2
気合いを入れすぎて軋む蝶番の音が、無人のロビーに響く。
高い天井からぶら下がっている飾り照明から降り注ぐ白い光に、床に敷き詰められているタイルが、ねっとりとした光沢を揺らした。白と黒のタイルは、渡り鳥である燕をかたどったモザイク画を、床に描き出している。
中に一歩進んだところで、ブーツが固形物を撥ね飛ばした。よくよく見れば、当たったのは、中州を作る氷砂糖のようだ。
「先に、誰か来たようね」
うっすらと埃の積もる床の上に転がる粒は、新しい。
「おそらくは、奥の個人研究室でしょう。何かしらの目的があってこの屋敷に来たというのなら、行く所は、そこしかありません」
「リトミック・アルコの研究室ね。確かに、食堂やら寝室やらに行ったってしかたないものね。案内、してくれるんでしょう、サラバント?」
返事の代わりに、サラバントが先頭を切って歩く。
背中を向けられていても、緊張しているのは、耳と尻尾の動きでよく分かった。些細な感情の変化もさることながら、人工機関の動きもまた、自然で滑らかだ。
「確か、リトミック博士は統合政府に呼び戻されたのよね? なぜ、アナタのような精巧な人造人間を、一緒に連れて行かなかったの?」
サラバントは、振り返らない。
二階へと上がる螺旋階段の脇にある、懐古主義らしい古ぼけた作りのエレベーターの操作パネルを、無言で弄っている。
どうやら、研究室は地下にあるようだ。
「人間が再び〈エヴァジオン〉に戻ったとき、町の機能が維持できていなかったらお困りになるでしょう? それに、俺のような人造人間は、レシピさえあれば、同じ行動、同じ思考をする個体が、どこでだって作れるのです。換えの効くものを連れて政府に戻るなんて、余計な手間でしかない」
『ねえ、あなたは、それでいいの? 捨てられるなんて、可哀想よ』
「人造人間に同情なんて、もったいない。俺は〈エヴァジオン〉の維持管理という重大な仕事を仰せつかっています。道具にとって、これほど喜ばしい務めはないんです そうでしょう?」
同意を求めるサラバントの顔には、笑みが浮かんでいる。
痛々しい、自虐の笑みに見えるのは、同情をおぼえているからなのか。オルビットが納得いかないと、ノイズを放つ。
「住人は死んで、人間が帰ってくるかどうかは、分かったもんじゃない。むしろ、戻ってこないと考えたほうが、現実的よ。ねえ、それでも続けてるの? サラバント、アナタは無駄なことをしているんじゃないの? そもそもアナタは誰のために、この世界を守っているのさ?」
――チン。
ベルが鳴り、蛇腹状の安全柵が解放される。
「……では、他に、どうしろと?」
琥珀色の照明に飾られた、狭いゴンドラには大きな姿見が設置されていた。
鏡に映る己の姿を睨み、サラバントは吐息を混ぜた声で呟く。あまりにも小さく、弱く。聞き逃してしまいそうなほどの声だった。
「俺は、人造人間であって、人間じゃないんです。他に、存在の仕方を知りません。認めたくはないですが、菓子人形と同じだ。道具として生み出された以上、必要とされることでしか、存在を保てない。道具であるがために自壊すらできないなら、存在し続けるしかないでしょう?
サラバントはすぐに顔から表情を消し、エレベータに乗り込む。向けられる背中は、追及を拒んでいた。
コーダは「しかたないな」と、肩を竦めた。答えたくないものを強引に聞き出すには、骨の折れる相手だ。
騒ぎ立てたって、無駄だろう。
「紛い物でも、個として存在する命でさえ支配しようとする。ねえ、オルビット。人間ってのは、本当に、図々しいものね。いなくなっても、存在の足跡が残り続けるなんて、ずいぶんなホラーよ」
『失望した?』
「まさか、むしろ余計に興味がわいてくるってものさ。合理的であるようでいて、非効率。なんて、ちぐはぐな存在なんだろう」
コーダが足を踏み入れると、重みでゴンドラが揺れる。
ぎしぎしと軋むワイヤーの音に混じり、オルビットはコーダにだけ聞こえるように、そっと囁いた。
『菓子人形にとって、人間は創造主。つまりは、神に等しい存在。なら、なにも、おかしい話じゃない。彼らは、人間に支配されているんでなく、人間に支配されたいのよ。そうね、サラバントの言うように、同情なんて要らないのかもしれない』
存在理由を自ら作り出した菓子人形たちが蠢くこの世界は、『ある意味、完成した社会なのかもしれない』と、感慨深げにオルビットが呟いた。
◇◆◇◆
地下二階。
エレベーターと同じ、油ランプを模した柔らかな電飾が続く長い廊下を、黙々と歩く。
脇道のない直線は、どこまでも続いているようで、先が見えない。実際には、さほど歩いていないのだが、感覚的には、随分と歩いてきたようにも思えた。
いつまで、歩き続ければ良いのか。
薄暗い通路はどこも似たような作りで、すぐに飽きてしまったが、歩く以外にすることもなく、コーダは盛大な欠伸を漏らした。
むろん、振りだけだが。
「リトミック・アルコ博士。女性、人造人間最高技師であり〈渡り鳥機関〉が進めている〈D計画〉推進派。サラバントの創造主」
『なかなかの、キャリアなんじゃないの?』
感心しているオルビットとは対照的に、コーダはリトミックの人物像をすっぽり覆い隠してしまっている多すぎる経歴に、唸る。
統合政府のデータベースと繋がっていると自称する〈オーヴァチュア〉がいれば、もっと焦点を絞れるのだろうが、無い物ねだりをしたって、どうにもならない。
「サラバント、アナタはここで、リトミック博士と暮していたの?」
「ええ、博士の助手をやっていました。もう、ずっと昔の話ですがね」
答えるサラバントの顔に、郷愁の色はない。努めて冷静さを保とうとしているような、そんな堅さだけがある。
お化け屋敷を怖がる子供のように、過剰ともいえなくもない反応だ。
どうにも只事じゃなさそうだ――と、訝しんでいるコーダの視線に、小さな人影が差し込んだ。
「待っていたわ、サラ」
振動するのは、フィーネの声だ。
「どういった悪戯ですか、マスター」
コーダとサラバントを出迎えたのは、フィーネではなかった。
薄汚れた深緑色のコートを羽織ったセリが、研究室へと続く扉の前に立っていた。
「アタシの円盤は? どこへやったの」
サラバントを押しのけ、セリに詰め寄る。
喉元を引っ掴んで、額がくっつくほどに顔を寄せても、セリは長い睫毛の一本たりとも動かさない。
「ごめんなさい、コーダ。もうしばらく、預からせてください。全てが終わったら、必ず返しますから」
やんわりと、胸を押してくるセリの……フィーネの敵意のなさに拍子抜けして、コーダは手を離した。
代わりに、サラバントが一歩さっと前に出る。
「……全て? マスター、貴女は何をしようとしているのです?」
「ねえ、サラ。やっぱり貴方は、ここにいるべきではないのよ」
薄ぼんやりとした廊下に、強い光線が走った。
研究室から差し込んでくる容赦の無い強い照明が、微笑を湛えたセリの歪な姿を闇からくっきりと浮き立たせる。
「貴方こそが、リトミック博士の研究の最終形態。〈D計画〉が残した、人間たりうる可能性を持った、因子」
フィーネは「さあ、中に入って」と、踵を返す。髪の代わりに形の良い頭を包む白い布を靡かせ、光の中に消えて行った。
「人間たりうる可能性、ね」
ちら、とサラバントを仰いだ。鋭い目をさらに補足させ、フィーネが消えて行った光をじっと睨んでいるばかりで、動こうとする気配は感じられない。
「早く、行くわよ! じっとしていたって埒が明かない、でしょ? アタシには、アナタたちと違って、時間がないんだから!」
『ちょっと、もう少し空気を読みなさいよ!』
決められている滞在時間を過ぎれば、容赦なく置いて行かれる。すこしでも、ぐずぐずしている暇はないのだ。
コーダはサラバントの腕を掴み、研究室へと慌てて飛び込んだ。
「なに、ここ? 本当に研究室なの?」
壁一面、棚で囲まれた手狭な部屋の片隅に、ビニールの帳が掛けられた、大きなベッドが置かれていた。
埃っぽかった屋敷と反して、研究室の空気はとても新鮮だった。森の中にいるような、そんな錯覚を与えているのは、ベッドの脇に置かれている機械だ。空気清浄機のようなものだろうか。
強張るサラバントの手を離し、コーダはベッドの側に立つフィーネを睨む。もったいぶられるのは、面白くない。
「アナタは、いったい何を見せてくれるの?」
フィーネは口元だけを持ち上げて微笑み、ビニールの切れ目に手を掛けた。
「〈エヴァジオン〉に残る、最後の人間です」
ビニールに囲まれた聖域の中、真っ新のシーツの上に置かれた棺の中に、短く刈られた金色の髪を持つ女が横たわっている。
「リトミック・アルコ博士? どうして、ここに……」
背後で、息を飲んでサラバントが後じさった。
コーダは意を決してベッドへ近づき、横たわる女の頬に触れた。
確かな弾力があるが、生命の証である体温を感じない。白い棺に詰められているのは、大量の砂糖のようだ。
「人間を、砂糖漬けにしたの?」
血の気を失った、薄紫色の肌を飾るように、砂糖でできた花が鏤められている。永遠に腐ることのない死体は、どこか、フィーネとセリに似ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます