第三話 消えかけの瞳

「幻想ってのは、想いで出来てるんだ」 


 命あるモノたちが抱く、想い、空想、想像。それらが、存在し得ないモノの型取りとなって、幻想を生み出す。おれだって、そうだ。


「釈迦に説法かな。君なら、誰よりも深く知ってるだろ?」

「まあ、多少はな」


 妖鬼として、多くの想いを喰ってきた。甘かったり苦かったり、無味なものは無かった。


「想いで形取られた幻想。だからこそ、エミリーは自らの想いを鍵に、冬の女王を退けることができた」


 じゃあ生まれた幻想が、自らその想いを否定したら?


 ◇◆◇


 真っ暗闇な森の中で、目を見開く。耳に意識を傾ける。足は止めない。追いかける相手は、見知った道を走るように、森を駆け抜けて行く。追いすがる僕は、擦り傷だらけだ。それでもどうにか、距離は開けさせない。


 突然、視界が開けた。まばゆい光に、思わず目を細める。森の中に、そこだけぽっかりと穴が空いていた。雲に遮られ、筋となって差し込む月明かり。


 水の砲弾が、僕の頭へと迫った。すんでのところで回避して、追って迫る刃は避けない。

 混血の旅人が、僕の首筋に刃を添えて、睨みつけてくる。


「何をしに来た?」

「君を助けろと言われた。だから、助けに来た」


 女性は目を丸くする。


「何の話だ」


 彼女の問いかけに、僕は答えることが出来ない。

 しばしの沈黙。ため息をついて、女性は添えたナイフを懐にしまう。


「話にならない、帰れ」


 そういうわけにもいかなかった。人形として、命令を遂行しなければならない。

 廻は彼女に、助けが要ると感じたんだ。けれどその理由が、人形には分からない。

 僕に出来たのは、問題を先延ばしにすることだけだった。


「笛を聴かせてくれないかい」


 訝しげに、女性は身を強張らせる。


「聴いてどうする」

「どうもしない、聴くだけだよ」


 得体のしれないものでも見るかのように、女性は目を細めた。真正面から見つめ返す。

 風が何度か、僕らの間を吹き抜けて。彼女はふと、視線を逸らした。


「一曲だけだ。私も暇じゃない」


 女性はそばの岩に腰掛けると、こげ茶の短髪をぱさりと振って、外套の内から小さな葦の横笛を取り出す。

 僕はそばの木にもたれかかった。彼女は目を伏せ、そっと笛の先に唇を添えて。


 さらりと、風が流れる。音が風に、解けていく。


 大きくはない。けれど、沁み渡るように不思議と響く、くぐもった音色。

 悲しげな旋律だった。それでいて、優しい。不思議で、不安定で、神秘的な音の流れ。

 冷たさの中にある、暖かさ。それはまるで――。


 脳裏を、紅らむ花びらが舞い散った。花弁に包まれて、幼い少女が微笑んでいる。


 瞬間、傷跡をこじ開けられる灼熱が、全身を駆け巡った。かすれた空気が、喉から漏れ出る。叫び声は、音にならない。どうすることも出来ずに、天地がひっくり返る。


 ◇◆◇


 幻想というものは、生まれた瞬間には在り方が決まっているものだ。その在り方に、自ら反することなど起こりえない。

 想いを喰らう鬼。そういう空想、想像に生み出されたおれは、想いを喰うのを止めようと思ったことも、鬼でない何かになりたいと思ったことも無いのだ。


「それがおれの在り方。幻想なんて、そんなものだ」

「さて、どうだろうね」


 ぐぴりと酒を煽るおれを、どこか面白そうに、人形は眺めていた。


 ◇◆◇


 頬に弾ける熱気に、瞼を上げる。

 真っ黒な夜空に、半分の月。小さな焚き火が顔の横で燃えていた。


「目が覚めたのか」


 凪いだ声音が降ってくる。背を起こすと、変わらず暗い森の中だった。焚き火の向こうに腰掛ける混血の女性が、きらりと光る小さな何かを僕へ突き出す。


 それが何かも分からないまま、押し付けられるままに受け取ろうとして。

 悪寒が背筋を駆け巡った。

 弾かれるように、指先を引っ込める。


 彼女の手に握られているのは、大きな銀のペンダント。少女が僕に託した、冬の名残。


「どうして」


 僕の問いかけに、女性はふんと鼻を鳴らす。


「このペンダントから、冷たい香りがした。お前が倒れた原因だろう」


 取引をしよう、と。彼女は静かな声音で、僕に選択を迫る。


「今後一切、私の邪魔をするな。もし、それが呑めるのなら、なぜお前が倒れたのか、その理由を教えてやろう」


 灰色の左瞳が、炎の向こうで僕を見つめる。少し迷って、僕は答えた。


「分かった、条件を呑む。教えてくれ、なぜ僕は倒れたんだ」


 うおん、と唸る不気味な風が、木々の暗闇から吹き付けた。


「幻想としての在り方が、歪んでいた。近いうち、お前は消滅する」


 なんでもないことのように、彼女は告げる。


「しょう、めつ?」


 ぽつりと反芻する僕を、旅人はちらりと一瞥する。


「あくまで首飾りは、きっかけに過ぎないだろう。予兆は他にもあったんじゃないか?」


 塔から落ちる彼女を助けた夜の、双翼の不調が頭をよぎった。


「それは、死ぬってことかい」


 呆然と漏れた呟きに、いともあっさりと、女性は頷く。

 頭の中身が、綺麗に真っ白だった。右手の平を握ってみても、いつも通り。何処にも、ガタを感じない。小刻みに震える自分の膝が、どこか他人ごとのようで。

 ただ、ぐわんぐわんと、眼球の裏側で闇夜の嵐が吹き荒れていた。


「幻想としての力は使うな。それでしばらく、延命できるだろう」


 音もなく立ち上がった女性を、うつろに見上げる。思考のまとまらないままに、呟いた。


「しばらく、ここに居てもいいかい」


 小さく鼻を鳴らして、暗い森の中へ歩いて行く女性の背中を、僕はぼうっと眺めていた。


 ◆


 寝袋にナイフ、ランタンや小さな鍋。他にも、見たことのない不思議な道具の数々が、焚き火に照らされる。並べられた旅道具を、彼女は黙々と、鮮やかに手入れしていった。

 女性を助けるという命を果たすには、彼女のことを知らなければならない。人形らしくはないけれど、仕方なく、僕は自分から話しかけた。


「ねえ、これは何だい」


 小さな黒い棒を指差す。視線を上げた女性が、ぼそりと答えた。


「火種の一種だ。擦ると、火花が出る」

「便利だね。じゃあ、これは?」

「工具だ」

「どうやって使うんだい」


 深い吐息と共に、旅人は丁寧に拭き上げたランタンを置いた。


「私は、騒がしいのが嫌いだ。黙っていろ」


 つまらなさそうに、半眼で僕を一瞥する。


「ああ、悪かったよ」


 肌寒い風が吹いて、炎の煤がほろ苦い香りを撒き散らす。

 女性は再び黙々と、丹念にナイフを磨き始めた。


 ◇◆◇


「それでも彼女は案外、面倒を見てくれた」


 森の中に、雨風をしのげる拠点を作って。食料も探してきてくれたり。


「そうして僕らは、いくつかの夜を過ごした」


 ◇◆◇


「僕の分は要らないよ」


 冷たい空気が張り詰める、暗い森の中。火に鍋をくべる女性は、訝しそうに目を細めた。


「死ぬぞ」

「死にはしない、僕は人形だ」


 疑わしげな女性を、無表情に見返す。


「これまで、食事をしていないのか」

「前はしてたけど、無駄なことだ」


 彼女は視線を下げ、再び鍋の中身をかき混ぜる。

 焚き火が弾け、ただよう苦い香り。やがて、煮える鍋の声が混じり始めて。名も知らない香辛料の、とがった匂いが鼻を突く。女性は鍋蓋を取り、器に料理を注いだ。

 ぼんやり眺めていた僕の前に、乳白色のスープが置かれる。


「食べろ」


 有無を言わさぬ、鉄のような言葉だった。


「いらない。君が食べた方が」


 お構い無しに、彼女は器を押し付けてくる。


「いらないって言ってるだろ」


 弾けた火花が辺りを舞った。辺りが少しばかり、冷え込む。


「昔と同じことをすれば、お前の症状もマシになるかも知れない」


 そんなことも分からないのかと、女性は鼻を鳴らす。

 ふと、彼女は口端をねじ曲げ、歪な笑みを造った。


「ああ、それとも。やはり混血の作ったものなど食えないか」


 その物言いに、なぜだか、少しだけ腹が立つ。


「そんなくだらない理由じゃない」

「くだらない、だと?」


 揺れる声音に、夜闇が粟立った。炎の鮮やかな橙が、色褪せて見える。


「くだらないと、言ったか」

「ああ、言った。混血とか幻想とか人間とか、どうだっていい」


 僕はただ、人形であろうとしているだけ。人形であらなければならないだけ。

 女性は憎々しく顔を歪ませて、鋭く尖った舌打ちを鳴らす。


「この、野郎」


 彼女の指先がそろりと、ナイフの柄に伸びる。僕は引ったくるように、スープの器を受け取った。

 何をそんなに怒っているのか知らないけれど、彼女と戦うくらいなら。


「分かったよ。食べれば良いんだろう、食べれば」


 一息に器の中身をかき込む。間髪入れずに、目を丸くする女性に器を突きつける。


「ほら、お代わり」

「あ、ああ」


 注がれた器を受け取り、今一度口を付けようとして。


「いや、待て」

「今度はなんだい」


 半ば射殺すように睨み付ける。彼女は空を見上げると。深いため息にのせて、呟いた。


「一人で先に食べるな」


 詰まらないことのように、彼女はそっぽを向く。


「食事ってのは、単なる栄養補給じゃあない、らしい。誰かと食べる料理なら、なおさら」

「誰かとモノを食べることに、意味があるって?」

「そんなことを言ってた奴が、居たんだよ」


 それだけ呟くと、鼻を鳴らして、女性は器にスープを注ぐ。

 夜空を見上げると、分厚い雲が一片の隙間も無く敷き詰められていて、深い海の底に沈んでいるみたいだ。暗くて、冷たい。海底に座り込んで、ただ水面を見上げる。


 かつて飛んだ雲上の景色が、朧気に霞んでいることに、僕はようやく気づいた。それもひとつの、消滅への予兆。どうりで、双翼が使えなくなるわけだ。


 ◇◆◇


「二人で食べた食事に、味は無かった」


 何かの例えじゃあないよ? そう言って、灯火は淡々と語る。


「本当に、味がしなかったんだ」

「よほど下手な料理だったのか」


 人形は、くくっと喉を鳴らして笑う。


「いいや、僕の味覚が無くなってたから」


 言いながらも、灯火は旨そうに酒を呑む。


「今はもう、大丈夫なんだけどね」


 彼は肩をすくめた。


「廻を守るだけの人形に、そんな機能は要らない」


 あっけらかんと放つ言葉は、どこか苦々しく聞こえる。


「そうして僕はだんだんと、本当の人形になりつつあった」


 ◇◆◇


「さっきの食事の話って、誰に聞いたんだい」


 汲んできた水で食器をすすぎながら、尋ねる。

 旅人は茶色い短髪を揺らして、淡々と鍋を拭いていた。


「なぜそんなことを聞く」

「君にだって、そういう知り合いがいるのかと」


 蒼と灰。双色の瞳に、ぼうっと焚き火が映っている。

 彼女は数瞬、言葉をさ迷わせて。さらりと、青い瞳に前髪を覆わせた。


「可愛げななりで、中身はがめつい。そんな、面倒くさい奴だった」


 彼女の唇が小さく動く。僕の脳裏には、廻の姿が浮かんだ。


「妹だった。血の繋がりは無かったが」


 血の繋がりのない家族、そんな言葉をどこかで聞いた。

 高く燃え上がる炎に、静寂が宿る。


「だが、過去形だよ」

「どういうことだい」


 彼女は背を向け、立ち上がった。


「私が殺したんだ、この手でな」

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