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 アーチを潜り、急傾斜の長いエスカレーターで地下へと潜る。かつては人でごった返しただろう地下鉄ウーバーンへ続く道も、誰も居らず、ひっそりと静まり返っている。

 湿った空気は、まるで墓地のようだ。

「地上にいる菓子人形達は、ここまで追ってくることはできないので安心してください」

「地上に……ってことは、地下にもあれがいるの?」

「ええ、どこにでも彼らはいます。人がいなくなった今でも、機械は作動し続け、菓子人形は増え続けています」

 銃を仕舞い、振り返ったったサラバントが、まぶしそうに¥目を細めた。

 明るいところではわかりにくいが、コーダの体は常にまばゆい光に包まれている。

 枯れた肉体を充たしている〈ミラージュ〉の光が、全身にある毛穴から徐々に漏れ出ているためだ。

「なんだろう、水の匂いがするわ」

「下水管が破損して、構内に流れ込んでいるのです」

「なんてこと! 下水?」と、白い宇宙服が汚れるのではないかと心配するコーダに、サラバントは「大丈夫」と返す。

「構内に溜まっている水は、浄化された水ですから、下水といえども、飲んだって支障はありませんよ。臭いだって、しないでしょう?」

『サラバント殿が仰るように、下に溜まっている水は、とてもとてもとても、綺麗でございます! さすが、至上の楽園と謳われていた〈エヴァジオン〉ですね! 性能の良い浄化機能をお持ちのようだ、素晴らしい! 微生物の一つも存在していません』

 高くとられた天井に反射して円盤の陽気な声が響くのに、コーダは「煩い!」と怒鳴って、返ってくる自分の声にたまらずに耳を塞いだ。

「それで、サラバント。アナタはどうして、見ず知らずのワタシたちの面倒を見るの? アナタはシステムを管理するだけで、案内人ってわけじゃないでしょう?」

「何故と、その点を突っ込まれると、困りますね」

 先にエスカレーターから降りたサラバントは、ぱしゃりと水を踏んで、白いタイルで舗装された構内に降り立った。

 防水性のブーツを濡らす水は、脹脛ほどもあった。体の小さいコーダでは、膝まで浸かってしまうかもしれない。

 サラバントは、後に続くコーダに向かって手を差し出してきた。掴まれと、いうことか。

「確かに俺は案内人ではありませんが、人造人間は、菓子人形と同じように他者に尽くすために存在するのです。コーダ様をお助けするのは、俺にとって当然の行為なのですよ。特に、これといった理由はありません。必要であれば何なりと、お訊きくださってけっこうですよ」

「そう。まあ、いいわ。お礼は言っておくわね、サラバント」

 サラバントは宇宙服の重さをものともせず、腰を掬い上げるようにしてコーダを横抱きにした。

「お姫様みたい」と手を叩いて喜ぶと、サラバントが口元を緩める。作り物とは思えない、とても自然な動きだ。実は人間だったと、そう言われれば信じてしまいそうなほどに。

「ほんとうに、貴女は人間ではないのですね。脈も呼気もない」

「中身以外は、人間のものだけどね」

 宇宙服も、その中にある肉体も宇宙で拾った時のままだ。コーダはサラバントの腕の中にすっぽりと入り込み、足をぶらぶら揺らす。 

「同じ言葉、そっくりそのままアナタに返すわ。他にも人造人間を知ってるけど、動作がいちいち嫌みったらしくてさ。サラバントみたいに、親切なやつは一人もいなかったね」

 辺りを見回すコーダの視線が、壁に掛けられた白い布へと移った。薄暗い中で、やたらと目立っている。

「これは、企業広告を映し出すスクリーンですよ。人がいなくなった今、とくに必要もないので、消灯しているのですが……折角ですし、明かり代わりに作動させましょう」

 サラバントは壁に近づき、爪先で軽く叩いた。

 沈黙を保っていたスクリーンにぱっと明かりが灯り、長い通路を照らし出した。

 埋め込み式のスピーカーから響く弦楽器の音色に合わせ、スクリーンを流れて行く美しい色の洪水は、地球の様々な景色を記録した映像だ。

 今は、鮮やかな青い空が映し出されている。

 スクリーンと一緒に、床がゆっくりと動き出した。どうやら、動く歩道オートウォークだったらしい。 伸びをするようにガタガタと震動し、溜まった水の中でゆっくりとステップが動き出す。

「ねえ、サラバント。あの鐘は、いったい何だったの? なんかこう、怪しい電波でもだしているの?」

 次々と移り変わる景色から目を離すことができないまま問うと、サラバントは「いいえ」と笑った。

「あの鐘は、お茶の時間を知らせるものです。ただの、時報ですよ。一日に、二度。午前中は十時に、午後は三時に打ち鳴らされます」

「お茶の時間が、なんであんな乱闘になるのさ」

 鐘の音が鳴ったとたん、誰も彼もが表情を一変させたのだ。菓子人形達の日常をしっかり観察したわけではないが、異常事態であるのは明白だった。

 お茶の時間だといわれても、納得しづらい。

「俺たちにとっては乱闘ですが、菓子人形たちにとっては、お茶の時間なんですよ。おかしな話ではありますがね。かつて、まだ〈エヴァジオン〉が娯楽の都として栄えていた頃です。組みカリヨンの鐘の音と共に、人間たちは仕事や遊びの手を止めて、傍らに侍らした菓子人形を食べていました」

「まさか、その時の……食べられていた、恨み? 今度はこっちが、お前を食べてやるってこと?」

 両手を持ち上げ、「がおー」っと吠えると、サラバントは声を漏らして笑った。あまりにも自然な反応に、思わず、コーダは整った顔をじっと見つめていた。

「いいえ、違います。人のために作られたモノが、どうして創造主を怨むことができましょうか。菓子人形たちは、ただ、ひたすら飢えているだけなのですよ」

 サラバントは、「俺も似たようなものですが」と肩をすくめて続ける。

「食べられたいという本能のままに、彼らは動いている。菓子人形たちは、食べ物であるという己のアイデンティティを維持するために、捕食者を探し求めているだけにすぎないのです。結果的には暴力的な行動になってしまってはいますが……彼らには、善意も悪意はない」

 動く歩道を降り、更に下へと続くエスカレーターに乗る。

 しばらくして、サラバントとコーダは、消灯された広いホールに行き着いた。改札口だ。

 サラバントの腕の中で、コーダは「懐かしい」と天井を見上げて呟いた。

 改札口の天井はドーム状になっていて、そこに張られたスクリーンには、数え切れないほどに沢山の星が照らし出されていた。

『プラネタリウムですね、コーダお嬢様。懐古リ・アース主義のもとに作られた、地球から見上げた夜空の様子でございます』

「偽物でも、充分に綺麗だわ」

 頭上を埋め尽くす零等星や一等星は、大気の揺らぎをも再現して、きらきらと儚く眩く揺らいでいた。

『ところで、サラバント様。〈エヴァジオン〉に人がいなくなって、どれくらいが経ったのですか? 地上だけでなく、地下までも。どこもかしこも、新品のようですね』

改札口の中央に立ち、サラバントはコーダにならって天井を見上げた。

 まだ、地球が球形であった頃の夜空を再現しているプラネタリウムには、南十字星サザンクロスが昇っている。

「随分と経ったと、そう言うしかないですね。あまりにも時が経ちすぎて、記録が曖昧になってしまっているので、確かなことを言えません」

『老朽化、でございますか? しかし、サラバント殿は、かなり高性能の人造人間でいらっしゃると思うのですが……まあ、人によらず、人の手によって作られたものには、しばしば大小なりの欠陥が見受けられますし、まあ、しかたありませんねぇ』

「欠陥、欠陥って。自分のことを棚に上げて、よく言うさね! 気に触ったなら、サラバントがこれを二つに割ってくれても良いわ」

「せっかくのお言葉ですが、辞退させていただきますよ。身分証明板(I・D・D)が無くなってしまったら、いろいろと不都合でございましょう?」

 ホームに辿り着くと、途端に水位が下がった。止まることを知らない下水が、線路へと流れ込んでいるせいだろう。

「〈オーヴァチュア〉様の仰ることは、あながち間違ってはいませんからね」

 サラバントはコーダをそっと下ろして、唇の端を持ち上げた。

「この狂った世界で、正常で在り続けられる俺は、きっと、どこかに重大な欠陥を抱えているのでしょう」 

生ぬるい風が、低い唸り声と共にホームへと近づいてくる。

 サラバントは風に巻き上げられた黒髪を撫でつけ、コーダに向かって、ゆっくりと頭を垂れた。

「ようこそ、コーダ様。移動楽園都市〈エヴァジオン〉へ」 

「ここは、夢と欲望と快楽が通り過ぎた跡地」

サラバントの声に重なって響く女の声に驚き、周囲を見回すコーダを吹き飛ばす勢いで、寂れたホームに金色の列車が滑り込んできた。

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