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 揺れる、サラバントの尻尾を追いかけてコーダは町へと向かって坂道を下る。

「移動都市でも結構大きい方って聞いたから、もしかしたら、生きている人間の一人くらいはいるんじゃないかって思ったんだけど、そうそう上手くいかないものね。今回も、空振りかしらね」

 文句を言ってはみるものの、コーダの声に落胆の色はなかった。人がいないのは、ある程度予想していたからだ。

 駄目で元々、観光ついでに〈エヴァジオン〉に降り立ったにすぎない。

 むしろ、見た目こそ美しいが廃墟と変わりのない街で、人造人間がまだ動いていることの方が驚きだった。

 今まで数多くの街に降り立ったが、人造人間の多くは老朽化の果てに壊れたか、廃棄時に機能停止されているがらくたばかりだった。

 まともに動いているのは、自動整備体制の整っている、政府管理下の人造人間だけだと思っていたのだが。

「ねえ、サラバント。アナタはいったいここで、何をしているの?」

 ただの散歩であるわけがないのは、明白だった。

 耳と尻尾以外は、人と何ら変わらないサラバントが背負っている布袋を、コーダは興味深げに見上げた。

 ばらばらに砕けた女の体が、厚手の布の中いっぱいに詰め込まれるのを、コーダは丘の上に座ってじっと見ていた。

 うんざりするほどに甘い砂糖の塊を、いったい何に使うのだろう。まさか、料理か?

(だとしたら、困るわね。そんなの、さすがに食べたくないわよ)

 うっかり想像して、コーダは腹部に感じる吐き気に顔をしかめた。だいぶ、この肉体になじんできた証だが、不快でしかない感覚は、あまり嬉しくない。

「俺は、〈エヴァジオン〉の管理をしています。この歓楽都市が色あせることのないように、〈環境管理システム〉の制御するのが主な仕事ですね」

『誰もい……のに、ずいぶんと偉いのね。ど……の怠け者……爪の垢を煎じて……やりたい……だ……ね』

響く機械音声に、先を行くサラバントの足が止まった。

 怪訝そうに振り返る顔に、コーダは肩をすくめて「もう一人、連れがいるの」と宇宙服の喉元を指さしてみせた。

 首元のプレートの中には小さな通信機が埋め込まれていて、先ほどの機械音声はそこから響いたのだ。調子が悪いらしく、ずいぶんと雑音が混じっている。

「コーダ様、貴女はいったい何者ですか? 人でないのは、わかりますがね。もちろん、俺のような人造人間でもなさそうだ」

「宇宙人、って言ったら驚くかしら?」

 サラバントは一瞬だけ、コーダの冗談めいた言葉に思案するよう視線を泳がし、嘆息をこぼした。

「驚きませんね、むしろ納得しますよ」

 表情を一切崩すことなく踵を返すサラバントに、むしろコーダの方が面食らった。〈ニューワールド〉の外郭に漂う本体を直接見せるまでもなさそうだ。

先を急ぐように歩みを早めるサラバントが、街の中央にあるカリヨン主塔を見上げた。視線の先にあるのは、時計だ。まもなく、三時を告げようとしている。

「まだ〈エヴァジオン〉に滞在するおつもりであれば、急ぎましょう」

「どうしたの、急に?」

 生命維持アセンブリは取り外してあるものの、宇宙線から肉体を守るため、特殊な生地を何十にも重ね合わせて作られている宇宙服は見た目のタイトさに反比例して重い。

 重力下ではとても着られたものじゃない重量をものともせず、コーダは、小走りに進むサラバントの隣に並んだ。

 人造人間特有の表情の乏しい顔では、ちらりとのぞき見た程度では何を考えているのかわからないが、とにかく時間を気にしているようだった。

「人間であろうとそうでなかろうと、外からいらっしゃった方となれば、大事なお客様です。お帰りになられるまでは、貴女は俺の保護対象でもあります」

 保護対象、という言葉に焦臭いものを感じたコーダは、にやと唇を持ち上げた。

「なるほど、つまり危険なことがこれから起こるわけね、おもしろいわ。ずっと椅子に座ってばかりで、体がなまってたところなのよ」

『コーダお嬢様! どうぞ物騒なまねは、ご遠慮くださいませね!』

再び、喉元から機械音声が響く。

 コーダの額に張り付いている青い円盤が、声の調子に合わせてきらきらと明滅した。

「どなたですか、コーダ様?」

 あからさまに眉根を寄せるサラバントに、円盤は『どうも、こんにちは!』と場違いなまでに陽気な声で挨拶し、一方的に語り出す。

『申し遅れました、サラバント様。それがしは、統合政府より発行された身分証明板(I・D・D)〈オーヴァチュア〉にてございます。まあ、地球の関係者であれば、当然ご存じですよねぇ』

「人間一人に対して支給される、記憶ディスクですね。しかし、ディスクが意思を持って話すなんて、初めて知りましたよ」

『アハハハ、それがし、ちょっと特別なのでありますよ』と自慢げに笑う円盤の対応に、コーダは、ぎりりと歯噛みした。

「アタシの頭の上で、ぐちゃぐちゃと騒がないでくれる? 言うことを聞けないというのなら、二つに割ってドブ川に捨てるわよ!」

 円盤は「ひえええっ」とわざとらしい悲鳴を上げ、黙り込んだ。

「記憶ディスクを読み取ろうとしたら、なんだか変な知恵をつけちゃったみたいなのよね。うるさくて、かなわないわ」

 つるつるした表面を、手袋をはめたままの指で忌々しくはじく。捨ててしまいたいが、これがないといろいろと不都合なので我慢するしかない。

 身分証明版という名の通り、〈ニューワールド〉の中を穏便に旅して回るためには、必要不可欠のものだからだ。これがなければ、ドアの一つすら開いてくれないのだから面倒だった。 

サラバントはコーダの説明に、「そうですか」と短く返すだけだった。興味がないのか、深く追求しても理解できないと判断したのかはわからないが、助かる。

 ずっと、たった一人で宇宙を泳いできたコーダは、己の力のすべてを未だに知らない。

 ただの、記憶ディスクである〈オーヴァチュア〉。情報を蓄えるだけのものにいらない知恵がついてしまったのは、不可抗力の極みだろう。

 ごつごつとした匍匐茎を踏みしだき、甘い匂いを蹴散らしながらコーダとサラバントは街へと向かってひたすらに進む。

 近づいてゆくにつれ、徐々に鮮明になってくる街並みは、正直に言えばとても美しかった。歓楽施設というだけあって、前世代の建築物を模して作られた家々のバランスは、絵画のように完璧だった。

 その、作り物めいた綺麗さが、街にあるはずの生活臭のすべてを一掃しているのだろう。どこか、異境めいている感じをコーダは覚えた。

「ねえ、サラバント。〈エヴァジオン〉に人間はひとりもいないはずよね?」

 街、歓楽区と生活区の境界線であるアーチの前に立ち、コーダは首をかしげる。サラバントは「ええ」と短く答えた。

 人造人間は、基本的に嘘をつかない。

 そういう、生き物だ。

 コーダは若干くびれた腰に両手を添え、かつては至上の楽園と謳われた街を行き交う人々を見回す。

 老若男女を問わず、数多くの人影が通りにあふれている。

「これ、全部、菓子人形ってやつなの?」

「ええ、そうですよ。残念ながら」

 タキシードやドレス、彫刻のような帽子。街の住人にしては、小綺麗すぎる格好をした住人たちは全て、砂糖でできた菓子人形らしい。

『菓子人形は、〈エヴァジオン〉の特産品であったのですよ、コーダお嬢様。糖蜜花から精製した砂糖を使い、外見も中身も、人間そっくりに作り上げられた菓子。それはそれは美しく、従順で、何よりたいへん美味であった、との記録が残っております』

 再び喋り始めた円盤に、コーダは吐息に苛立ちを注いで吐き出した。

『おっと、後生です、コーダお嬢様。二つに割って、どぶ川に捨てないでくださいませ。私は、道先案内人。説明と解説が性分であり、黙っていては、死んでいるのと同じなのです』

 必死になって取り繕うとする円盤が、ちかちかとコーダの額で慌ただしく瞬く。

 コーダは仏頂面で円盤を指先で弾き、「自分たちとそっくりなものを食べるなんて、とんだ娯楽ね」と肩を竦めた。

「当時は、それが美徳だったのですよ、コーダ様。良い趣味かどうかは俺にはわかりませんが。とはいえ、誰一人として――消費される側の菓子人形ですら、狂喜じみた偏食を疑わなかったのは事実ですよ」

サラバントは冷たく笑って、コーダを見下ろす。

「コーダ様、一つ、俺からも質問をしても、よろしいでしょうか?」

「どうぞ、遠慮無く」

 サラバントが再び、時計を見上げた。

 三時の鐘が鳴るまで、あと五秒。

「コーダ様、運動はお得意ですか?」

 サラバントを真似して時計を見上げていたコーダは、分けが分からないと首を傾げた。

「得意かどうか、試したことはないけど。苦手じゃないことは確かね」

「では、得意としておきましょう」

 サラバントが無表情のまま蛇腹剣を鞘から引き抜いた――と、同時に、時計の針がL字型になる。

 三時だ。

 無音に近かった〈エヴァジオン〉に、幾層にも渡る鐘の音が主塔を増幅器代わりにして響きだした。

『カリヨン主塔の、時告げの音ですね!』

 天球儀型の観覧車の主塔は組み鐘(カリヨン)にもなっていて、内部に仕掛けられた一〇二機の鐘が、プログラムされた旋律に合わせ、一斉に奏でられる仕組みになっていた。

 互いの音を追いかけるように打ち鳴らされる多重音楽に、あてもなく彷徨っていた菓子人形たちの足が、一斉に止まる。

 美しく響く鐘の音に聞き入っている――わけではないのはたしかだ。異様な雰囲気を察した肌がぞくりと粟立つのを、コーダは喜々として受け取った。

「この通りを抜けた先に、地下へ続く入口があります。どうか、そこまで彼らに捕まらずに走りきってください」

 自分とは違う物の存在を嗅ぎ取った、青いドレスの女が、庭箒を握りしめたまま振り向く。

 にこやかな笑みが、なぜだか不気味に思えるのは、大きな目に滲む欲望の色のせいだろうか。

「捕まったら、いったいどうなるのさ?」

「死ぬまで、砂糖菓子を……つまりは手や足を食べさせられるのです。移民政策から取り残された人間たちの死因の多くは、内臓破裂。胃が裂けるほどに砂糖菓子を食べさせられ、死んだのです」

 一人が気付けば、もう一人。

 あっという間に連鎖し、ざあっと集まる視線には、さすがのコーダも少しばかり気圧された。

「お菓子の食べ過ぎで、内臓破裂? なかなか、シュールな話だわね」

 もともと、甘い物は好きじゃない。にじり寄ってくる菓子人形達に、コーダは不敵に笑って、長い髪をかき上げた。

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