4

 高音の鐘が、曇天の空の中で響く。

 変形し続けるリングの上で、サラバントは全身から滲み出してくるような痛みに呻きながら、上体を起こした。

「貴方も、悪運が強いようですね。ラルゴ」

「せめて、キサマだけでもこの手で殺さなければ、死ぬに死ねないと言うことだ。……菓子人形の、まして不良品にしては過ぎた感情ではあるがな」

 サラバントは、眼前に立つラルゴを見上げて、声もなく笑った。

 雨を弾くコートを羽織っていても分かるほど、体はもう人の形すらしていないのに、何故、この菓子人形崩れはまだ立っていられるのだろう。

 執念? ばかばかしい、自分たちはただの道具だ。

 人に近づいたところで、なんの意味がある?

「菓子人形も、人造人間も、与えられた使命を全うすることだけで十分だった。それだけで、充たされたずだった。なのに、なぜなのか。創造主はどうして、それ以上を求めるのか」

「わかるものか。だが、もう終わる。もうすぐ終わる。この無情な雨が何もかもを溶かして、ただの素材に私たちを還元してくれるだろう。菓子人形はすべからく無に戻り、後に残るのは、無機物と甘すぎる砂糖水のみだ」

 滑り落ちてしまわないようにと、無意識に力を入れようとする往生際の悪い脚に、サラバントは肩をすくめた。

「俺は、ゴミクズとなって砂糖の中に沈むのか」

 特殊な処理をされない限り、サラバントの体は朽ちることなく残る。飽和寸前の砂糖水の中で、結晶を作り出す核にでもなるのだろうか。

「それも、良いかもしれないな」 

 仕えるべき主であるリトミック・アルコ博士は、既に砂糖漬の死体だ。

 見た目こそ生きているようだが、動き出すことはない。死体は死体でしかない。たとえ、腐ることがなかろうとも。

「人がいなくなった時点で、この世界は終わっていた。そう、終わらせるべきだと、俺は理解していた。博士の入力した行動以外は、すべてがバグだ。砂糖に人の肉を混ぜて人形を作るなんて、まったく意味のない行動だ。……ただの、悪あがきだ」

〈エヴァジオン〉の廃棄は、自らの存在を否定する行動だ。つまりは、自殺だ。

 サラバントは背中を舐めるおぞましい感触に、声を上げて笑った。

「あぁ、そうか。死ぬのが嫌だったのか、俺は」

 腕が、無意識に震えている。

「俺は、こんなにも臆病だったのか?」

 ぎゅっと、拳を握りしめた。

 主人を失った人造人間に、生きている意味など一切ない。

 なのに、まだ、生きようと足掻いている己がいることに、サラバントは強く唇をかみしめる。

 無意識にわき上がってくる衝動だからこそ、タチが悪い。

 これでは、まるで人間だ。

 死んだリトミック博士を見て、がたがた震えていた助手を思い出す。

 かわいそうに。

 リトミック博士を殺害した嫌疑をかけられてしまった哀れな助手の顔が、自分と重なる。

 かつん。

 と、ラルゴの義足が鉄を蹴る。サラバントは座り込んだまま、動かない……動けない。

「終わる。この、むなしい存在は、もうすぐ消えて、ゼロになる」

 口に入ってくる雨粒を吐き出して、サラバントは雨に煙る町を見下ろした。

 降り続ける浄化水はまず地下を満たし、すぐに地上へと上がってくるだろう。

 地下に蓄えられている、糖蜜花から絞り出した大量の砂糖と、無数の素体たちを溶かした水は、いったいどれほど甘いのだろうか。

「どこを見ている、サラバント。貴様のその命、捧げるものがいないのならば、私に差しだしてみてはどうだ?」

 ラルゴに食い込んでいた蛇腹剣が、落ちる。

 雨の滴るラルゴの足元には、溶けた砂糖で白く濁った水が溜まっていた。 

「オレの命一つで、あなたが満足するというのなら、喜んで差しだしましょう。あなたは、オレを、必要とするのですか?」

「必要だと言ったら、なんだ?」

 くいっと、顎を持ち上げるラルゴに、サラバントは両手を広げる。

「あげましょう、必要というのなら。オレは人造人間だ。望まれるがままに、誰がためにあることが人造人間の全てですよ」

「気が狂ったか、サラバント。私は、人間では無いのだろう? こんな、菓子人形崩れに従って、なんになる」

 急上昇してゆくリングに、サラバントはバランスを崩し、冷たい金属の壁にはいつくばった。

「ふざけるなよ、サラバント!」

 雨水を吹き飛ばし、ラルゴが吠える。

「貴様のような、そのちっぽけな存在で、私が満たされると思うか? この、ゆがんだ心を支えていたのはセリだ。セリがいたからこそ、エヴァジオンでの私の存在は、真実だった。セリがいたからこそ、私は人でいられたのだ!」

 不安定な義足は雨に滑り、ラルゴの巨体が傾ぐ。

 軋み音を立て、リングの突起に引っかかるラルゴを、サラバントは笑う。

「そんなに、人でありたいのですか?」

「人であるようにしむけたのは、キサマだよ、サラバント! 菓子人形の本能なんかではない、お前が、この狂った世界を作り出したのだ! この体は、何でできている? 菓子人形ですらないのなら、私はいったい何なのだ?」

 目深にかぶったフードが、吹き荒れる風にめくれる。

「そうだ、サラバント。私は……ただのゴミだ。腐った肉を砂糖で固めただけの、ただのゴミだ」

 人でもなく、菓子人形であるともいえない、どろどろに崩れた相貌。

 ただの青いガラス玉が、サラバントの姿を鏡のように映している。

(目の前にあるのは、オレの罪か?)

 ラルゴはリングから突き出た突起を食み、顎の力だけで食い千切った。

 鋭い先端が、はるか頭上で明滅するプラズマに、ぎらりと輝く。

「貴様の死に、意味などない。むろん、私の死にも意味はない。貴様も私も、人間ではないからだ。皆、雨に溶けて消える。ただ、それだけの存在でしかない。それでも、私は、無為に消えてゆくのが、我慢ならない! この体が溶けるその前まで、抱いていた思いだけは……本当だった。そう信じたい」

 声帯に仕込まれた拡声器が、悲痛に響く。

 無骨な義足は力を掛けられるところはなく、立つことすらままならない。それでも、ラルゴは噛み締めた口から刃を離そうとはしなかった。

 着いた膝を震わせ、立ち上がろうと顔を強ばらせる。

 引かない。

 一歩たりとも、引かない。

 これが、ラルゴの意志なのか。

 サラバントは、体の震えが手だけではなく、いつの間にか全身に回っていることに気付いた。

 ラルゴを、恐れているのか?

 いいや、あり得ない。満身創痍の、今にも自重で壊れてしまいそうな不良品を、今更怖がることなんてあり得ない。

 ……そうだ。

(そうだ、これは……歓喜だ)

 共鳴しているのだと思う。

 本来ならばありもしないはずの、目に見えない器官が胸の奥で打ち震えている。

 幾度も滑りながら、立ち上がろうとするラルゴの姿はひどくばからしい。いっそ、諦めてしまった方が、格好付くだろう。

 ラルゴはまるで、物心ついた子供のように、頼りなく這いつくばっている。

 必死になって噛みしめている刃は、きっとここまで届きはしないだろう。

 刃が胸を貫くその前に、湿気って脆くなった不良品の体が崩れて消えてしまうだろう。

 いいや。

 激しく鳴り響くカリヨンの鐘が、脆い砂糖崩れの体を、粉々に打ち砕くほうが、先かもしれない。

 もしくはそれよりもまだ早く、自分たちは瓦礫の一部になるかもしれない。

 迫りくるリングのシルエットに、サラバントは笑った。

 頭の中に蓄積されている知識をなぞるように、巨大建造物が一つのモニュメントを作り出している。

 このまま、ここにいれば擂り潰される。

 だが、それでいいのかもしれない。

 自分たちは、この世界の一部として還元されるのだから。

 両手を握りしめ、サラバントは糖蜜花の匍匐茎に浸食されつつある、環境スクリーンを見つめた。

 濃厚な湿気でぼやける視界の向こうには、妙に青い空が広がっているはずだ。

 サラバントはそのまま、カリヨン主塔の見晴らし台へと首を巡らせる。

 すでに第一層を形作るリングが、連結を終わらせている。

 次々と連結し、あっという間に伸びて行く梯子は、遺伝子の螺旋を思わせた。

 そうだ。あれは、生への梯子だ。

「どうか、あの先へ……」

 サラバントは、希望を祈る。

 意味などなく、理由もない。

 ただ、願うだけだ。


◇◆◇◆


 空から一番高い場所はすなわち、どこよりもまず濡れる場所でもある。

 エレベーターの開閉ボタンを押したまま、コーダは噴水のてっぺんのように、雨水を拭きだしている屋上を、呆然と見ていた。

「これじゃあ、フィーネが外に出られないじゃない!」

『出た途端、あっという間に溶けちゃうわよ?』

 躊躇している間にも、鐘の音は、いよいよ佳境に入ってゆく。

 強い雨音をおしのけて響く音楽は、繊細で美しい。

 だからこそ、無情なものを感じさせるのだろうか。

 焦る心を抱えていては、せっかく綺麗な旋律もただの脅しでしかなく、楽しむなんて、ちっともできやしない。

 コーダは踝まで埋まるほどの雨を蹴り飛ばし、背中に引っかけたままのヘルメットを手に取った。

「これ、とっても、気密性が高いの。貸してあげる」

 有無を言わさず、コーダはヘルメットをフィーネの頭にねじ込んでやった。

「これで、大丈夫。すくなくとも、建物の中に入るまでは、大事なところを濡らさなくて済む!」

 得意げに胸を反らすコーダに、フィーネは重いヘルメットを両手で支え、ゆっくりと首を振った。

「行ってください、コーダ様。ここで、溶けて消え果てることこそが、私の運命なのです」

「アンタ、生きろと託されたでしょ? なら、生きなきゃ」

「つらいんです、コーダ様。わたしは、人間ではない。ただ、生き続けることこそが、最大の苦痛なんです」

 涙が出ない代わりに、大きな目をいっぱいに細めて、フィーネは首を振り続ける。繊細な顔をしているが、中身はかなりの強情だ。コーダは「面倒だ」と、肩をすくめる。

「ちょっと、だだをこねるのは置いといて、顔を振るのはやめなさいって! 首がもげちゃったら、アンタどうするのさ!」

 コーダはヘルメットを抑え込み、顔を上向かせる。

「サラが私に触れる度、私は祈らずにはいられなかった。この人に食べられたら、どんなに幸せだっただろうかと、想像しては身を焦がしていた。でも、言えなかった。食べて欲しいと言い出すなんて、できなかった」

硝子を隔て、震える声がくぐもる。

 人のように嘆きながら、フィーネは続けた。

「サラが望んでいたのは、リトミック博士の身替わりだった。私が作り出される以前にも、たくさんの菓子人形がマスターとなり、その身が壊れるまで、付き従っていました」

『主人の後を追うとでも言いたいの? セリ。 ねえ、無駄に与えられた命を捨てようとしないで頂戴』

「ごめんなさい、コーダ様」

 ヘルメットを掴む手をそっと引きはがされ、そのまま、コーダは嵐の中へと勢いよく突き飛ばされる。

「ちょっと、何するのさ!」

「もう、限界なんです。どんなに自分の衝動から目をそらそうと、この餓えが満たされない限り、苦しみは続く」

 踝を濡らす水に、滑らかな肌を持つ脚が甲高い音を立てて砕けた。フィーネが、エレベーターの操作パネルへと、バランスを崩し、倒れ込む。

「私は食べられたい。菓子人形としての最大の幸せを、与えてほしかった。私はずっと――サラに出会ってから、ずっと彼にに食べられたかったのです、コーダ様」

『そんなの、ここに残る理由にならない!』

 子供のように荒ぶるオルビットが、喉元のスピーカーをハウリングさせる。

「人でないものが、人のように生きる。はたしてそれは、幸せなことなのでしょうか?」

『だって、このままじゃ溶けてなくなっちゃうのよ? 消えてしまうのよ!』

 ヘルメットのバイザーのむこうで、フィーネはほほえむ。あまりにも穏やかな笑みは、死に際の賢者のように、迷いも恐怖もなかった。

 コーダは、そしてオルビットは、ただただ、圧倒されるばかりだ。

「いいのよ、それで。私は、消えてなくなりたいの。意味もなく存在し続けたくないの」『でも』

「なら、あなたが私たちに幸せを与えてくれますか? 生み出され続ける私たちを、食べ続けてくれますか?」

 問いかけてくるフィーネに、オルビットは口ごもった。

 なんだかんだいいながら、現在の彼女はただの思念体だ。ものを食べたくても、食べるわけにはいかない。

「さあ、コーダ様。あなただけでもどうか、早く脱出してください。もうすぐ、鐘が鳴り終わります」

 エレベーターの中に入り込んでくる雨水が、どんどん水位を高くして行く。

 濁りのない真水は、独特な雨のほこりっぽい匂いではなく、どことなく粘つくような甘さを匂わせていた。

『さあさ、フィーネお嬢様のいうとおりでございますよ、コーダお嬢様! さっさと行かないと、アンフィニに乗り遅れてしまいますよぉ!』

 わかってる。

 いわれなくたって、そのつもり。……のはずだ。

(なのに、なぜアタシは迷っているのよ!)

 もっと、合理的に考えられるはずだ。

 なぜ、みんな助かる道を模索しているのか。走り出すのを迷っている、その理由は何なのか。

(同情なんて、無意味よ。フィーネはもう、すべてをあきらめてるんだからさ)

 ゆるい螺旋を描きながら、重なってゆくリングの長さはかなりのものだ。

 今から本気を出して走って、間に合うかどうかの瀬戸際。

 本来なら、迷っている余裕はない。

「行って。この世界の外に、私の幸せはないの」

「フィーネ、アナタ本当にいいの? サラバントはきっと、アナタを助けたかったんじゃないかな?」

 フィーネは寂しげに微笑み、リトミック博士の円盤を、コーダの手にねじ込んだ。

「そうでしょう。でも、生き続けることが、私の救済じゃないことは……わかっていただけましたよね?」

 満足そうな笑みに、そっと、背中を押される。

「わかった。じゃあね、フィーネ」

 コーダは、振り返ることができなかった。

 下唇を強くかみしめたまま、雨に煙る屋上へと進んだ。

『もし、私達が哀れだと思うのならどうか、忘れないでいて。人が忘れ去ってしまった私たちを、覚えていてくれれば、それだけでもいいの』

 ヘルメットのマイクを通して、フィーネの声が『早く』と強く促す。

 拒絶にも似たその強い声に後押しされ、コーダは駆けた。

『いっちゃうの? パギュール! この、人でなし!』

「そうよ、人じゃない。人じゃないのさ!」

 追いかけてくる雨粒をはねとばし、ヌラヌラと光るリングの外郭へ飛び込む。

 滑りそうになる前に次の一歩を踏み出し、コーダは階段をひたすら駆けあがってゆく。

 カリヨン主塔の演奏は、無力さを感じている傲慢な心境を慰めるように、緩やかなメロディに入っていった。

「残念だけど、アタシたちにできることなんて、何一つないのさ」

 できることはただ一つ、ひたすら上へと目指すこと。記憶を思い出とすること。

 天井へと近づくにつれ、だんだんと濃くなってゆく青空。

 雲ではなく、水蒸気のもやをくぐったコーダは、行く手に黒い影がうずくまっているのに気づく。

『パギュール! あれって』

 オルビットも気づいたようだ。

 リングとリングの連結部に引っかかるようにして倒れているのは、サラバントだ。

「まだ、私たちにもやれることが残っているかもしれないわね」

 コーダはミラージュを活性化させ、サラバントの元へと、一気に跳躍した。

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