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 窯へと投げ込まれているのは、地上を埋め尽くす勢いで咲き誇っていた、あの糖蜜花だ。

 ぐつぐつと煮込まれたあと、圧搾されて不純物を取り除かれた金色の蜜が、天井に張り巡らされたチューブを通って、別の部屋へと運ばれている様子が見える。

「糖蜜花から絞り出された蜜は、型に填められて素体となる。そこから人型に成形し、菓子人形として出荷されていた」

 安全ロープすれすれまで近づいたラルゴは、砂糖窯を見上げる。

 糖蜜花の絞り滓が雪のように廃棄タンクに向かって吐き出されているためか、蜜の匂いよりはむしろ、僅かに苦い、青臭い匂いが工房に漂っている。

『詳しいのね、ラルゴ。あなた、ここで働いていたの?』

「まさか」と、ラルゴは笑う。

「砂糖窯のことは、他の生き残りから聞いたものだ。私には、はっきりとした記憶がない。右足を失い、菓子人形たちに囲まれていたところを助けられた。それ以前に何をしていたのかは、未だに思い出せないでいる。こんな所に長居は無用だ。エレベーターを探そう」

 砂糖窯に背を向けたラルゴが、息を飲む。

 強張ったラルゴの背中越しに、オルビットは光を、にょろっと伸ばした。

「〝連絡駅〟は、派手に壊れてしまったようですね。修復するには、機材がありません。残念なことですが、誰も〈エヴァジオン〉から出ることはできないでしょう。もちろん、入ってくることさえも、金輪際、できないでしょうね」

 銃を片手に持ち、工房に入ってきたのはサラバントだ。

 ラルゴに背負われているオルビットにちらっと視線をやって「勝手な行動は、困ります」と、猫に似せた尻尾を不機嫌に揺らして見せた。

「外からいらっしゃった旅人は、基本的には俺の保護対象に入ってはいます。が、問題行動が目に余る場合、危険人物と見なし、行動の制限をさせていただくこともありますのでご注意ください」

 軽く頭を垂れたサラバントは、視線をさらに鋭くさせ、ラルゴに銃口を向けた。銃爪には人差し指が掛かっていて、すぐにでも発射できる状態になっている。

 対するラルゴは、丸腰だ。銃は、セリが持って行ってしまったままだ。

 おまけに、重いだけのオルビットを背負っている。

 列車で見せた軽業師のような動きができないなら、当ててくれと言っているようなものだろう。サラバントの射撃は、ラルゴ以上に正確だ。

『あたしを、降ろしなさい』

 音量を絞って、ラルゴに囁く。

『ここまで来れば、大丈夫だもの。パギュールだって、もうじき目を覚ます。助けてくれたお礼にもならないけど、逃げるのよ』

「私は、人間だ。人造人間は、人を殺すことができない」

 じりじりと距離を詰めてくるサラバントに対し、ラルゴは強気な言動とは裏腹に、後じさる。

 サラバントの視線は、厳しい。

 一挙一動、全てを見逃すことのない鋭い目つきだ。

 少しでも隙を見せれば、撃たれる。荷物(オルビツト)を降ろすに、降ろせないのかもしれない。

 体と分離しているはずなのに、喉が渇くような緊張を、オルビットは感じていた。

「俺が撃てないと思っているのなら、間違いですよ、ラルゴ」

 廃棄タンクがいっぱいになったのか、ベルトコンベアが動き、新たなタンクが据え付けられる。錆びたベアリングの音に、工房が震えた。

「〈エヴァジオン〉に、人間はいない。ただの一人も、残ってはいない。ラルゴ、貴方は人間じゃない。ただの、菓子人形にすぎないんですよ!」

「私は、人間だ!」

 ものすごい速さで、世界が回る。

 何が起こったのか。理解できたのは、サラバントの腹の上に倒れてからだ。

 どうやら、投げられたらしい。

「大丈夫ですか、コーダ様」

 奥の部屋へと駆けて行くラルゴに舌打ちをしつつ、サラバントはぐったりとしたまま、動かないコーダを、そっと床に横たえた。

『サラバント、ねえ、あなたラルゴの身分証明板を持っているのなら、返してあげなさいよ。あなたがどれだけ知っているのか分からないけど、アレはあたしたち人間にとって、とても大切なものなのよ』

「何を吹き込まれたかは知りませんが、もとより、ラルゴに身分証明板などありませんよ。彼は、人間ではありません」

 嘆息を零し、立ち上がったサラバントは、ぴんと、頭の耳を尖らせる。 

「安全を保証できる場所ではありませんが、俺はラルゴを追いかけます。申しわけありません。片付いたら、お迎えに上がりますので、今度こそ、大人しくしていてください」

『待ちなさいよ、サラバント! もう、何奴も、こいつも勝手なんだから!』

 オルビットの怒声も気にすることなく、サラバントは走っていってしまう。

 容赦のない表情は、ラルゴを殺す気だ。

『もう、いい加減に目を覚ましなさいよね、真っ白タコお化け!』

「誰が、タコよ!」

 くわ、と大きな目を見開いて、コーダが叫ぶ。

「――ここ、どこなのさ、オルビット」

『また、〈エヴァジオン〉に戻って来たの。カリヨン主塔の中らしいけど』

 仰向けになったまま叫ぶコーダに、『どんな、目の覚め方よ』とオルビットは呆れつつも、ほっとする。

 これでやっと、動くことができる。

『とにかく、サラバントを追いかけるのよ、パギュール!』

「起きたと思ったら、いきなり追いかけっこ? なにが、楽園よ! 詐欺だわ!」

 両腕を大きく振り、反動を付けながら起き上がったオルビットは、そのままの勢いで床を蹴り、飛び出す。

 広い工房を駆け抜け、チューブを通って流れる蜜の行方を辿って、隣接する施設を目指し、一気に走った。

『待ちなさい、サラバント! ラルゴを殺すなんて、やめて!』

 長い、直線的な連絡通路。サラバントには、すぐに追いついた。

 漆黒の目が、肩越しに振り返る。

「いったい、なにがどうなっているの、サラバント? フィーネに頭を撃たれたんだけど、アタシ」

 弾は頭蓋骨で止まり、額の肉にめり込んでいたのを、ラルゴが掘り出してくれた。一応は死人であるためか、跡はまだ、くっきりとこめかみに残っている。

「申しわけありません、コーダ様。マスターの意図は、俺にも一切、わからないのです。〈環境管理センター〉で、いったい何をしようというのか」

『ラルゴは、菓子人形の生産を増やすんじゃないかって言っていたけど?』

 サラバントは、「まさか」と一笑して、首を振った。

「菓子人形を、今更この期に及んで増やす意味がありません。〈エヴァジオン〉には菓子人形しか存在していないんですよ」

『ねえ、本当に人間は一人もいないの? ラルゴは、人間じゃないの?』

 スピーカーがハウリングするほど声を荒げ、オルビットは食い下がる。コーダは不思議そうに見下ろしてくるが、気にしていられない。

『ラルゴは、本当に菓子人形なの? あたしには、とてもじゃないけれど、作りものとは思えないのよ。セリが菓子人形だって、ラルゴは知っていた。なのに、真っ先にここから逃そうとしていたのよ?』

 地上部で襲い掛かってきた菓子人形たちと、ラルゴやセリは、あまりにも違いすぎる。人間的な細かな感情の変化が、顕著だ。

 フィーネだって、白い肌と甘い体臭がなければ、人間にしか見えない。ここまで来ると、大きな嘘をつかれているようにしか思えなくなる。

「俺は、嘘がつけないように作られています。ラルゴは、菓子人形です。どんなに人に近かろうとも。作りものですよ」

『でも、あなただって! まるで、人間じゃないの!』

 サラバントが、立ち止まる。

「俺は、人造人間です。人のように見えたとしても、行動の全ては設定されたものでしかない。俺は、〈エヴァジオン〉の存続を任され、ここにいるのです」

 突き放すように視線を鋭くさせて睨むサラバントに、コーダが僅かに息を飲む。

 びりびりと、肌に伝わってくるのは、苛立ちだ。

 言葉とは裏腹の生々しい感情に、オルビットは納得いかずに、ノイズを走らせる。

「菓子人形たちは食べられるため、娯楽のために生み出された。人造人間は、人に代わってわってシステムの健全な運営を行うため、つまりは奉仕のために造られたんです。それ以上でも、それ以下でもない」

 再び、走り出す。

 通路が終り、開きっぱなしのドアへ飛び込んでゆくサラバントを目がけ、長細い鉄片が投げつけられる。

「無駄なことを!」

 易々と、サラバントは鉄片を避け、すかさず銃爪を引いた。

 乾いた音が、鼓膜を劈く。

 狙いは、完璧だ。

 音速で奔る銃弾が、物陰に隠れようと身を翻したラルゴの右腕を貫通した。

「これで、わかったでしょう、ラルゴ。貴方は人間じゃない」

 たった、一発の銃弾。いや、二発目の銃弾。

 急所を狙わなければ、人の命さえ奪えないような小さな鉛玉が、ラルゴの右手を肘から捥ぎ取ったのだった。

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