5
長い通路を、延々と歩いて辿り着いたのは木材で作られた巨大な建物だ。
カリヨン主塔ではなく、〈コンフィーズール〉の何れかの施設だろう。
思考以外の自由の全てが封じられたまま、セリは逃げることも叶わず。フィーネの背中を、大人しく追うことしかできなかった。
「ここ、どこ?」
古びた、木の匂いがする。〈エヴァジオン〉の、どこにもない、嫌味の無い天然の匂いだ。
どこか、懐かしさも覚える匂いに、セリは眉を顰める。既視感が、とても気持ち悪かった。
フィーネはセリに答えず、黙々と、廊下を進む。
屋敷の奥へ、奥へと進んで行くにつれ、セリは何とも言えない息苦しさを感じ、喉を鳴らした。
木の匂いと一緒に体に染みこんでくる不安に、目がまわりそうだった。
(わたし、ここを知っている? どうして?)
ラルゴに、連れてこられた覚えはない。
コンブィズールは全ての施設が開放されているわけではなく、行ける場所が限られていた。
「私は、カリヨン主塔を昇ります。貴女にはまだ、やってもらいたいことがある。ごめんなさいね、全てが終わったら、解放してあげる。残りの時間を、どうか貴女の好きな人と過ごして頂戴」
フィーネが、両開きのドアを押し開ける。
「あ……ああっ、ここ、嫌だよ!」
薄暗い廊下に差し込む、強い照明の光。
かち、こちと。規則的な歯車の音。
攻撃的な銀色の反射が、セリの肌をちりちりと抉った。
◇◆◇◆
鐘が、鳴り響く。
地下部では、カリヨン主塔の鐘は鳴り響かないはずだ。
幻聴か。
ラルゴはのしかかってくる素体を蹴り飛ばし、立ち上がった。
加工前の素体たちが、工房いっぱいににひしめき合っている。
眩しいまでの白の中で、目立つだろう黒づくめのサラバントの姿はどこにもない。勿論、コーダの姿もなかった。
とはいえ、行き先はすぐに分かった。
上階へと昇るエレベータとは反対の方向、外へと出る扉の前に、破壊された素体が山となって積み重なっている。
「外へ逃げたか」肘の先から無くなった右手を抱え、ラルゴは唇を噛みしめた。
血の流れない、腕。
痛みを伝えない、神経。
今の今まで、隠していた欲求が、体の内側を焦がすのをラルゴは自覚していた。
食べられたい。
菓子人形の本能であり、至上の幸福であるその行為。
おぞましい、とても、おぞましい感情だ。
同じ肌の色をした同胞たちは、みんな菓子人形によって、目の前で殺されたというのに。己を襲う衝動が、気持ち悪くてしかたなかった。
「――違う」
出てくる気配のない涙の代わりに、ラルゴは喉が裂けるほどの悲鳴を上げた。
「違う、私は人間だ! 菓子人形なんかじゃない!」
群がってくる素体を、手当たり次第に投げ飛ばして行く。見た目よりも軽く、脆い砂糖の塊は、簡単に壊れて砂礫となる。
こんな木偶人形と、一緒なのか?
肘から先がなくなった右腕を抱え、頭を振った。
「違う!」
作られた感情だというのなら、なぜ、こんなにも苦しいのだろう。
咽せるほどに甘い匂いの漂うなか、ラルゴは素体たちをぐるりと見回した。
人として形を整えられた後、行動プログラムを書き加えられ、地上へと出荷されて行く玩具たち。
いずれ狂い、おなじ菓子人形に喰われることを望むようになる。哀れな、存在。
狂いに狂い、共食いすることでしか己を保てない歪んだ世界のなかで破壊し合うのが、行き場を失った哀れな存在たちの運命の末路だ。
「セリ、セリ! どこにいる、私の娘だ。どこにやった!」
義足で、足元に蠢いていた素体を蹴り潰す。
地上でサラバントを探している時、菓子人形に襲われていたセリを助け出した。
僅かに赤みがかった肌の色に、同じ仲間だと思ったのだ。
なぜ、娘としたのか、ラルゴにも己の本心は分からない。
ただ、しがみついてくる小さな手が愛おしくてたまらなかったのは、本当の気持ちだ。 硬化症の兆しが現れ、セリが菓子人形であると分かっても、他の菓子人形のように嫌悪の気持ちは湧いてなど来なかった。
そう、特別な感情だ。作られたものであるはずがない。
「……セリ」
このまま、乾いた世界にいてはいけない。硬化症は、菓子人形にとって不治の病にひとしいものだ。
「円盤が、必要だ。濃紺の、美しい身分証明板。手に入れるためならば、どんなことでもしよう」
一歩踏み出した義足に、カツン、と何かが当たる。
視線を下げてみれば、サラバントに吹き飛ばされたゴーグルだった。ラルゴは隙あらば飛びかかってくる素体を砕きながら、ゴーグルを拾い上げた。
セリが賢明に磨きだした滑らかな金属面に、己の醜い素顔が映り込んでいる。
腐りかけた、
饐えた臭いをゴーグルで塞ぎ、ラルゴは歩き出した。
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