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押し込め込めていた分だけ、再生される記憶は鮮明で、暴力的だった。
足元に俯せになって倒れている女が、びくびくと四肢を痙攣させている。
人の最期が、ひどく醜く、それでいて滑稽であっけないものなのだと、サラバントは初めて知った。
ただ一人きりで、たくさんの敵と相対していた女――リトミック博士の毅然とした後ろ姿は、最早どこにもない。ただ、鋭利なナイフを生やしている背中だけが、サラバントの足元に転がっている。
サラバントは燕のタイルの上に広がって行く血臭を嗅ぎながら、リトミック博士を見つめていた。
リトミック博士は、死んだ。
生命反応はなく、ついさっきまで生きていた名残を残す体温も、じきに冷めるだろう。
「博士、起きてください。貴方は、統合政府に戻るのでしょう?」
自分は、何を言っているのだろうか。
人造人間として組み込まれたセンサーは、主が死んだ現実を、明確に数値化している。リトミック博士は、絶命していた。
話しかけたところで、返ってくる言葉が皆無とあっては、起き上がるわけもない。リトミック博士は、正真正銘の人間だ。
混乱しているのか? ……馬鹿な。
無雑作に、血の海に転がっている小さな鞄を拾い上げて、どうなる。
開けっ放しのドアからは、湿った風が吹き込み、淀む血臭を屋敷の奥へと押し流して行く。
つい数分前までは円滑に機能していた全ての動作が、ちぐはぐだ。
サラバントは必要最低限の荷物しか詰め込まれていない鞄を放り投げ、右手に視線を落とした。
滑らかな人工皮膚に残る、硬質的な感触。
それと、相反するように、生暖かい手応えが残っている。
リトミック博士の、柔らかな肉の手応えだ。
繊細な感覚機能に、サラバントは震える。
なんて恐ろしく、生々しい感触なのだろうか。
「嘘だ。こんな、馬鹿なことが、できるはずがない」
混乱するばかりの人工脳が、血溜まりの中に生前のリトミック博士の幻影を見せる。
振り返り様に微笑むリトミック博士の顔は、皮肉なまでに美しかった。その、美しい女の最高傑作であることが、サラバントの誇りでもあった。
なのに。
〝木星基地が、爆発したらしいわ。この私を呼び出しておきながら、移動への問い合わせに全く音沙汰がなかった理由は、事故だか事件かの情報収集に手間取っていたのね。ようやく上層部と話が付いたの。私は行くわ、サラ〟
「貴方は、俺を置いて行ってしまうのですか?」
〝大丈夫よ、貴方の行動記録はすべて、統合政府のデータベースに送ってあるわ。戻ったら、最新型の体に入れてあげる。また、一緒に働けるのだから、心配しないの〟
「しかし、それは、本当に俺なのですか?」
問いかければ、リトミック博士は「何を今更」と苦笑して頷いた。
〝忠実に、今の貴方を再現するのだから、それは貴方であることに、間違いないでしょう?〟
そうだ、自分は人工物だ。
人のように、唯一絶対の存在ではない。
今まで蓄積されてきた経験は、すべてデータという形で管理されている。中身がそのまま移植(プリント)されるのだから、体は違っても、同一の存在であることに違いない。
なのに、何故。納得できないのだろう。
〝今の貴方は、二時間後に機能が停止するよう設定しておいたわ。新しい体は、すでに生産に入るよう指示してある。だから、私が統合政府に戻ったら、すぐに移植する。それまでは、しばらくのお別れね、サラ〟
くるり、と踵を返して向き直ったリトミック博士が、頬を撫でる。
心地良い体温を感じて
この体温に次に触れるのは、遠い世界に在る新しい自分。今、ここに在る体はもうすぐ機能を停止する。
つまり、廃棄だ。
〈エヴァジオン〉とともに、永久に葬り去られるのだ。
「リトミック博士、俺は死ぬのですか?」
〝なにを言ってるの、サラ?〟
記憶の再生は、鮮明だった。残酷なほどに。人造人間として作られた己の存在を、これほど呪ったこともないだろう。
事切れたリトミック博士の背中を覆い隠すように、幻視が小首を傾げている。上目遣いの視線、緑がかった眼球に、サラバントの姿が映り込む。
〝人造人間である貴方に、そもそも死の概念なんて、あるの?〟
肩に流れる、美しい金色の髪。たわわに実る金麦の穂のように豊かに揺れている姿さえ、人工脳は克明に記録していた。
〝ねえ、サラ。貴方、もしかして〟
ぞくっと、悪寒が背筋を食む。
なかなか屋敷から出てこないリトミック博士を呼ぶ声が、サラバントの思考を遮る。
少し苛ついた男の声に、リトミック博士は〝すぐに行く〟と声を掛けて、サラバントを振り返る。
すると、そこには、穏やかなものではなく、学者としての恍惚とした笑みが浮かんでいた。
緑色の眼球に、妖しい光が差し込んでいる。
〝あぁ、早く統合政府に戻らなくちゃ! 嬉しいわ、サラ。貴方のおかげで一旦は凍結された〈D計画〉の再開を、上層部に働きかけることができるかもしれないわ! 向こうで待っていて、サラ。すぐに行くわ〟
濡れた頬の感触、リトミック博士の紅を引かれていない柔らかい唇が押し当てられた。
それは、別れの挨拶だった。
少なくとも、サラバントは別れだと感じていた。
去り際のリトミック博士の視線の中に、サラバントの姿はない。
今とは違う、全く別の形をした入れ物の中に入っているサラバントの行動記録だけを、見つめていた。
向けられる背中に、未練など在るはずもない。
「リトミック博士。それは、俺ではありません」
幻視の背中が、床に倒れている実物と重なる。
倒れ際、振り返った顔は、まだ見ぬ希望に笑ったままだった。
弛緩し、タイルへと突っ伏した死に顔がどんな表情をしているのか、確かめるほどには冷静ではない。
痺れを切らし、屋敷へと入ってきた助手の男が上げた悲鳴に、我に返る。
「リトミック博士、い、いったい……なにが?」
向けられる、助手の青褪めた顔に「ああ、やはり」とサラバントは独りごちる。
リトミック博士は、死んだ。
自分が、この手で殺し、砂糖漬の死体にしたのだ。
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