5

 頑強な外郭を打ち破って、コーダはリングの内部にはいりこんだ。

『あと2ブロック進めば、エヴァジオンの外郭にでられます。そこには緊急脱出用の連絡列車が控えています』

「でも、連絡駅は壊れちゃったわよ」

『あなたが、派手に壊しちゃったものね。どうするの?』

『そうですね、飛び乗るしかないんではないですかね。がんばってください!』

 ずいぶんと他人事のように言ってくれるオーヴァチュアに拳を一つ打ち込んで気合いを入れ、コーダは意識のないサラバントを背負った。

 身長が足りないせいで足を引きずる形になってしまっているが、この際だ。しかたないだろう。

『このブロックは、観光客めあての商店街のようですね』

「……みたいね」

 広くとられた大通りを囲むように、様々な店が建ち並んでいる。

 こぎれいだが、微妙に統一生のない外観は、地下部の遊園地のロビーを思わせる。

 だが、コーダを躊躇させているのは不可思議な景色ではもちろん、ない。

「食事の真っ最中、ってね」

 道の端々にうごめく人影、鐘の音に本能を刺激された菓子人形たちが、喰い、喰われている。

『これで、彼ら菓子人形は満たされるの?』

「満足いくわけ、ないじゃん。菓子人形は、人間に食べられるために作られたんでしょう? お菓子がお菓子を食べたって、意味なんて無いさ」

 そう、飢えをしのぐためだけの行為だ。人間がいなくなった今、本当に彼らを救う存在はいない。

 永遠に満たされることがないと知りながら、あまりにも辛すぎて、無意味な行為をやめることすらもできない。

 すべてが、茶番なのだ。

 この、奇妙な光景は何もかもが、むなしく、悲しいのだ。

「いこう、オルビット」

 サラバントを背負いなおし、コーダはすっと、前を向き……走る。

 鐘の音は、終わりにむかってリピートに入ったようだ。

 最後のフレーズを盛り上げるための音が、鳴り響く。

『早く、コーダお嬢様、早く!』

 多重層の、分厚い幕のような音色が直撃し、いくつかの菓子人形の体が衝撃派でぼろっと崩れる。

 コーダはこぼれてくる砂糖くずを踏み砕き、上へ上へと目ざし、走った。

 外が近いのか、アンフィニの電子汽笛が聞こえてくる。

 まにあうだろうか?

『パギュール、なにか聞こえるわ』

「フィーネが、歌ってる?」

 歌声は、首のスピーカーからこぼれてくるようだった。

 コーダは、ボリュームのつまみを最大に回した。

〝Amazing grace how sweet the sound(アメージング・グレース なんと美しい響きだろう)

That saved a wretch like me.(私のような者までも救つてくださる)

I once was lost but now am found(自分を見失つていたけれど、今は大丈夫),

Was blind but now I see.(今まで見えなかつたものを、今は見いだすことができる)〟

 高く、澄み渡る美しい歌声が、長細い町並みを満たしてゆく。

綺麗な、とても美しいソプラノだ。

『これ、アメージング・グレース! なんて、綺麗なの』

 カリヨンの鐘が、フィーネの声と混じり合う。

あまりの美しさに、コーダは時間に追い立てられているのも忘れ、感嘆の息を吐いた。

 先へ進めば進むほど、通信距離は離れ、音が飛んで行くのが残念でたまらない。

 これほど、惜しい物は、ない。

 狂おしいほどの祈りと慈しみは、役割を失い、迷走していた世界を癒やすように淡々と広がってゆく。

〝When we've been here ten thousand years《私たちは幾重の時が経とうとも》 Bright shining as the sun《太陽のように明るく輝き》

We've no less days to sing God's praise《神を褒め称える歌を、歌うだろう》

Than when we've first begun《初めて歌つた、その時よりも》

Than when we've first begun《初めて歌つた、その時よりも》〟

 声と鐘の音が混ざり合い、カリヨン主塔に響くのは、存在理由をかたくなに守る道具であるが故に、ゆがみきってしまった命へ捧げられた優しい鎮魂歌だった。。

 そして。

「これは、サラバントをアナタを送り出すための歌ね、フィーネ」

『パギュール、後ろ! 追いかけてくるわ!』

 砂糖とは違う、肉の匂いを嗅ぎつけたのだろう。

 手足を欠いた個体から、下腹を妙に膨らませた菓子人形たちが、コーダへと、青い瞳を輝かせている。

 いちいち、相手をしている暇なんてない。

 十時の鐘の音はいよいよ、終局へと加速してゆく。

 聞こえてくる電子汽笛を追いかけるように、コーダはリングとリングのつなぎ目を、一気に飛び越えた。

 前方から手を伸ばしてくる菓子人形をやり過ごし、通りにころがる商品をけ飛ばして、ひたすら進む。

 ……が。

『なによ、これ』

 ようやっと、光が見えた。

 そう思ったのに、出口は遙か頭上にある。

『位置がずれておりますね。ヘルメットをフィーネ様にお譲りになったのは、正解でした。背負っていたら、支えていたかもしれませんね』

 光は、明かり取りの天窓のように小さい。

 コーダが体をねじ込んで、ようやっと通れるくらいの隙間しかない。

 舌打ちをして、後ろを振り返る。

 菓子人形たちはすぐそこまで、迫ってきていた。

 どうする?

 ふらついた足が、なにか、柔らかいものを踏んだ。慌てて足を上げて見てみれば、ブーツの底でつぶれているのは太い、男の手だった。

『……ラルゴ』

 ふるえるオルビットに、コーダも背筋にぞっとしたものを感じずにはいられなかった。脱出経路の不具合はおそらく、このラルゴだろう。腐りかけた砂糖の体が接続のさいに何処かに挟まり、ずれたのだ。

『パギュール、早く壁をこわしちゃいなさいよ! これじゃ、サラバントを連れていけないわ』

「……やめたほうがいい。あなたの力は、強すぎる」

 背中の重みがとたんに消え、つんのめったコーダは、額から壁に飛び込んだ。

『ぎゃあ! なんてことですか! 打ちましたよ、はげしく打ちました! こう見えても、それがし、繊細な精密機械なのですよ!』

「すみません、なにせ片腕が、こんな状態でして」 

 苦笑を返すサラバントは、肘から先がなくなった右腕を揺らしてみせた。

「なに、嬉しそうな顔をしてんのさ」

 額のついでにぶつけた鼻をさすり、コーダは肩を竦める。腕と一緒に、彼は何を置いてきたのだろう。

「俺の肩に、乗ってください。いっぱいに体を伸ばせば、届くはずです」

『あなたは、どうするの?』

「さあ、早く。鐘の音が、終わります」

 一〇二機の鐘が、それぞれ単独で打ち鳴らされてゆく。

 徐々に高く、加速してゆく音階に「早く!」と急かされるまま、コーダは差し出される背中に飛びついた。

「さあ、手を伸ばして!」

「心配しなくたって、ちゃんとやるってさ!」

 肩の上によじ登り、出口へと向かって飛び上がる。

 いっぱいに伸ばした手は、ちゃんと床の段差に引っかかり、コーダは百キロ弱ある体重を、ぐぐっと引き寄せる。

 転がりでた先、オーヴァチュアの言ったとおり、小さな列車が待機していた。 

「サラバント!」

 コーダは、脱出ルートを目で辿り、そのまますぐにとって返して、隙間から頭を突き出した。

「アナタは、どうするの?」

「俺は、人造人間です。今、一番必要とされている人のところにいる。それが、俺の願いなんです。人造人間として、最期まであり続けたいのです」

 サラバントは微笑み、迫りくる菓子人形の群へと向かって行く。

『コーダさま! 〈アンフィニ〉が動き出しましたよ! 早く、早く!』

「ああ!もう、わかってるって!」

 コーダは一両編成のちいさな列車に飛び込んだ。

 操作はフルオートか、乗り込んだとたん、扉が閉まって列車が走り出す。

 連絡駅を目指し、下降してゆく列車。しかし、線路は連絡駅ごとコーダが破壊してしまっていた。

 このまま行けば、落ちる。

 もちろん、暢気にシートに座っているつもりはさらさらない。

 コーダは乗り出した窓の桟に手をかけ、外へと飛び出した。そのまま、足を大きく振って、連絡列車の天井へと躍り出る。

 かみ砕かんとかりに襲いかかってくる風を振り切り、コーダは頭上を走る〈アンフィニ〉を振り仰いだ。

「あれに飛び乗るって……どうすれば、いいのさ!」

『万事休すというには、まだ早いですよ、コーダお嬢様! 〈エヴァジオン〉は、これより本線をはずれて支線へと移動します。つまり、〈アンフィニ〉よりもさらに上方にあるラインへと移るわけです』

 言われてみれば、〈アンフィニ〉を追いかけるように、〈エヴァジオン〉の高度がだんだんと上がっているように感じる。

「わかったわよ、飛び込めっていうんでしょ! やってやろうじゃないのさ!」

 ドアから乗ることは無理そうだが、とにかく車体に張り付けさえすれば、問題ない。

 最悪、レールにさえ手が掛かれば、それでいい。

『ほんとうに、やるの? パギュール!』

「ここまできて、怖じ気付いてちゃ、それこそうまくいかないでしょ! それに、ここは、私たちのいるべき場所じゃない。覚悟決めなさいよ、コーダ・オルビット!」

 純白の車体が、すぐ目の前をかすめる。回り込むようにして、〈エヴァジオン〉が〈アンフィニ〉を追い越す。

『パギュール、今よ!』

 レールが途切れる寸前、コーダは連絡列車の屋根を蹴り、跳んだ。

 両手をひろげ、重力にうながされるまま、落下する。

〈アンフィニ〉の屋根が、ぐんぐん迫る。

『このままじゃあ、突き破ってしまいますよぉ!』

「わかってる、わかっているさ!」

 コーダは、ミラージュを展開させた。

 揚力を得るため、鳥の翼のように展開させた虹色の膜は、しっかりと風を掴んだ。

 しかし。

〈エヴァジオン〉と〈アンフィニ〉。

 高速ですれ違う建造物にはさまれ、生みだされる気流に、とたんに制御をうしなってしまう。

『だめ、離れてる!』

 風に流されていく体を、つなぎ止めることができない。

 墜落しないように、体勢を整えるだけでいっぱいいっぱいだった。

「力が、足りない!」

 眼前をゆく手すりに向かって、手を伸ばす。

 だが、どんなに体を反らせても、近づくことすらできない。

 高度をあわせるのすら、難しい。

 このままじゃ、引き離される。コーダはこめかみに冷たい汗が流れるのを感じた。

〈エヴァジオン〉は遙か上空へと消え、正八面体の濃紺の外殻は、青空の中で星のように輝いている。

『コーダお嬢様! 早く! 早く、なんとかしてくださいませ! このままでは、墜落です、ばらばらです、つまりミンチです!』

『ああ! もう! 見てらんないわ!』

 ぶち、と。

 音を立てて、スピーカーが途切れる。

「ちょっと、なにするつもりよオルビット!」

 コーダの体を包む光の濃度が、ぐっと、増した。

 眩しいほどの、強い光だ。

「バカ! アンタ、消えちゃうわよ!」

 宇宙服の隙間からにじみ出す、光。

 オルビットの人格を形作っている光が、通り過ぎゆく〈アンフィニ〉へとのばされてゆく。

 ぐっと、引っ張られる体に、コーダは漏れかかった悲鳴をのみこむ。

 手すりをしっかりとつかんだオルビットが、風に流されるコーダを、じわり……じわりと〈アンフィニ〉へと引き寄せているのだ。

「早く! 早く!」

 アナタが、消えてしまう前に。

 コーダはぐっと手を伸ばした。指先、爪の先までぴんと延ばし、もがく。

 しかし。

「オルビット! 駄目よ!」

 ぱちん、と。

 はじけるように、オルビットの気配が消失する。

 自身をつつむ虹色の力も消え失せ、押し返し続けていた風がここぞとばかり、コーダへと襲いかかった。

「コーダ・オルビット! 消えちゃ駄目よ、コーダ!」

 きりもみする、体。

 涙に滲む視界に、濃厚な緑が広がる。

 このまま、落ちてしまうのか。

「アタシの旅は、いいや、コーダ・オルビットとの旅は、ここで終りなの?」

「……こまりますねぇ」

 不意に耳に落ちてきた、のんきすぎる間の抜けた声。

 コーダは締め付けられる喉元に、たまらずにうめいた。

 落下がとまっている。

 どうしてかと目だけを上に向け、あまりのばかばかしさに笑いがこみ上げてきた。

「駆け込み乗車は、今後、遠慮してくださいねコーダさん」

 同じ顔をした一二人の車掌たちが、お互いの足を掴み合い、梯子となって〈アンフィニ〉から延びていた。

「気をつけるわ」

『ちょっとぐらい遅れたって、いいじゃないの』

 喉元から聞こえてくる妙に疲れた声に、コーダは強ばった口元から力を抜き、スピーカーをそっと撫でた。


◇◆◇◆ 


 雨は止む気配を見せず、灰色に煙る〈エヴァジオン〉に降りそそぐ。

 地下鉄へと続く階段からは、吹き出すようにして、大量の雨水が町へとなだれ込んでいる様が見える。

 少しでも濡れないようにと、雨のない場所を求めて右往左往する菓子人形たちを押しのけ、サラバントは無音の、ひっそりと静まり返ったカリヨン主塔へと戻ってきた。

 ひどい雨音に混じって聞こえてくるか細い歌声を追って、首を巡らせる。

「どうして、戻って来たのです?」

 濡れぼそった白いドレスに埋もれるようにして、金魚鉢のような丸いガラス玉があった。

 見覚えがある。コーダの宇宙服についていた、ヘルメットだ。

 サラバントは硝子越しに見つめてくる青い目に、微笑み返した。

「当然でしょう、マスター」

「マスターはやめて、サラ」

 サラバントはヘルメットの側に膝をつき、再度、微笑み返す。

「貴方の側にいたかった、ただ、それだけです。フィーネ」

 首だけになったフィーネは、微笑んだ。

 花が綻ぶような、柔らかいフィーネのその微笑みは、サラバントの胸の奥に、じりじりとした熱を与えた。

 懐かしくも、愛おしい。

 そんな感情に促されるまま、ヘルメットへと手を伸ばす。

 そっと、抱き上げ、バイザーを跳ね上げると、目が眩むほどの甘い匂いがサラバントを包み込んだ。

「俺にも、ようやっと終りが来てくれた」

「サラ……」

 フィーネの唇を、サラバントは、そっと塞いだ。

 触れ合う皮膚から溶け出してくる甘い味を丁寧に舐めとると、フィーネの長い睫毛が震えた。

 口腔に流れ込んで来る命の味は、喉が焼けるほどに甘く、暴力的なまでにサラバントの喪失を埋めて行った。 

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