第五章 氷砂糖湖と砂糖漬けの女

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 メッキか、本物か。

 銀色の扉を蹴破って飛び込むと、眼前に広がっているのは白い砂浜だった。

 グラデーションの掛かった藍色の空はスクリーンでなく、滑らかな光沢を持った布が、天井から幾つもぶら下がっている。布地に開けられた穴から差し込んでくる光は、星の変わりなのだろう。入り込んでくる僅かな外気に、ゆらゆらと瞬いている。

 本物と見まごうばかりの星空を作り出せる技術があるのに、わざとらしい飾り付けは、かえって不気味だ。

『なんだか、寝室みたい』と、オルビットが甲高い声をあげた。暢気なものだ。後ろからは素体たちが列を作って追って来ているというのに。

 辿り着いたのは、〈十二月デザンブルの塔〉だ。とても静かな広い空間に、微かな波の音が聞こえていた。

 確かに、ゆっくりと眠るのならば、ここほど気持ち良さそうな所もないだろう。

「この砂浜も、砂糖なのね。どこへ行っても、お砂糖、お砂糖、お砂糖! 人間は食い過ぎじゃなくて、糖尿病で死んだんじゃないの?」

「残念ながら、糖尿病ぐらいなら、治療する技術はありました。さあ、進みましょう」

 後ろからは、素体たちがぞろぞろ列を成して着いてきている。狭い道を、お互い同士を削りあいながらの行進だが、見た目のおぞましさとは裏腹に、歩みは遅い。

「最初は不気味だったけど、なんだか愛らしいじゃないの。見たまんまってのが、いいね。安心する」

 人間の振りがいきすぎて、見た目から中身までそのものにしか見えないのに偽物なんて、これほど不気味なものも無いだろう。

 サラバントの後を追って部屋の奥へと進むと、湖がコーダの行く手を遮った。海、そう言ってもおかしくないほどの広さがある。

『向こう岸が見えないわね』

 深くはないが、歩いて進めば全身がずぶ濡れになってしまいそうだ。

 ごくごく浅い湖で、底にある白い砂がよく見える。

「〈十二月の塔〉の目玉である氷砂糖湖シユガーレイクです。桟橋にボートが繋いでありますから、それに乗って素体をやり過ごしましょう。着いてきてください、コーダ様」

 サラバントが、急かす。

 振り返れば、素体たちは扉を蹴散らして施設に入ってくるところだった。

 仲間のことなどお構いなしにどんどん進んでくるので、入口付近で躓いて、白い団子になってしまっていた。

『やだ、下の方潰れてない?』

「心配したって、何にもなりはしないさ。行きましょ」

 肩を竦め、コーダは先に桟橋へと昇ってゆくサラバントに続く。

 ボートに飛び乗ると、衝撃に上下に振れた船底が湖の砂を巻き上げ、透明度の高い水が白く濁った。堆積しているのは、砂浜と同じ砂糖の粒なのだろう。

 コーダは動き出したボートに構わず、縁から身を乗り出して、湖の水を両手で掬う。躊躇うことなく唇を付けると、じわりと甘い味が口腔に広がった。

「砂糖水ね、これ」

『まさか、ここにある砂糖全部が菓子人形だったりしないわよね? 嫌だわ! なんてもの、飲んでくれたのよ、パギュール! 気持ち悪い!』

「気にしなければ、結構、美味しいのに」

 ボートはスクリューを回し、湖の中心へと向かって進む。

 岸にはたくさんの素体たちが、何もできずに呆然と立っていた。むやみやたら、自我もなく突き進んでくるとはいえ、さすがに水は恐いらしい。

「このまま、対岸までいきます。〈一月の塔〉へと渡って、そこから再びカリヨン主塔に戻り、上を目指しましょう」

 船尾に立ち、湖の向こうを見つめていたサラバントの尻尾が揺れる。不穏な動きにコーダが顔を上げると、真っ直ぐ進んでいたボートがゆっくりと進路を変えているのに気付く。

「どこへ行くの、サラバント?」

 水平線の向こうに僅かに見えていた対岸と併走するよう、ボートは進んでいた。サラバントは操作パネルをのぞき込み、細い指を走らせる。しかし、進路は変わらない。

「〈環境管理システム〉から、直接設定されているようです」

 コントロールできない、と。サラバントは舌を打つ。

 ボートはゆっくりと進み、〈立ち入り禁止〉と印字されているアーチを潜った。湖は相変わらず広大で、天井は美しい藍色の布が敷き詰められていた。

 表と全く同じ景色が広がっているが、違うのは、あちらこちらに中州があることだろう。

 氷河のような中州の上には、様々な形をした屋敷が建っている。

「ここは、プライベートスペースです。居住権を買い、一般人から要人まで、多くの人間が過ごしていました」

 物珍しくてきょろきょろと辺りを見回すコーダに、サラバントが案内をする。いつもと代わらない冷静な声は綺麗に響くが、僅かな動揺が滲んでいるのに気付く。

 サラバントは、とある一点をずっと見つめていた。

 かつての地球に建ち並んでいた、様々な国の建築物を一挙に集めたような、賑やかすぎる景色の中で一際目立つ、大きな木製の屋敷。

 腐敗から守るためか、単なる趣味か。

 周囲を硝子でかこまれた屋敷を、サラバントは強ばった顔で見つめていた。

「あの建物、知っているの?」

 ボートは真っ直ぐに、その硝子張りの屋敷を目指しているようだった。

 見えざる意思は、どうやらここに自分たちを招きたいらしい。

 コーダは立ち上がって両腕を組み、屋敷を睨み付けた。二階建ての洋館は、年月を感じさせるためのアンティーク加工が施されていて、なかなかに味がある。

「……あの屋敷は、リトミック・アルコ博士のご自宅です」

 僅かな間があって、サラバントが答える。

 ボートはサラバントの動揺などお構いなしに、岸に当たって停止した。スクリューも止まり、エンジンの僅かな振動も止まる。

 サラバントが操作パネルをいくら叩こうと、うんともすんとも動く気配は見せない。完全に、全てが停止していた。

「行くっきゃ無い、でしょ?」

 コーダはボートの縁を蹴って、中州に降り立つ。

 砂浜よりも僅かに固い感触は、砂糖の粒が大きいからだろう。砂利のような氷砂糖が、陸地を形成している。

 なかなか降りようとしないサラバントを振り返って、促す。いつまでここにいたって何が変わるわけでもない。

「アナタを呼んでいるのよ、行かなくちゃ」

 早くと手を振ると、サラバントは気乗りのしない顔でボートを降りた。こころなし、顔色が悪いように思える。

(人造人間が、顔色を変えるなんてねぇ)

 いけ好かない〈アンフィニ〉の車掌は、自分の首を吹っ飛ばしてもなお、楽しそうに笑うようなイカれた道具なのに。

「さぁて、中に入ってやろうじゃないの!」

『気をつけなさいよね、パギュール!』

 腕まくりをする真似をして、コーダは硝子の扉を押し開ける。密閉され、すこし淀んだ空気が頬を撫でる。随分と、外気から遠ざけられていたようだ。

 踏みしめれば、じゃりじゃりと煩い氷砂糖を蹴散らしながら、細かな彫りが美しい扉の前に立つ。

『すごい、木でできてる。宇宙じゃ、有機物で建物なんてつくらないのよ!』

 扉に手をかけると、〈ミラージュ〉の光が強くなる。オルビットが木材に触れようと、身を乗り出しているのだろう。

「開けるわよ、サラバント」

 後ろに控えるサラバントに一応声を掛け、コーダは両開きの扉を押し開けた。

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