第三章 遊園地と環状列車

1

 ラルゴは、長い吐息を零した。

 義足との接合部が、連絡通路の硬い床を踏む度に、ぎしぎしと痛む。少し、無理をしすぎたようだ、調子が悪い。

「休んだほうがいいよ、パパ」

 セリの小さな体を頭からすっぽりと覆い尽くしているのは、ラルゴが身に着けている深緑色のコートと同じものだ。裾を詰めてはいるものの、サイズが大きすぎて、ローブのようになっている。

 時折、裾を踏みつけて転びそうになりながら、ちらちらと視線を投げてくるセリに、ラルゴは唇の端を少し持ち上げて「大丈夫だ」と頷き返す。

「サラバントに追いつかれてしまう前に、〝連絡駅〟へ向かわなければならない。奴は、〈エヴァジオン〉の住人を外へと逃さないように命じられている。私たちの行為を決して許しはしないだろう」

「大丈夫よ、パパ。私たちのほうが早く来たんだし、レールウェイは〈八月のウト・ラトゥール〉を抜けたらすぐそこでしょう? 絶対に、追いつけやしないわ」

 自信満々に胸を反らすセリに苦笑し、ラルゴは軋む義足の悲鳴を無視して、ひたすら歩き続ける。

 職員用として使われていた硝子張りの通路からは、時折、流れ星のように過ぎ去る連絡列車の光がラルゴの視界をよぎっていった。

「だといいが、サラバントがどこまで〈エヴァジオン〉のシステムに介入できるのか分からない以上、先手を打つしかないのだ。身分証明板があったとして、レールウェイが動かなければ、ただの円盤だ。せっかく手に入れた好機が無駄になる」

 窓越しに、ラルゴはのっぺりとしたカリヨン主塔を睨んだ。

 地上部では観覧車、地下部では巨大な刀身を思わせるカリヨン主塔をぐるりと取り囲んでいる十二の施設が、遊園地〈コンフィズール〉の全容だ。

 ラルゴが向かっているのは、〈八月の塔〉と呼ばれている、八月ウトをイメージしたアトラクションだ。

 本来ならば、各部屋に〝連絡駅〟へと続くレールウェイが設置されているのだが、〈八月の塔〉以外は、政府関係者が〈エヴァジオン〉を去るときに閉鎖したのだ。

(人だけが辿り着けるように……か)

〈八月の塔〉へと続く機密扉へと辿り着き、ラルゴは丸い取っ手を回した。

 とたん、吹き込んでくる熱風に背筋がざわつく。

 目に飛び込んでくるのは、真っ青の空。

 人工太陽の強い光と、上部の通気口から吐き出される熱風に焼かれた細かい琥珀の砂地が、眼前に広がっている。

 背中越しに内部を覗いたセリが、息を飲んで後じさった。

 空調施設が狂っているのか、最初からこの設定なのかは、ラルゴにも分からない。いずれにせよ、過酷な環境には違いない。砂地の向こうに見えるオアシスさえ、地獄に見える。

 砂漠の中で青々と茂る木々の下には、無数の菓子人形たちが積み重なるようにして倒れ、派手な服の袖口から、どろりとした甘い汁を垂れ流していた。

 訪れる観光客の相手をしていた菓子人形たちだろうか。通常の入口へと首を巡らせてみれば、さらに多くの菓子人形たちが倒れている光景が見えた。

 ゆらゆらと陽炎の立つ世界は、甘い死臭に満ちている。

 ラルゴは扉を完全に押し開け、立ちすくんでいるセリを抱きかかえた。熱風に乱されたコートの襟を直し、青い瞳をゴーグル越しに覗き込む。

「辛いのは、すぐに終わる。我慢できるな、セリ?」

「セリは、大丈夫だよ。パパと同じ人間だもの、熱さなんて、恐くないんだから」

 ぎゅっと抱き返してくるセリの頬には、すでにうっすらと汗が滲んでいた。甘い匂いを漂わせる粒を、優しく拭い取ってやる。

(職員通路からレールウェイまでは、すぐソコだ。大丈夫、大丈夫だ)

 ラルゴは、自分のコートでさらにセリを包み込んで、じりじりと焼ける砂地に向かって踏み出した。


◇◆◇◆ 


 聞こえてきた舌打ちに、コーダは顔を上げた。

「足止めにと思って、〈八月の塔〉の室温を限界まで上げていたのですが……どうやら、無駄だったようです。全く、馬鹿なことをする」

 サラバントが零しているのは、苛立ちだった。

 今まで、むかつくほどに平静な人造人間しか知らなかったコーダは、サラバントが見せる意外性が無性に面白かった。

 場違いだとは思うが、にやにやと顔が緩むのを止められない。

 訝しげに振り返ったサラバントに「何でもない」と首を振って、すぐに視線を足元へと戻した。

 硝子張りのエレベーターは、上へ上へと駆け上って行く。

 薄暗い周囲と、瞬く光。それに加えて、心地良い浮遊感は、まだ光の集合体であった頃を思い出させるようで、心地が良い。

「〈エヴァジオン〉の人造人間は、本当に出来がいいみたいだね」

『ほんと、あの蝙蝠車掌ルーセツトとは、大違いよ!』 

 ライトをちかちかと瞬かせるオルビットに、苦笑が漏れる。

〈アンフィニ〉の車掌がサラバントのように物腰の柔らかい型式だったのなら、どんなに快適だっただろう。つくづく思わずにはいられない。

 あれこれと想像を巡らせていたコーダは、不意の振動によろめいた。

「着きましたよ、コーダ様。俺が先に出ますので、合図するまでは、じっとしていてください」

 ペイント弾ではなく、実弾を装填したままの銃を手に持ち、身を隠すようにと、視線でコーダに合図してきた。

 ゆっくりと、開く扉。

 すぐには出ず、一呼吸を置いてからエレベータを降りるサラバントに、コーダが続く。

『ちょっと、待ってろって言われたじゃない!』

「待ってるなんて、つまんないじゃない。大丈夫よ」

ぴょんと、飛び降りると、足音が狭い通路に大きく反響した。

「待っていてくださいと、言いましたでしょう?」

 コーダは「平気、平気」と両手を広げ、肩を竦めているサラバントを追い越す。

 白いタイルがびっしりと貼り付けられた、異様な空間。誘導灯なのか、壁に張り付いている緑色の光源が一直線に、どこまでも続いている。

 見るからに一本道のようなので、案内がなくたって、迷う懸念は一切ない。

 全力で駆け抜けようと強く踏み込んだコーダは、サラバントを引き離して、飛ぶように駆ける。

解放された力は、美しいタイルを踏み砕いて、コーダの体を軽やかに運ぶ。長い通路をあっという間に走破した。

 ごろごろと、動力の重い音とともに届いてくる、人工灯の眩い輝きに目を細めた時だ。ぞわりと肌を舐めて行く悪寒に、コーダは反射的に床を蹴って横に飛んだ。

『銃弾よ、パギュール!』

 タイルに跳弾しながら過ぎ去って行く、弾丸。轟音だけが、後に残る。

「ラルゴってやつが、撃ったに違いないね! よかった、追いついた!」

 続けざまに襲いかかって来る銃弾を避けつつ、コーダは光の中へと飛び込んだ。

 相手は、こちらが来るのを待ち構えている。

 立ち止まっていては、撃たれるだろう。状況を確認する暇もなく、着地して、すぐさま転がった。

 案の定、影を追いかけて、弾が飛んでくる。

「セリ、乗るんだ!」

 ラルゴの怒号とともに、機械音が唸り声を上げる。

 コーダは改札口の影に隠れ、そろりと様子を窺ってみた。

 藍色の車体に、金色の塗料で細かな紋様が描かれている列車。ごろごろと車輪を軋ませ、金メッキのレールをゆっくりと上って行く。

 窓からは、フードを目深に被ったセリの姿がある。

『どうするの、パギュール! もたもたしてると、やつら、行っちゃうわよ!』

「わかってる! わかってるけど、飛び道具はヘルメットしかないじゃないのさ! 投げても良いって言うなら、やるけど!」

『それはだめよ! ただでさえ、形が変わっちゃってるのに! これ以上、不細工になりたくない! てか、武器にしないでよ!』

 そんな、形なんて気にして、どうなるのか。呆れるが、突っ込んでいる場合じゃない。

 ラルゴが列車に乗り込むのを見て、飛び出す。

 が。

 足元に、火花が散る。

 窓から両手を突き出して、セリが銃を構えていた。

「無理をするな、セリ」

「わたしだって、パパを助けられるんだから!」

 ラルゴと違って、狙いのない弾道はかえって読みづらい。避けきれず、〈ミラージュ〉を使って弾き飛ばすしかない。

「邪魔しないで、真っ白タコお化け!」

「タコってなによ、タコって! どこが、タコよ! 宇宙人だったら、みんなタコなの? 失礼しちゃうわよ! なんて貧弱な脳味噌なの! 呆れちゃう!」

『冷静になりなさいよ、馬鹿! 行っちゃうじゃない!』

 タラップを離れ、列車はぐんと加速して行く。

〝あっかんべー〟と、舌を突き出すセリを追いかけるには、遅い。

『どうするのよ? あたしたち、ずっとここに、いなくちゃならないの?』

「諦めが、早すぎるんじゃないの? だから、すぐに死んじゃうのよ」

 薄桃色の髪をさっと掻き上げ、ギラギラと輝く金のレールを見上げた。

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