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「まずいわね、どうしよう」

『わ、わたくしたちは全くの部外者ですから、見逃してくれるのではないですかね?』

 居場所は、すでにばれている。そもそも、身を隠す場所なんて、ほとんど存在していない。

 それでもすぐさまやって来ないのは、恐怖と不安を演出するためだろう。

「コーダ様、私のことは、気にしないで行ってください。これは、私の行動の結果です。あの人が私を憎むのは当然でしょう。大切のものを、奪ったのですから」

「だから、大人しく壊されてやるって?」

 頷き返してくるフィーネに、やれやれと肩を竦める。進んで壊されようなんて、とてもじゃないが、信じられない。

「どのみち、私はそう長くないのです。今ここで壊されようと、水に溶けて消えようと、大した違いはないでしょう。最期に、サラに会えた。それだけで、私は充分」

 立ち上がったフィーネの頬に、雨粒が跳ねた。

「コーダ様、お願いです。サラを、〈エヴァジオン〉から連れ出して欲しいのです。彼は、ここに残るべきじゃない。彼が愛した人の思想を継いで、生きるべきなんです」

 滑らかな頬に、涙の跡のような線が刻まれる。

 吹き付けてくる風に長い金髪を煽られながら、ラルゴと対峙するフィーネは気丈だった。握りしめられた手が震えているのを見ると、痛々しいほどに。

「ラルゴ。偽りの関係であっても、何の矛盾もなく、思い合う貴方たちが、私は本当に羨ましかった」

「だから、セリを殺したのか?」

「殺すつもりは一切ありませんでした。けれど、彼女の死を早めてしまったのは事実です。否定はできません」

 深く被ったフードの切れ目から覗くラルゴの青い瞳は、人間らしい器官の多くが欠落していて、感情の変化は読み取れない。

 だが、言葉の端に滲む揺らぎは怒りと呼ぶには弱々しすぎた。フィーネの姿に、セリを重ねているのだろうか。

『ねえ、パギュール。あんた、どうするつもりよ? フィーネを見捨てるつもり?』

「助けてどうなるっての? もうすぐ壊れちゃうんだし、〈アンフィニ〉には乗れない。自分から囮になるって言うんだから、意思は尊重してあげなくちゃ。でしょ?」

『あんな菓子人形崩れ、あんたが倒しちゃえば良いじゃない! ぱぱっと!』

 なにが、ぱぱっとだ。簡単に言ってくれるから、困る。

 単純な動きの菓子人形や、素体たちならいざ知れず。ラルゴは戦い慣れている。

 隙を狙うなんて無茶だし、正面切って立ち向かうのはもっと無茶だ。

 コーダはなにも、戦うために地球に降りてきたわけじゃない。おまけに、人間のように争う必要の無い生命体だ。戦い方なんて、知らなかった。

「それに、もう時間はないわよ」

『刻限の、十時でありますです』

 菓子人形たちを狂わせる、鐘の音が一斉に響き始めた。

 塔の内部は、ほとんどが空洞であるためか、音の反響がすさまじい。コーダは音に合わせてびりびりと震える肌に、フィーネを見やった。

 硬化症が進行している体で、この振動はきついはずだ。

『早く、屋上へ行きましょうコーダお嬢様! 演奏が終わるまでに〈アンフィニ〉に戻らなければ、わたくしたちも沈没です!』

「――分かってるって!」

『でも、置いて行っちゃうの?』

「ああ、もう! 黙ってなさいよ!」

 早く、行ってしまえば良い。

 フィーネは気にしないでと言ったのだから、迷う必要なんてまるでないのだ。 

 サラバントは環境管理システムに埋もれたまま、動く気配を見せない。

 意識を喪失しているのか、ラルゴの目を盗んで連れ出そうとするのであれば、フィーネの犠牲は必須だ。

 行くなら、今しかない。

 今しかない、のだが……

「アタシってば、なにやってんだか!」

 フィーネを庇うように、ラルゴの視線に飛び込んだコーダは、具現化させた虹色の〈ミラージュ〉を振りかぶった。

 質量に任せた、大技だ。

 避ける幅もないほどに肥大させた力が、ラルゴを横殴りに弾き飛ばす。

『パギュール! あんた、見直したわ!』

「べつに、アンタに褒められたくてやったんじゃないし!」

 ふらつく体にコーダは大きく息を吐いて、ラルゴの吹き飛んだ方角を見やる。

 手応えは、確かにあった。

 積み重なる瓦礫の山に埋もれ、粉々になっていれば良いのだが。

『おやまあ! これは、しぶとい!』    

「全く、アタシはどうすりゃ良いのさ!」

 割れた窓から吹き込んでくる雨は、水たまりを通り越して、川のようにフロアを流れている。

 まともに水を被ったラルゴの顔から、溶けた砂糖がどろっと落ちた。フードを被っていても分かるほどに変形した顔から、次いで青い眼球が一つ、滑落する。

 他の菓子人形と違い、肉が混じっているせいなのだろう。ラルゴの体は簡単には崩壊せず、じわじわと溶けているようだ。

「なんて言うか、ホラーね」

 一撃必殺の攻撃を、堪え忍ばれては打つべき次の手はない。

「ただでは、死なん。セリの仇を討つまで、私は死ねない」

 額には、無数の銃創。

 顔の半分は、爛れたように溶け落ちている。

 蛇腹剣の重みに負け、関節から抜け落ちた右手を一瞥し、ラルゴは笑う。自虐的な声は、がらがらにひび割れていた。

「こればかりは、人でない体に感謝しなければならないな! 痛みを感じず、体がばらばらになっても、こうして脚さえ残っていれば、歩く事ができる。さあ砕け散れ、菓子人形!」

 鐘の音を弾き返すほどの、咆吼。

 コートに滴る雨水を跳ね散らかし、ラルゴは残った左手を伸ばして、フィーネへと襲いかかる。

『どうにかしなさいよ! パギュール!』

 してやりたいが、無理だ。

 体を包む〈ミラージュ〉の光は弱く、思ったよりも消耗が激しかったのに、動揺している程だ。らしくない、無茶をした。

 なすすべもなく、迫り来るラルゴを見ているしかない――のか。

「コーダ様、どうかサラを!」

 フィーネはラルゴに向かって、ふらつく足を動かした。

 逃げずに、進んで行く。

 冷たい飛沫を弾いて、長い金髪がキラキラと輝くのに、コーダは宇宙服のグローブを、ぎゅっとしならせた。

 相打ち覚悟で、もう一撃くらわすか? しかし――

「砕けてしまえええええっ!」

 握りしめられた拳が、フィーネに振り下ろされるその瞬間。黒い影が、ラルゴの懐へと飛び込んだ。

『サラバント! あなた、大丈夫だったのね!』

 不安定な義足に長い脚を引っかけ、巨体を転ばせる。

 転倒の勢いのまま、放り投げられるように宙を飛んだサラバントが、背中からまともに床に落ちた。

 受け身が全くとれていない、ダメージが相当に大きいようだ。

「フィーネ! 逃げるのよ!」

「嫌です! お願い、私でなくサラを助けて!」

 割れた窓とは反対側、部屋の奥へと、フィーネを壊してしまわないように抱きしめ、待避する。

「サラバント! アンタも、早く逃げるのよ!」

「逃すか! 誰一人として、逃すものか!」

 奇声を上げながら立ち上がるラルゴに、サラバントは溜まり水の中から探り出した蛇腹剣を、すかさず振りかぶった。

 濡れた刃は鋭さを欠き、切り裂きはしないものの、連結部の隙間にしっかりとラルゴの肉体を食い込ませた。

「コーダ様、どうかマスターを〈アンフィニ〉へ!」

 投げつけられたのは、〈身分証明板〉だった。コーダが額に貼り付けているのと、全く同じ青い円盤だ。

 どうして、サラバントが持っているのか。わざわざ聞かなくても、察しは付く。

「これは、もしかしてリトミック博士の?」

『なにやってるの! サラバント!』

 抱きしめたフィーネの体が、強ばる。

 サラバントは、大きく開いた窓の側に、立っている。

「おのれ、サラバント。貴様!」

「お願いします。どうか――」

 蛇腹剣でラルゴを拘束したまま、サラバントは灰色に曇る〈エヴァジオン〉に向かって跳んだ。

 黒い影が、消える。

「サラ! どうして、サラ!」

 喉に亀裂を走らせながら叫ぶフィーネの声は、届かない。

 壊れに壊れ、ずぶ濡れになった機械の残骸と硝子片だけが残っているだけだ。吹き込んでくる雨音が、むなしくフィーネの悲鳴をかき消す。

「ねえ、オンボロ! 上に……〈カリヨン主塔〉の屋上に行くには、どうしたらいいのさ? 手短に答えないと、四つに割って窓からばらまいてやるよ」

『心得ましてでございます、コーダお嬢様。ちゃんと、わかっておりますので、どうか四つに割るのも、窓から放り投げるのもご遠慮くださるようおねがいいたします。ええと、ですね。現在、〈カリヨン主塔〉は緊急脱出モードへと移行しております。よって、脱出口がある屋上へと向かうエレベーターの使用も自動的に可能となっておるのです。部屋の奥にある、緑色の灯が灯っていますでしょう? それが、天国への階段となっているのであります』

「手短にって、いったでしょ?」

 苛々と舌打ちしながら、〈オーヴァチュア〉の言う緑色の灯を探す。……確かに、あった。こちらへ来いと誘うように、灯が明滅している。

『行きましょう、フィーネ』

「私が生きていたって、しかたないのに!」

「とにかく、着いてきなさい! アンタ一人残していっても構わないけど、そんなことするとアタシがなんだか、胸くそ悪くなるのよ!」

 頽れそうになるフィーネを支え、硬化したその脚を引きずりながら、コーダはエレベーターへ飛び込んだ。

 十時の鐘は、最初の山場を威風堂々と奏でている。

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