、何も見たことない。ただ知ってるだけ。

 だから、この目で見てみたいんだ。


「そして最後にあたしは、世界で一番綺麗な景色にたどり着いて、こう言うの」



 ああ、いい人生だった、ってね。



 それを聞いて、僕は初めて、自分に与えられた役割を理解した。


――僕は、この少女の景色を見つけるために、生まれてきたんだ。


「僕は、君と一緒に旅がしたい」


 彼女を、彼の地へ送り届けること。それが僕の使命なのだから。


 でも、廻は微笑んで、こう言った。


「無理だよ、それは出来ないの」

「なんで」

「だってあたしは、ここから出ることが出来ないから」


 泣きそうな笑顔っていうのは、きっとあの表情のことだろう。それは、完全に諦めた者の浮かべる、悲しい笑みだった。


「あたしは、この島から出れないの。見えない壁に阻まれてるみたいに。何回やっても、同じだった」


 だからもう、諦めたの。疲れちゃったから。


 そうつぶやく彼女に、なぜか無性に腹が立った。だから、言ってやった。


「それなら、僕が君を連れ出す」


 驚く彼女の顔を見て、少しすっきりしたのを、よく覚えてる。



   ◆◇◆



「僕はそれで、廻を孤島から連れ出そうと躍起になったんだ。でも、どうやら彼女があの島から出られないのは、運命的な何かで定められたことらしくてね」


 それに、当の廻もぜんぜん乗り気じゃなかったんだ。

 手に持つ骨を振りながら、身振り手振り、いかに苦労したかを少年は語る。


 島で一番高い木に登ってみても、目指すべき陸地は遥か彼方、朧気に見えるだけで、まるで、この島だけが世界の全てみたいだった、とか。

 小船を作ろうと大木を切り倒したら、少女にこっぴどく怒られた、とか。

 嫌がる少女を無理やり船に乗せて、いざ出航してみれば、唐突に現れた渦潮に飲まれて問答無用で砂浜に打ち上げられた、とか。


「そう、まるで見えない手に押さえつけられるように、廻は孤島に閉じ込められていた」


 何をやっても少女を外に連れ出すことが出来なかったと、少年は言う。


「それで、変えたんだ」

「変えたとは、何を」

「やり方をさ。それまでは、消極的な廻を、無理やり引っ張っていってた。でも、それじゃあだめだと思ったんだ」


 少年は、どこか遠くを見るような、かつての自分の若さを懐かしむような、そんな目をする。


「だから、廻と腹を割って話そうとして――それで僕は初めて、彼女の涙を見ることになる」


 そして、その出来事を、訥々とつとつと語りだした。

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