終章 

新しい色の祝祭にて

 白い浜辺が延々と続いている。

 振り返れば、柔らかすぎる白い砂にくっきりと、平べったい、楕円の大きな足跡が残っている。

 まるで、月面のようだ。

「百年もたつと、いろいろと変わるものね」

 コーダはわざと飛び跳ねながら、ひっそりとした浜辺を歩いて行く。

 一歩踏みしめる度、舞い散る粉を吸い込めば、仄かな甘みが舌に染みこんだ。

『〈カリヨン主塔〉の屋上がちょっと見えるだけで、全部沈んでしまったのね』

「静かで良いじゃない、綺麗だし。まあ、天井は相変わらず気持ち悪いけど」

 丸いドームの天井には、びっしりと糖蜜花の匍匐茎が網のように張り巡らされていた。

 いまだ煌々と輝く人工太陽の光をいっぱいに浴びて、ひたすら成長を続けるグロテスクで甘い、白い花弁を広げている。

 熟し、黄色くくすんだ花から順に、甘い海へと落ちてゆく。

 どぼん、どぼん、と執拗量のある音は、まるでクジラのようだ。高く登る飛沫が、柱となって、そこここで爆ぜていた。

 鏡のような湖面に慌ただしい波が立つたび、押し流されてくる砂糖水が、岸辺へと小さなガラス玉を運んでくる。

 コーダは足元に転がってきた青いガラス玉をつまみ上げ、人工太陽にすかした。

 この、青い目がはめ込まれた菓子人形は、何を思っていただろう。

 球体はこれ一つではなく、どこまでも続く長い砂浜の上に、いくつも転がっていた。

『見て、パギュール! あたしのヘルメットよ!』

「ほんとうだ。うわ、砂糖がこびりついて、がったがたじゃん」

 菓子人形の目を放り投げ、コーダは砂浜に半分ほど埋もれたヘルメットを取り上げた。

 ひび割れたバイザーを叩いて、中に入っていた砂糖屑を落とす。

 久しぶりに再会した半身は、砂糖の結晶の核となっていた。まるで、珊瑚のようだ。

 コーダは他に損傷はないかざっと確認し、とりあえず、背中のフックへとヘルメットを引っかけた。真水で洗えば、なんとかなるだろう。

「サラバントは、フィーネに会えたのかしらね」

『会えたわよ、きっと。だって、彼女、こんなにも嬉しそうにうたってるんだもの』

 喉元のスピーカーから、ソプラノの歌声がこぼれ落ちる。なんの伴奏もない、シンプルなアカペラ。

 コーダは、録音されたフィーネの歌声に会わせて、口ずさみ、〈エヴァジオン〉の外殻へと続く柱の上を、ぞろぞろと歩いて降りてくる集団を見やった。

 人の姿をした者から、絡まりそうなほどたくさんの手を持った者。全ては、〈アンフィニ〉を利用している観光客だ。

 その観光客の先頭には、三角形の旗をもった車掌が立っている。

「はぁい、皆さんいいですかぁ? ここは、かつて〈エヴァジオン〉といわれていました夢の国の、跡地でございまぁす! 菓子人形と言われる愛玩食品達は諸事情により、全て水底へと沈んでしまいましたが、彼らの体が溶け込んだこの砂糖水湖シユガーレイクの水は、充分に人々に愛された極上の味を楽しむことができます」

 車掌に案内されるまま、観光客は各々コップを片手に、水際へと歩いて行った。

「さあ、コーダ様。あなた様も、お一ついかがでございましょう? とくべつに、炭酸で割ってあるものをご用意させていただきました」

「炭酸? おいしいの? それ」

 いつの間にか隣に立っていた車掌が、細工の細かいグラスと、しゅわしゅわと泡立つ水差しを突きだしてきた。

 押しつけられるようにしてグラスを持つと、車掌は素早く炭酸入りの砂糖水を注いだ。

「では、これで」深々と頭を下げて立去る車掌を見送って、コーダは人工太陽を見上げた。

「菓子人形達は、幸せになれたかな」

 浜辺では、コーダの持つグラスと同じ物を手に持ち、乾杯の音頭がとられている。

「食される彼らに、乾杯」

 不幸であるはずがない。

 姿形はどうであれ、彼らは今、必要とされて食されているのだから。

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最果てのコーダ 南河 十喜子 @shidousyouko

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