4

 青い円盤はホームを転がり、千切れた車掌の頭にぶつかって止まった。

 からからと、乾いた音が、ラルゴの鼓膜を揺さぶる。

 体を拘束していた光はコーダが倒れたと同時に四散し、押し潰されていた胸を開こうと軽く咳き込みながら、ラルゴは立ち上がった。

 コーダは、死んだのだろうか。額に弾頭をめり込ませて、両目を見開いたまま。ぴくりとも、動かない。

 驚いたままで止まった表情は、不気味だ。

「パパ、どうして……わたし」

 小さな子供の手には余る、無骨すぎるラルゴの拳銃。

 困惑に、顰められる眉。セリは、縋るようにラルゴを仰いだ。

 青い目が、小刻みに左右にぶれている。

「どうして? どうして! パパ、体が勝手に動くよぉ!」

 銃口を滾らせる熱が、呆然と立ち竦んでいるラルゴを捉えた。

 がたがたと震えるセリの肩とは対照的に、銃を支える腕は、マシンガンのスタンドのように、ぴんと伸ばされていた。

 微動だもせず、ラルゴの額へと、正確無比な狙いを付けている。

「やめるんだ、セリ!」

 銃爪に、人差し指が掛かる。

 何故だ、どうしてだ?

 ラルゴは「逃げなければならない」と叫ぶ本能すら無視して、セリを見下ろした。

 重すぎる銃の反動は、色の白いセリの肌に僅かな罅割れを残している。

 そうだ、セリは菓子人形だ。

 じりっと、額が強ばる感触に、ラルゴは息を飲む。

 未だ、〈コンフィズール〉にある工房で自動生産されている菓子人形。その最新型であろうセリは、限りなく人に近い外見をしてはいるが、人間じゃない。

「何故、プロテクトが作動していない?」

『プロテクトは、あくまで人に対してのものです』

 しっかりと狙いを付けたまま、立ち上がったセリの口から、僅かばかり大人びた声が響く。

「サラバントの、菓子人形! セリに、何をした!」

『フィーネと、呼んでください。〈八月の塔〉を抜けるには、私の体は脆すぎるので、お借りしています。この子に、危害を加えるつもりは毛頭ありません。邪魔をするならば、別ですが』

 苦い、カラメルの匂いに、小さな悲鳴が上がる。

 まだ熱の冷めない銃口が、セリの顳顬を焦がしたのだ。

「人質というわけか」

『受け取り方は、貴方次第です。ただの人形でしかない、この子が、貴方にとって価値のある存在であるのなら、動くことはできない。それだけです』

「セリは、私の娘だ!」

 ラルゴは握っていた拳を解いて、両手を広げて見せる。

『貴方にとって、この子は本当に大切なのですね』

 寂しげな微笑みは、フィーネのものなのか、それとも、セリのものなのだろうか。

 顳顬に銃口をくっつけたまま、セリは身分証明板を拾い上げ、倒れたまま動かないコーダを見下ろす。

『ごめんなさい、コーダさん。でも、この世界を救うためには、どうしても、この円盤が必要なのです。貴女が人間でなくて、良かった。でなければ、撃てなかったでしょうから』

 瞼を伏せ、セリはくるっと踵を返し、列車へと乗り込んでいく。

「待て! お前は、その円盤で、いったい、何をするつもりなのだ!」

『乾いた世界を、救う。それが、私の願いです』

 電子汽笛が鳴り、列車が進み出した。

 がたん、と大きく車両が揺れた拍子に、重い銃を握る手が砕けた。

「セリ!」ラルゴは義足をへし折る勢いで、駆けた。黒い外殻に守られた〈エヴァジオン〉へと返る車両へ、手を伸ばす。

 ――が。

 雷光が、ラルゴの視界を真っ白に埋め尽くした。

 次いで響く地響きに、体勢が崩れ、背後から吹き付けてくる強風に煽られたラルゴは、つんのめるようにして転倒する。

 いったい、何が起こったのか。

 吐き出しそうなほどの胸騒ぎに、振り返る。

「おやおや、これはまた、派手ですね!」

 光に、網膜が灼かれたか。

 ぼんやりとした視界の中、あちらこちらから聞こえてくる不気味な軋み音に、車掌の脳天気な声が混じる。

 勢いよく胸に追突してきたのは、車掌の首だろうか。

「どうなっている! なにが、起こっているんだ!」

「コーダ様が、お食事をなさっていらっしゃるのです。なんとも、豪快な食べっぷり! ワイルド過ぎて、このままでは〝連絡駅〟が壊れちゃいますね!」

 陽気な車掌の嘘みたいな解説を証明するように、足場がぐらっと、傾く。まともに立っていることができず、ラルゴは片膝をつくしかなかった。

 光に慣れ、徐々に定まってゆく視界。

 止まない雷光に抉られては破壊されてゆく〝連絡駅〟の中央で、空へと大口を開けているコーダの姿がある。

「……なんて、ことだ。やめろ、やめろ!」

 破壊は、止まらない。

 むしろ、雷鳴は強く、激しくなってゆくばかりだ。

 吹き込んでくる外気に、破壊された〝連絡駅〟の残骸が、鋭い礫となってラルゴを穿つ。

「申しわけありませんが! 〝連絡駅〟の破損により! 社の規定に基いて! 環状列車AZ八〇〇系〈アンフィニ〉は、一時、安全圏へと離脱いたします!」

 改札口に立つレガートが、両手を拡声器代りに口元に付け、叫んでいる。

「〈アンフィニ〉をご利用の! 〈エヴァジオン〉の方々は! 申しわけありませんが! 自力で、どうにか、お乗りになられるよう! お願い! いたします! 併走は、しているので、飛び乗って、くださいませ!」

 甲高い電子汽笛が、鳴り響く。

 レガートは帽子を取って、お辞儀をし、ドアの向こうへと消えた。

「待て、待ってくれ!」

 制止も虚しく、〈アンフィニ〉が、崩れ始めた〝連絡駅〟から遠ざかっていく。 ずっと、追い求めていた未来が、消えてゆく。

 四つん這いになり、ラルゴは初めて見る空を仰いだ。

 青い、菓子人形と同じ色合いの空には、巨大な光の襞が揺れていた。コーダが放つ光と同じ揺らめきだ。

「早く逃げたほうが、よろしいのではありませんかね?」

 頭を小脇に抱えたレガートが、手を差し伸べてくる。

「結構、大きいのが来そうですよ」

 青い空が、消えていく。

 逃げる暇など、どこにもない。

 何もかもを焼尽くしてしまいそうなほどの光の槍が、崩れ始めた〝連絡駅〟へと振りそそぐ。


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