3

 緑色の濁った液体が揺れる筒が、幾つも床から生えている、不気味な部屋。

 砂糖窯から牽かれているチューブが持つ熱で、気温は僅かながら高い。

 機械だらけの部屋の中、硬い床の上にごとり、と腕が、転がった。

 悲鳴すら一切なく、呆然とラルゴは、落ちた腕を見下している。

 信じられないと、ゴーグル越しでさえ顔が強張っているのが分かる。落ちた腕は、そのまま、ラルゴが人間でない歴然たる証拠だ。

「サラバントの言うとおり、菓子人形だった。ってわけ?」

 残念――とコーダは肩を竦め、サラバントを見上げた。

 銃をしまい、代わりに蛇腹剣を手に持ったサラバントは、放心しているラルゴに歩み寄って行く。鞭状に展開した刃が、かりかりと床を削った。

「腕……私の、腕が……!」

「これで分かったでしょう、ラルゴ。腕が取れようと、足が捥げようと、血は流れず、痛みすら感じない。貴方は、菓子人形なんですよ」

 血液の代わりにこぼれるのは、砂糖の欠片。ラルゴはゆらり、と上体をふらつかせ、足元に転がる腕を拾い上げた。

「違う、私は人間、人間なのだ!」

 大きく後じさるラルゴは、熱く煮え滾った蜜が流れるチューブに、捥げた腕の断面を押しつけた。

 漂う、カラメルの匂い。

熱でどろっと崩れた断面を、ラルゴは右肘の断面に押しつけ――固定する。

『うそ、くっつけちゃった?』

「人間業じゃないさね」

 関節の機能を無視して、無理矢理くっつけた右手は、だらりと力なく垂れている。

 自由に動かせることはできなさそうだが、ラルゴはそれでも満足そうだ。

 にやりと、吊りり上がる口元には、先ほどまでの動揺など微塵も感じられない。

 いや、むしろ全てを無にしてしまったかのように、サラバントと対峙するラルゴは平静そのものだった。

「私は、人間だ。サラバント、見ろ! この体は正常だろう!」

「なに言ってんのよ、アンタ! さっき、その腕、簡単に捥げちゃったじゃない!」

 往生際悪く、なお、自らを人間だと主張するラルゴに、コーダは嫌な笑いが込み上げてくる。捥げた腕を、熱でくっつけるなんて。

 そんな超人技を持つ人間がいるなんて、知らない。

「メモリーが不要な記憶を、削除したのだと思われます。あの手の菓子人形たちに、何度しつこく言っても通じなかったのは、この機能のせいですか。都合の良い記憶しか、残さない。そうすることで、人間役を務めている。哀れだ、ラルゴ」

「貴様に、同情されるいわれはない! 人に仕えるべき人造人間風情に、なぜ、私が、哀れまなければ……なら、ない?」

 ぶら下がったまま、振り子のように前後に揺れる右手を見て、ラルゴは眉を顰める。

「うまくいっては、いないみたいね」

「何度も何度も繰り返していれば、どこかで支障を来すのは、当然でしょう」

 サラバントは、筒に備え付けられている操作パネルに手を伸ばした。

「リトミック・アルコ博士。この名前に、聞き覚えはありませんか?」

「貴様の、創造主だろう?」

 パネルに数字を打ち込み、サラバントは頷いた。

「ええ、そうです。俺の創造主であり、渡り鳥機関(オワゾー・ド・パサージユ)が進めていた〈D計画〉の一端を担っていた女性です」

 濁った緑色の液体に気泡が現れ、水位が下がる。

 長筒にはいっていたのは、ワイヤーで繋がれた長細い金属。

「なに、これ? 気持ち悪っ」

 筒の中に入っていたのは、背骨だった。

 上方には、脳を思わせる丸い球体がくっついている。

「〈エヴァジオン〉は、人口の減少とともに、娯楽施設としての役割を失い、渡り鳥機関の管理施設となりました。精巧な菓子人形は、〈D計画〉の実験対象としてちょうどよいと、考えられたのでしょう」

 磨かれた硝子を撫で、サラバントは続ける。

「これは、人造人間用の半生体部品です。俺の中にも入っているこの背骨を、リトミック博士は、菓子人形に流用したんです。博士は、人造人間工学の権威でした」

 サラバントの声は、ぞっとするほど機械的に響き、ラルゴは残った左手で、恐る恐る自分の首すじを撫でている。

 ごつごつと隆起した首筋は、骨か――鉄か。

「その、〈D計画〉ってのは、なんなのさ?」

「正式名称は、〈夢見る羊計画〉といいます。人口減少が著しい人類が、自然淘汰から逃れるための計画でした」

「自然淘汰? なぜよ? わざわざ複製を作らなくたって、人間は自分たちで、新しい個体を作る機能が備わっているんでしょう?」

サラバントが、すっと息を吐く。

 嘲笑が唇の端を、わずかに持ち上げていた。

「なにもかも、すべてが永遠であることはできないんです。生殖能力を失いつつあった人類は、人工生殖をはじめとして、より自分たちに近いものを生み出すのに、躍起になっていたのです。それこそ、悪魔に取り憑かれたように」

 サラバントは一歩を踏み出す。迷いのない靴音が、広い工房に響いた。

「人造人間、機械人マシーナリー複製人間クローン電脳生命体フェアリー。あらゆる環境に対応できる新人類を創り出す実験の延長線上に、この世界がある。ラルゴ、貴方のその感情は作られたものなのです。いえ、人間だと思い込むように仕向けられていった、と表現したほうがいいのかもしれない」

「仕向けられた? いったい、誰に?」

 分けが分からない。ラルゴは、呆けた顔で首を傾げ。サラバントはそれを、笑った。

「菓子人形ですよ」

 空気が強ばる。あまりの発言に、呆然と開ききるラルゴの喉からは、悲鳴に近い呻き声しか漏れない。

「どういうこと?」

 代わりに、コーダがサラバントに噛みつく。

「実験の半ば、リトミック博士や他の渡り鳥機関の職員たちは〈エヴァジオン〉から引き上げていきました。いよいよ、人口減少に歯止めが利かなくなり、有能な学者たちが統合政府に招集されたのです。リトミック博士の菓子人形を使った実験は、失敗とも成功とも言えない段階で、中断された」

 サラバントは「はず、だったんですがね」と、砂糖窯が稼働する工房に視線を向ける。

「政府機関の人間がいなくなっても、一般住人はなお、〈エヴァジオン〉で暮していました。しかし、かつてのように菓子人形を消費するような生活ではなくなり、需要と供給のバランスがだんだんと崩れていったのです。その結果――」

「地上世界の、菓子人形たちね。食べ物としての本来の欲求を満たすために、人間を襲って、最後は絶滅させちゃった?」

 鐘の音とともに、凶暴化した白い肌の人形たち。

 コーダの合の手に、サラバントは頷く。

「そうして、人はこの世界からいなくなった。しかし、砂糖窯が可動し続ける限り、菓子人形たちは減らない。むしろ増え続けてゆくばかりで、望みは叶えられることはない」

「だから、なんだって言うのだ。私に、何の関係があるというのだ!」

 サラバントは、蛇腹剣を振り上げた。

「まだ、分からないんですか? 菓子人形たちの欲求を満たすためには、消費側の人間が必要だ。食べられたいと、その本能を満たすために人間役を担う個体が自然発生したんです。人がいなくなったことによって人類の復活を示唆する事象が起こったのは、なんとも皮肉なことですがね」

 うねる刃に、ゴーグルが弾き飛ばされる。現れたラルゴの素顔に、コーダは目を剥いた。


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