2
あきらかな戦闘の痕跡に嫌なものを感じながら、コーダが半開きの扉へと顔を向けたときだ。
高い天井を擦るほどの大きな人影が、転がり込んできた。
燃え盛る座席へと落下した大男は、そのまま、飛び込んだ勢いをつかって通路へと転がり出た。
翻る深緑の軍用コートの裾を目がけて飛んできた蛇腹剣。鋭く長い牙は、炭化した座席シートを粉々に吹き飛ばした。
『危ない! 避けなさいよ!』
鋭い刃に砕かれたシートの破片が飛んでくるのを、コーダはただ突っ立ったまま見ていた。
避けようにも、辺りは炎と瓦礫ばかりで、飛び退く場所がない。そもそも、避ける必要など全然ない。これくらいでは、壊れないからだ。
破片が、ヘルメットを抉って砕ける。
強い衝撃に上体が仰け反るが、ヘルメットが一回転して、少しばかり凹んだだけだ。問題ない。活動には全く支障は生じないから、文句を言われる筋合いはないだろう。
『ちょっと、あんた、ばっかじゃないの! 死んじゃうじゃない!』
「だから、何度も言うようだけど、死なないの。煩いわね、騒ぎすぎよ」
バイザーに入ったヒビから、むわっと熱せられた空気が入り込んでくる。
列車はいよいよ、危なそうだ。システムが壊れているのか、元から装備されていないのか、消火装置は一向に作動する気配を見せない。
「アナタも、菓子人形なの?」
コーダは一歩下がって、通路の上に膝を着いている深緑色のコートに身を包んだ大男を睨みつけてやった。
状況から考えて、列車を破壊した犯人は、この男だろう。見るからに、物々しい雰囲気を滲ませる出で立ちに、友好的なものは一切ない。
「私は、ラルゴ」
目深に被ったフードから、ちらりと覗く顔の半分は、赤黒く光るグラスが嵌め込まれた厳ついマスクで覆われていて、表情は全く分からない。
だが、なにより異様なのは、男の右足だった。
上背のある立派な体を支えるには心許ない、パイプのような義足が生えている。
人と瓜二つな人造人間や、意思を持った菓子までさえ作り出す世界にあって、足の形すらしていない無骨な義足は、奇妙の極みだ。
「旅人よ、私は人間だ」
「いいえ、違います」
蹴り破られたスライド・ドアを踏み越えて姿を現したのは、サラバントだ。
相も変わらず涼しげな表情をしてはいるが、車内に充満する熱のせいか、大粒の汗が頬を滴っている。
「その男は、ラルゴ。菓子人形ですよ、コーダ様」
「ちょっと待ってよ。いったい何が、どうなっているのよ? 〈エヴァジオン〉にいた人間は、みんな死んでしまったんじゃなかったの?」
「私は、菓子人形などではないっ!」
ラルゴと名乗った大男は、通路に転がっている、カラメルに変化し始めた菓子人形の破片を踏み砕きながら、サラバントへと詰め寄る。
がちゃがちゃと、煩い足音は、まるで獣の唸り声のようだった。
「私は、〈エヴァジオン〉に残る数少ない人間の一人だ!」
「いい加減に、夢から覚めたら、どうですか?」
サラバントは、無表情のままラルゴの怒りをやり過ごすや、蛇腹剣を握った右手首を、くるっと返した。
とたん、無機物のはずの刃がそろりと頭を持ち上げ、ラルゴに飛び懸かっていく。
うねるような軌跡は、その名のとおり――蛇。
が、外見からは想像できないほどに、ラルゴの動きは軽い。蛇腹剣を飛び上がって避けるついでに、追従してくる刃を義足で蹴飛ばす余裕さえある。
「凄いわね。曲芸師なのかしら、彼」
『暢気に見物している場合? 今のうちに、逃げましょうよ!』
ラルゴの注意は、サラバントに集中している。
オルビットの言うように、逃げるのならば、今しかなさそうだ。かといって、炎上する列車から脱出する手段があるようには思えない。
それに、だ。
「逃げる前に、確かめなくちゃだめでしょ。彼が、本当に人間なのかどうか」
コーダは、足元に落ちていた鉄片を拾い上げた。爆破の時に壊れた天井の部品か何かだろう。
ずっしりと重い鉄片を両手で持ち、振り上げ、煤けた空気をいっぱいに吸い込む。
体に流れているのは血液ではなく、〈ミラージュ〉を構成する光の靄であり、原動力に酸素など要らない。むしろ、邪魔者だ。
それでも反射的に息を吸ってしまうのは、この体が人間だった頃の名残なのだろう。
『ちょっと、何をする気なの? 戦おうなんて、無駄なこと考えないでよ!』
『そうですよ、コーダお嬢様! 下手に関わって、万が一、命を落とされるようなことがあっては、困ります! それがし、ゴミになるのは嫌ですよ! 廃棄処分なんて、まっぴらです!』
「大丈夫よ。最悪、焼却処分ってところじゃないの? 結構、列車は派手に燃えてるし」
『放置されるなんて、嫌ですぅ!』
オルビットの悲鳴も〈オーヴァチュア〉の抗議も無視して、コーダはだんっ、と柔らかい絨毯を踏みしめ、ラルゴの背中へと思いっきり鉄片を投げつけた。
「余計なことを! 邪魔をするならば、旅人であっても容赦はしないぞ!」
蛇腹剣の鋭い軌跡を避けながら、ラルゴは鉄片を義足で蹴り飛ばした。
「――え、嘘!」
がん、と頭を強く揺さぶられる。
投げつけた時よりも更に勢いを増して戻って来た鉄片が、ヘルメットを掠めた。コーダは、烈しい勢いに、たまらず転がった。
瓦礫が直撃したときにロックが緩んでいたのだろう、頭を捥がれるようにヘルメットが飛び、皮膚が熔けてしまいそうな猛烈な熱が噛みついてきた!
『やだやだ! 燃えちゃう、頭が燃える! 何とかしてよ、パギュール!』
ごろごろと転がったヘルメットは、激しく燃える炎の中だ。救出しようと上体を起こしたコーダは、激しい物音と差し込んでくる影に、動けなくなった。
「この、額のディスク。
先ほどまで、激しい攻防を繰り返していたサラバントの姿が見えない。代わりに、威圧感のあるコートと、分厚い軍服――爆破処理班を思わせる頑丈そうなものを着込んだラルゴが、コーダの前に立ちはだかっている。
ゴーグルの向こうにある目が、コーダの額に張り付いている〈オーヴァチュア〉を凝視していた。
まずい。
そう、コーダが直感したときにはすでに、大きな手がオルビットの悲鳴ごと喉元を掴んでいた。
そのまま、片手で楽々と体を持ち上げられてしまう。
「こら、ちょっと! 離しなさい! アンタ、本当に人間なの?」
『びええっ! コーダお嬢さ――』
べりっと、音が出そうな勢いで〈オーヴァチュア〉が剥ぎ取られる。
「いい加減、諦めたらどうですか、ラルゴ。菓子人形である以上、あなたは〈エヴァジオン〉の外で存在し続けることは、叶わないのです」
がち――と、弾倉を入れ替える音に、ラルゴが肩越しに振り返る。
服を僅かに焦がしたサラバントは、間髪入れずに銃爪を引いた。
鼓膜を破らんとばかりの轟音が、炎に熱される車内を反響して響き、銃弾はコーダを掴む右腕に着弾した。
「うわっ!」
不意に力の抜けた腕から解放されたコーダは、尻から絨毯の上に転がった。
「手強いな、サラバント。やはり、貴様を捕まえるのは難しい。だが、この身分証明板があれば、お前を頼る必要もない」
きらりと青く光る〈オーヴァチュア〉をコートの内ポケットにしまい、ラルゴは唯一、感情の読み取れる口元を緩めた。
「申し訳ないが、これはオレが貰ってゆく。運がなかったと思って、諦めて欲しい」
「待ちなさい、え、ええっと、ラルゴ!」
銀色の義足で床を蹴ったラルゴは、長い手を天井の亀裂に引っかけ、腕力にものを言わせて車外に消えた。
『本当に、曲芸師みたいね』
「暢気なこと言っている場合じゃないわよ、オルビット。ポンコツを盗られちゃうなんて、冗談じゃない! あれがなくちゃ、アタシだって、ここから出られないんだからね! こんな不気味な世界にずっといなくちゃならないなんて、考えたくも無いよ!」
熱風に煽られていた髪が大きくうねり、常時、コーダを体を包んでいた淡い輝きが強さをぐんぐん増して行く。
「なにをするのです、コーダ様」
「追いかけるのよ。当然でしょ!」
淡く光る〈ミラージュ〉に押し出されるようにして、コーダは跳んだ。
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