第四章 カリヨン主塔と夢見る羊

1

 気付けば、セリは一人、列車のシートに座っていた。

 足元には、ラルゴの銃が転がっているが、狭い車内にはセリの他に誰もいない。無感情な車輪の音が、響くばかりだ。

「恐いよ、パパ」

 大きな窓からは、何も見えない。

 僅かな街灯の明かりすらも、見当たらない。

 先の見えない、闇。

 天井の人工灯が、やたら眩しく感じた。強すぎる白い光は熱となって、セリの体を容赦なく蝕んだ。

 暑くて、暑くて、溶けてしまいそうだった。コートの襟を立てても、熱をやり過ごすことができない。

 一人になるのは、恐い。

 頭上から落ちてくる車輪のリズムは、まるで歯車のようで耳を塞ぎたくなる。

 そこここから漂ってくる、甘い匂いが気持ち悪い。自分自身の体から漂っているのに気付くと、もっと気持ちが悪くなる。

 シートの上で膝を抱え、セリは唇を噛み締めた。

 窓に映り込む自分の顔を、恐る恐る覗き込む。

 頭に巻いた布は白く、人工灯の光を強く反射していた。

 黒で塗り潰された窓に、ぼんやりと映り込むシルエットは、ラルゴに付き従う菓子人形の素体たちと瓜二つで、嫌になる。

「ねえ、パパ。どうして、セリはパパと違うの?」 

 深緑色のコートに着いているフードを、目深に被り直す。

 気持ち悪い、砂糖の塊。自分は菓子人形たちと違うと、堅く思っていたのは、何故だったのだろう。

「セリを、嫌いになっちゃったよねぇ」

 右手。

 手首から先が欠けた右手を見つめ、セリは泣いた。

 涙は出ないが、胸の奥から滲んでくる痛みに、確かに泣いていた。

「セリは、人間じゃない。パパが嫌いな、菓子人形」

「でも、大丈夫。貴女はちゃんと、愛されている。だって、彼は貴女を守ろうとしていたんだもの」

 ふわっと漂う甘い香りに、セリはシートから飛び降りる。

 いつの間にか停車していた列車のドアに、少女が一人、立っていた。

 金麦畑を思わせる、豊かな髪。

 菓子人形のものにしては柔らかく、車内に吹き込んでくる風を受けてふわふわとそよいでいる美しく長い髪に、セリは無性に悔しくなって、唇を噛みしめた。

 同じ菓子人形なのに、なぜ、自分にはないのだろう。ごわごわした布の感触に、哀しくてたまらなくなる。

「あなた、誰?」

「わたしは、フィーネ。貴女と同じ〈コンフィズール〉にある砂糖窯(ボンボニエール)から産まれた、そうね、姉妹のようなものかもしれない」

 じっと向けられる、フィーネの青い目。

 透明度の高いガラス玉を守る長い睫毛を瞬かせ、フィーネがゆっくりと右手を差し伸べてきた。

 少し赤みの差したセリのものとは違い、菓子人形の混じりけのない、白い肌だ。

「さあ、こちらへいらっしゃいな、セリ。悪い夢は、終わらせてしまいましょう」

 かつっと、赤い靴が列車の床を叩くのに、セリは怯えて後じさる。

「い、いや! いやだよっ!」

 フィーネの白い指先から見えない糸でも伸びているかのように、体が勝手に動き出した。

「助けて、パパ」

 抗うことも一切できないまま、セリは左手を――いや、身分証明板を、フィーネへと差し出していた。


◇◆◇◆ 


 脳味噌から揺さぶりを懸けてくる低い機械音が、蒸し暑い通路に響く。

 コーダはまだ、目を覚まさない。

 銃弾に抉られた脳の機能の復旧に手間取っているらしく、オルビットがどんなに呼び掛けようと、反応は一切、ない。

 だが、心配することもないだろう。放っておいて、大丈夫だ。

 かつては自分のものだったのに、自由に動かすことのできない体がもどかしいだけだ。なまじ、生きていた頃の感覚が何となく残っているのが、辛い。

 オルビットは宇宙服のスピーカーにノイズを走らせ、溜息の真似ごとをしながら、ラルゴの背中をじっと〝見た〟。

 肉眼ではなく、コーダを包む光を介して、ラルゴに背負われているのを知覚する。

『どうして、あたしたちを助けるの? あなた、〈エヴァジオン〉から出たいんでしょ?』

 重力下での宇宙服の重みは、相当のものがある。粗末な義足をミシミシと軋ませながら進むラルゴは、いったいどこへ向かっているのだろう。

「額を撃たれても死なないのなら、なすすべもない」

『けど、それって、あたしたちを助ける理由には全然ならないんじゃないの?』

 足を止めたラルゴは「なら、地上に落ちたかったのか?」と、振り返って笑った。

 ラルゴに助けられていなかったのなら、今ごろは〝連絡駅〟の瓦礫と一緒に、遙か下に広がる人工森林に突っ込んでいただろう。

 五体ばらばらになる危機を救われたとはいえ、真意が掴めないものは気持ちが悪い。

 ただ、大人の広い背中に負ぶわれているこの優しい感覚は、どこか懐かしく、心地が良かった。

 もう少し小さかった頃、父親の背にしがみついて、宇宙望遠鏡から青い地球を見ていた。オルビットはぼんやりと、子供の頃の遠い思い出に浸る。

『ありがとう。一応、お礼を言っておくけど、身分証明板はあげられない。あれは、コーダ・オルビットという人間が、この世界に確かに存在していた、唯一の証。そうね、墓碑みたいのものだから。大切なものなのよ』

 ラルゴは何も言わず、再び歩き出した。

『ねえ、ここは、どこ? あたしたちは、どこへ向かっているの?』

「ここは〈コンフィズール〉の中心部、カリヨン主塔だ。〈アンフィニ〉のパス以外に、身分証明板を使う必要があるというのなら、セリを操ったあの菓子人形の目的は、おそらく、砂糖窯の支配だ。カリヨン主塔の地上部にある〈環境管理システム〉から、砂糖窯の生産率を調節し、私のような生き残りを駆逐しようと画策しているに違いない」

『フィーネが、そんなことを考えるかしら?』

「菓子人形の考えなど、知れている」

 天井も壁も、どこもかしこもパイプが剥き出しになっている通路は、とてもじゃないが、遊園地であるようには思えない。

 どちらかといえば、何かしらの工場を思わせる造りだ。

 職員用の通路だとしても、もう少し飾ったっていいだろうに。

 至上の楽園と言われた歓楽施設の、その一端にも触れることができないままでいるのは、ひどくもったいない気がする。

『でも、フィーネは菓子人形でしょ? システムに介入できるの?』

「さすがに政府レベルの施設を動かすことはできないだろうが、身分証明板があれば、菓子人形であったとしても住人と見なされ、一定のシステムに干渉することができる。良い例が、サラバントだ。あいつは、円盤を所有しているに違いない。政府の人造人間であったとしても、持っている権限が大きすぎる」

 ラルゴの体が、僅かばかり強張るのを感じた。怖がっているのだろうか。

『身分証明板は、一人につき必ず一つ発行される。ねえ、ラルゴ。あなたの身分証明板はどうしたの? 人間なんでしょう? なぜ、あたしのを盗ったの?』

「私は、身分証明板を持っていない」

『盗られたの?』

「無いのなら、そうとしか考えられない。おそらくはサラバント、奴が!」

 大きな扉の前で足を止めたラルゴは、電子ロックのパネルに数字を打ち込む。

 ごうん、ごうん。と、何かが回転する低い音と共に、扉がゆっくりと開き、飛び込んでくる熱風が、目深に被ったラルゴのフードを捲った。

 銀色の筒が、広い室内の中央に塔のようにして据え付けられている。上方がどうなっているのかは分からないが、絶えず、白い塊が投げ込まれているのを見るに、大きな口が開いているのだろう。

「これが、砂糖窯だ。菓子人形たちは、ここから生みだされる」

 熱され、煮え滾る銀の窯の周囲には、陽炎がゆらゆらと漂っていた。 

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