3
菓子人形たちの動きは、基本的に鈍い。
もったいつけるようにゆっくりと振り下ろされる箒を避けながら、コーダは〈オーヴァチュア〉から情報を引き出す。
菓子人形の骨格は、永年鉱と呼ばれるレアメタルでできているが、割合的に言えば、体のほとんどは糖蜜花から生成された砂糖で形作られている。
故に、乾燥にすこぶる弱い。
喉の粘膜すら乾上がってしまいそうなほどに乾燥した空気の中では、いくら上等な砂糖でも、水分を失って凝固してしまう。
硬化症と呼ばれる、菓子人形に特有の病だ。
足や腕、とくに関節部分に異常を来しているためか、立ち止まりさえしなければ、追いつかれるような状況は起きない。攻撃だって、よほど油断していなければ、当たりもしないだろう。
だが、問題は数だ。
理解不能な叫び声を上げる菓子人形たちの声に誘われ、さらに別の菓子人形たちが集まってくる光景が見える。
「腐臭よりはましだけど、だからって、耐えられるもんじゃないさね! 嫌になるわ、なんなの、このファンシーゾンビ達の群れはっ!」
パレードのために大きくとられた通りには、咽せ返るほどの甘い匂いが漂っている。
「着いてきてください、コーダ様!」
動きが鈍く、一斉に襲いかかって来る菓子人形相手に、サラバントの蛇腹剣は手頃な武器だった。
鞭のように撓ることによって威力を増し、ワイヤーで繋がれた刀身は硬く鋭利だ。
長大なハンマーとなって、一度に数体の菓子人形を豪快に薙ぎ払って、間合いに入らせない。
「菓子人形の暴走は鐘が鳴ってから、一時間は治まりません。油断なさらずに!」
足元に転がった破片すらぞんざいに蹴飛ばし、サラバントはとにかく先へ先へと進み、コーダはその後ろをついて走る。
「ついさっきまで大人しかったのに、あの鐘が鳴った途端、どうしちゃったのよ?」
『いやはや、壮観でございますな、コーダお嬢様! 高嶺の花とも言われた最高級の菓子達が、こんなにたくさん!』
はしゃぐ円盤に、コーダは舌打ちをこぼす。
「馬鹿言ってないで、だまってなさいよ、ぼろくそ円盤!」
襲いかかって来る菓子人形に、コーダは慌てることなく、すっと体を引いて躱し、足を引っかけて転ばす。
菓子人形は舗装に転がったとたん、粉々に砕け散った。
「良い動きをしていますね」
「木偶人形に殴られるなんて、格好悪いでしょ。それより、思っていたよりも結構、脆いのね」
足元に散らばる砂糖クズを蹴散らし、サラバントの前へと躍り出る。
「危ないですから、下がっていてください。俺だけでも、対処できますから」
「分かってる。けど、見ているだけなんて、つまんないじゃないの。せっかく、苦労してここまで来たって言うのに」
平気な顔でずんずん前へ出て行くコーダに、シルクハットを被った男が飛びかかる。
――が。
サラバントが蛇腹剣を振るより先に、コーダは背中のフックにぶら下げていたヘルメットを男へと投げつけた。ひどく鈍い音と共に、白い粉を吹き上げて、シルクハットが宙を飛ぶ。
「アタシも手伝うわよ、サラバント」
頭部を失い、力なく頽れる体を踏み越えて、今度は別の菓子人形が、コーダに向かって手を伸ばす。
『後生です、コーダお嬢様! それがしは、鈍器ではございませんっ!』
悲痛な悲鳴と共に、青い光が翻った。
「大丈夫。アンタ、それなりに丈夫でしょ!」
額の円盤をナイフの代わりにして、菓子人形の腕を切り払う。
すかさず、懐に踏み込んだコーダは小さな体をくるっと捻ると、アクロバティックな回し蹴りを打ち込んだ。
菓子人形はなすすべもなく、綺麗な弧を描いて吹き飛び、我先にと詰め寄ってくる数体を巻き込んで、砕け散った。もはや異臭としか言いようのない濃厚に甘い白煙が、大通りにもうもうと立ち上る。
「どうよ、全然平気でしょう?」
華奢な体躯からではとても想像つかない脚力に、サラバントが息を飲んでいる。冷静沈着な人造人間を驚かせたコーダは、上機嫌に鼻を鳴らした。
「お見事ですね、コーダ様」
ヘルメットを拾い上げ、投げてよこしてくるサラバントに、コーダは少しばかり照れてはにかんだ。
「まだまだ行けるわよ」と挑戦的な言葉を返すと、残った菓子人形たちが後じさり、円盤は怯えるように瞬いた。
『ご注意くださいませね、コーダお嬢様! それがしが破損すれば、〈エヴァジオン〉から出られなくなっちゃいますからね! 大変ですよ!』
「分かってるわよ、壊れないように使うから」
『そういう問題ではないですよ! どうか、おたすけをおおっ!』
右手にヘルメット、左手に円盤を持ち、ぶん振り回しながら、コーダが走る。
眩しいまでに白い宇宙服と、靡く薄桃色の長い髪。
重力を無視した華麗な動きは、いつか映像で見た、木星基地での優雅な宇宙遊泳をサラバントに思い出させていた。
コーダによって、次々と打ち壊されて行く菓子人形たち。
逃げようとする者と、生者を求める者とで争い合い、遠くの方では別の乱闘が起こっていた。もうすでに、サラバントとコーダを捕まえるどころの状況ではなくなっているようだ。
「これは、俺も、のんびりと構えてられませんね」
サラバントは蛇腹剣をしまい、代わりに銃を一挺、手に取った。
安全装置を外し、構える。
「援護しますよ、コーダ様」
狙いを着ける所作を省き、サラバントはいきなり銃爪を引いた。弾倉にある十発の弾を間隔を開けることなく打ち込んでゆく。
全ての弾丸は、的確に菓子人形の頭部へとめり込み――瞬間、菓子人形たちが何の前触れもなく、いきなり砕けた。
岩に打ち砕ける清流のように、真っ白の粒が乾いたコーダの目の前で爆ぜる。
「アナタ、何をしたのよ?」
「ただの、ペイント弾ですよ。カプセルの中身は、ペンキではなく、水ですが。固まった砂糖は、水分を含むことによって、さらさらになる。よほどのことがない限りは、あまり使いませんが、今日は、特別です」
頭から被った砂糖を払って、コーダは「先に言ってよね」と唇をとがらせた。砕けた砂糖は髪だけじゃなく、宇宙服の中にまで入り込んでしまっている。
「お楽しみのところ恐縮なのですが、あまり散らかすと後の清掃が大変ですので、そろそろ切り上げましょう」
緩やかな下り道に入った、目指す地下への入口は、もうすぐだ。
逃げ惑う菓子人形を追いかけながら、「もう終り?」とコーダが心底残念そうにつぶやくと、サラバントが呆れるように乾いた笑い声を返してきた。
『許してください、やめてください! それがし、曲がってしまいますっ! いやです! 不良品なんて嫌ですっ!』
「全く、だらしがないわね」
必死に懇願する円盤に、コーダはしかたないと肩を竦めて額に戻し、踝まで埋まるほどに降り積もった砂糖を蹴飛ばして、「行きましょ」と頷いた。
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