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 身長三つ分ほどもある高い天井の亀裂に体を滑り込ませ、車外へと躍り出たコーダは、咽せ返るような濃い甘い匂いに、激しく咽せた。

『なによ、これ、気持ち悪い!』

地上部の、ドームをそのまま反転させたような地下部の側面を、螺旋状に巡るレールに、白い影がびっしりと、それこそ、アブラムシのように張り付いていた。

 火の粉と一緒になって飛んでくる細かな鉄片に混じる、焦げた砂糖の匂い。

 何十体もの菓子人形が、レールと車輪の僅かな隙間へと身体を捻り込んで、列車の勢いを必死になって殺す異様な光景に、コーダはぶるりと体を震わせた。。

「これが全部、菓子人形?」

 顔はあるが、目も鼻も口もなく、衣服すら纏っていない白い木偶のマネキン。おそらく、人形としての形に加工される前の素体たちだろう。

「ラルゴ、アナタは本当に人間なの! アタシは人間に聞きたいことがあるの!」

 背中に強風を受けながら、コーダは飛ぶように走った。

 がたがたと激しく揺れる列車の屋根を、ラルゴは後部車両に向かって早足で進んでいた。

『ちょっと、気をつけなさいよ! こんな高さから落ちらたら、さすがに死んじゃう』

「わかってるから、静かにしていなさいよ!」

宇宙服に守られていたって、さすがに、この高さだ。肉体は、収拾不能なほど、ばらばらに砕け散るだろう。

 それは、正直にいって、困る。

 不安定な足場、不安定な偽足のハンデを感じさせない歩みで、どんどん進むラルゴは、肩越しにコーダを振り返った。

「余所者であろうとも、邪魔をするならば、容赦はしない! 菓子人形たちよ、お前たちの主を守れ!」

ラルゴの掛け声と共に、レールに群がっていた素体たちが一斉にコーダへと顔を向けた。

 目がないのに、背中がぞわっと捲れ上がるような視線を感じる。「まずい」と、直感が足を止めさせたとたん、一体の素体が飛びかかってきた。

『なんとかしなさいよ、パギュール!』

コーダは体を包んでいる〈ミラージュ〉を半液体状ジェルになるまで固めて、襲いかかって来る素体を砕いた。

 が、一体を仕留めても次が、更にその次が。

 後ろからも、四つん這いで無数の素体たちが、にじり寄ってくる光景が見える。

「際限(きり)がないわよ、これじゃあ!」

 ジェル化させた〈ミラージュ〉が、徐々に小さく萎んでゆくのに、コーダは舌打ちをした。

〈エヴァジオン〉は、全体が正八面体の隔離都市だ。

 地上部に広がる空は偽物で、外で待機している〈ミラージュ〉の姿はない。ゆえに、濃度が薄まりすぎても補給ができない、というわけだ。

 体内の濃度が薄くなりすぎると動けなくなってしまうし、宇宙服に蓄えている分にも、限度がある。

「援護します、コーダ様!」

 銃声が響く。サラバントだ。

 右手に蛇腹剣を、左手に拳銃を構え、素体を次々と壊してゆく。

「感謝するわ、サラバント!」

 素体たちの勢いが若干だが弱まるのを見て取って、コーダはジェル化させた分の〈ミラージュ〉を、一気に解き放った。

 散弾銃と化した金色の靄が、素体たちを吹き飛ばし、蜂の巣に砕いてゆく。

『いっけぇぇ、パギュール!』

 降りかかってくる破片を拭って、強く、列車の天井を蹴ろうと踏みしめた、その時だ。

「ひゃあっ……!」

 車輪にしがみついていた素体の数が減ったせいか、列車の速度がぐんと上がった。不意を突かれたコーダは、バランスを崩して、屋根の上に腹ばいになる。

「大丈夫ですか、コーダ様」

 走り寄ってきたサラバントに頷こうと顔を上げたコーダは、突然、びゅうと吹き付けてくる横風に煽られた拍子に、舌を噛む。

「こんろは、いっひゃいなんなのよ!」

 痛みはない。だが、痺れて呂律が回らない口で、文句を垂れる。ここは娯楽施設のはずなのに、なんでこうも気が休まる時がないのだろう。

「〈コンフィズール〉への、連絡列車ですね」

 金色の列車と併走する、二両編成の列車。

 中途半端なデフォルメをされた動物のレリーフで作られた案内板には〈遊園地行き〉と描かれている。

『……か、可愛いじゃないの』

 絵の具を目一杯に絞り出した出したパレットを、思いっきりぶん投げたように、賑やかすぎる色合いの車体。オルビットの美的感覚にばっちり嵌り込んでいるようで、うっとりと呟く。

 悪趣味だと詰(なじ)ってやろうと思ったコーダは、「パパ!」と響く少女の声に顔を上げた。

「パパ、早く!」

 併走している連絡車両から、少女の高い声が響いた。

 いっぱいに開かれた窓から身を乗り出しているのは、ラルゴと揃いの深緑コートに着られている少女だった。

 ゴーグルはしていないが、形の良い頭を包帯でぐるぐる巻きにしている。

『ねえ、パギュール。あの子!』

「フィーネにそっくり、なんで?」

 長い睫毛、青い大きな目。

 ふっくらとした愛らしい紅色の唇の形も何もかも、フィーネにそっくりだ。

 違うところといえば、豊かな金色の髪がないのと、肌の色だけ。ラルゴをパパと呼ぶ少女の肌は、僅かな赤みが差しているように見えた。 

「たとえ身分証明板I・D・Dを使って、外へ出たとしても。完全管理されていない外の世界で、貴方たちは生きていけない。なぜ、分からない。己が人間でないと、認めなさい。自分たちもとうに狂ってしまっている現実に、いい加減に気づいたらどうですか!」

 銃弾が飛ぶ。

 しかし、ラルゴへと届く前に、素体たちによって阻まれ、届かない。

「狂っているのは、お前のほうだ、サラバント!」

 実弾によって砕かれた素体たちを一瞥し、ラルゴは右の義足で天井を蹴った。少女の待つ連絡列車の屋根に着地し、すぐさま牽制の銃爪を引く。

「菓子人形が、菓子人形同士で殺し合う。ここはもう、楽園ではない。人の住む場所でなくなってしまっている! なのに何故、お前はシステムを意地し続ける? 秩序など、もうどこにも残ってはいないというのに!」

ラルゴが放った銃弾は、サラバントではなく、レールの切り替えポイントを撃ち抜いた。

『凄い! 当たったわよ!』

 這いつくばったまま、コーダは連続して同じ場所に着弾させるラルゴを、まじまじと見つめた。

 凄い、当たった! なんて驚くようなことじゃない。こんな、化物じみた精度、人間では、とうていあり得ない。

「ラルゴ! アナタは、本当に人間なの?」

 ぐっと、大きく振られる列車。

 あっという間に離れて行く連絡列車へ、無残に残された素体たちが、追いすがろうと次々と宙に身投げして行く。

「菓子人形も、人造人間も、糖蜜花も! 更には、私たちを見捨てた政府も! 何もかもが、私は憎い! この感情は人間たる証だ」

 ぐんぐん、上昇して行く連絡列車。薄暗い地下部のだだっ広い空間の中で、ラルゴの笑い声だけが谺する。

 あまりにも感情的で荒々しい声は、絶叫に近い。

「ご安心を、コーダ様。行く先は、知れています」

 コーダを乗せた金色の列車は、連絡列車から遠ざかるように下へと向かって走っている。

 割れた窓から吐き出される黒煙は、一向に収まる気配を見せず、車内はいまだ炎上しているようだ。

 しかし、サラバントは動揺することもなく、コーダに天井を指さして見せた。

「〈エヴァジオン〉から出る。つまり、環状列車〈アンフィニ〉に乗るには、あの遊園地に行くしか、手がいのですからね」 

 形の良い指先は氷柱のような建物群――遊園地〈コンフィズール〉を指さしていた。

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