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 囓った砂糖花の味は、最悪だった。とにかく、甘すぎる。

『この人、なんてひどい。自分で作ったのだから、子供と一緒でしょ? それを物のように扱うなんて、最低!』

「だって、人造人間は物じゃないのさ。アタシはどちらかというと、死体を砂糖漬にして眺めて、そんなのが楽しいかどうか、知りたいわね。ねえ、サラバント」

 砂糖漬の遺体から立ち昇る〈ミラージュ〉の残滓。

 間接的に見た記憶に憤るオルビットに対し、コーダは肩を竦めるだけだ。

 人間でないからか、サラバントとリトミック博士のズレを理解することが全くできない。馬鹿みたいだと、呆れるしかない。

 素っ気ない態度が癇に障ったのか、不機嫌そうな甲高いノイズがスピーカーを振動させる。

 だが、まともに接触したことのある人間がオルビットだけなのだから、どうしようもないだろう。

 悲しんだり、憤ったりするほどに、コーダはまだ人間を知らなかった。

「それで、フィーネ。アナタは、どうしたいわけさ? どうやって、サラバントを悪い夢から目を覚まさせようというの?」

コーダを突き動かすのは、嘘の下手な人形たちの末路への興味だけだ。それ以外の動機なんて、あってないようなものだろう。

 内心を見透かしたオルビットが『残酷よ!』とは批難してくるが、遠慮なんてするものか。

 消失のリスクを顧みず、〈ニューワールド〉へわざわざ降りて来たのは、人を知るためだ。

 人間たちが残した菓子人形や人造人間は、人を知る、その目的への大きな手がかりに繋がるはずだ。

 コーダは倒れたまま、動けないでいるフィーネの側に座り込み、顔を覗き込む。青い瞳は震えていて、まるで、焦点が定まっていない。

「この世界を、終わらせるの」

 唇が動く度に、滑らかな肌を亀裂が抉ってゆく。

 蜘蛛の巣状に広がってゆく溝からこぼれ落ちる砂糖屑の中には、人の肉塊を思わせる赤茶けた塊が混じっていた。

 砂糖の比率が少ないのか、綿カビがこびりついている。

「〈ニューワールド〉の全ての移動都市は、統合政府によって運営されているのですよ。〈エヴァジオン〉の中枢である環境管理センターは、施設内部の管理を行っているだけにすぎない」

 散らばる手術器具を蹴飛ばし、「無理ですよ」と強ばった声で、サラバントは否定する。

「〈エヴァジオン〉を壊す、なんてことは、できない?」

「レールを破壊する以外は、ですが。少なくとも環境管理センターの設備で、自壊を命令することなんて、できませんよ」 

『レールを壊すって、それって、無理って言ってるようなものよ。いくらなんでも、つるっつるの外殻を、よじ登れないでしょ?』

「――違うのね、フィーネ」

 崩れゆく体に、焦燥の色はない。

 サラバントの指摘は、的を得ていないのだ。

いや、むしろセリの体を介して微笑むフィーネは、全てを成し遂げた満足感を滲ませている。

 サラバントも、気付いたようだ。

「どういうことですか、マスター?」

 縋るようなサラバントに、かさかさに乾いた唇からは、砂糖混じりの吐息しか返ってこない。言葉を紡ごうと動くものの、強度が足りないのだろう。

 声は音にならず、掠れて消えて行くばかりだった。

 代わりに、サイレンが響いた。

 地下室を強く振動させるほどの警報音に、サラバントの顔が俄に強ばる。聞く者を不安にする攻撃的な不快音に、どうやら覚えがあるらしい。

「貴女は雨を、この〈エヴァジオン〉に降らせるつもりなのですね」

 フィーネの支配が解けたのか、表情からは強張ったものが消えていた。

 埃のない床には、半壊の菓子人形が……両目を閉じて眠るセリが、床に転がっているだけだ。

「彼女、溶けて消えるつもり?」

『暢気に考えている場合じゃないでしょ、パギュール! 早くフィーネの所に行って、止めなきゃ! みんな、溶けちゃうんじゃない?』

「溶けようが、壊れようが、アタシには全然、関係ないけど、でも、列車に乗り遅れるのは、嫌ね。すっかり忘れていたけど、ポンコツ円盤を返してもらわなくちゃ」

 いつの間にか、勝手にボリュームが〝大〟になっていた摘みを最小に戻す。

『最低!』だの『鬼畜!』だの、ぎゃあぎゃあ文句を言っているオルビットに賛成するわけではないが、いつまでも砂糖漬の死体を眺めているわけにはいかない。

 右手首のディスプレイに表示されている時刻は、午前七時を指している。

 思っていたよりも、時間が経つのが早い。まともな空がないせいか、時間の感覚が狂っているようだ。

「……カリヨン主塔へ、戻りましょう。環境管理センターに直接アクセスできれば、プログラムを停止できるはず。今度は、余計な邪魔も入らないでしょう。マスター、貴女の側へ行きますよ」

 サラバントはリトミック博士の遺骸を一瞥し、一足先に研究室から出て行った。

「ねえ、オルビット。聞いても良い?」

 入り込んできた埃っぽい空気に反応し、浄化装置が唸り声を上げる。思いっきり睨んでやるが、音は静かにならない。

「人間って、よく分からない。何故、一つのもので満足できないのさ」

『何故って、そりゃあ、もっと、よりよく生きたいのよ。わたしたちは幸せになりたくて、たくさんのものを作って、生み出してきた。いろんな所へと、出て行ったのもそうよ』

 自信なさげなオルビットの声は、まるで弁明だ。

 聞いていられなくて、嘆息を零す。

 死体と一緒にいるから、辛気くさくなるのだ。

 サラバントを追おうと踵を返したコーダは、書類が積まれたままの作業机の上に置いてある地球儀に気付き、足を止めた。

「アタシが見た地球は、映像だけでも、とても綺麗だったのよ」

地球人など何も知らないコーダではあるが、あえて抱いている感情を形にするとすれば、それは呆れ、なのかもしれない。


◇◆◇◆


 踏みしめる砂糖は、まるで沼のように泥濘(ぬかる)んでいる。

 少しでも油断すれば、すぐに踝まで埋まるほどに不安定な足場を、ラルゴは沼に嵌って動けなくなった素体たちの背中を踏み、進んだ。

 初めて耳にするけたたましいサイレンと共に、行く手を阻む砂糖水が一斉に引いていったのには驚いた。

 何故なのか、知るところではないが、異常現象であるのには間違いないだろう。

 だからといって、焦りはしなかった。口元に浮かぶのは、嘲笑だった。

「今更、〈エヴァジオン〉がどうなろうと、知ったことではない」

 何かに突き動かされるように、底が露呈した氷砂糖湖(シユガーレイク)へと次々に飛び込んでゆく素体たち。

 濃紺と白ばかりの部屋の中に作られた、人型の橋がラルゴを奥へと導く。

 繋がってはいるものの、もはや動きはしない不自由な右手を振り子のようにして、ラルゴは先を目指す。

 戻る道など存在しないのだから、進むしかない。

「セリを、私の娘を、返せ――人形よ!」

『返すわ。もう、残っている部分は少ないけれど』

 長く、無限とも思えるほどに伸びる橋の向こうだ。

 見覚えのある深緑色のコートに包まれた小さな塊が、一体の素体に抱えられていた。

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