3


 銃をホルスターに差し、ラルゴは遠ざかる火薬の臭いに向かって、そっと胸元で十字を切った。

「何としても、私たちは、ここから出なくてはならないのだ。許せよ。死は、せめてもの手向けだ」

 電子汽笛が、ラルゴの追悼の意を肯定するように、高らかに鳴り響く。

「パパ! 早く、戻って来て!」

 車内から、セリの歓声が聞こえてきた。

〈エヴァジオン〉の黒光りする外殻を一瞥し、車内へと戻ったラルゴの足に、セリが飛び込み、縋り付く。

「怪我はない?」と見上げてくるセリを優しく撫で、ラルゴは窓へと首を巡らせた。だんだんと近づいてくる〈アンフィニ〉の美しい車体に、目を細める。

 この日を、どれほど待っていただろう。

 程なく、もう一度、電子汽笛が鳴り。車体がぶるっと震えて、停止した。

 自動的に開く扉。甘い匂いは薄まり、うっすらと車内に漂い始めたのはオゾンの臭いだ。不快なはずなのに、どうしてか、新鮮な気分になる。 

「行こう、セリ。狂った世界から、抜け出す時が来たのだ」

 差し込んでくる太陽光に誘われるように、ラルゴは〝連絡駅〟のホームへと降り立った。

「こんにちは、はい、こんにちは! 先ほど、なにやら大きい音がしましたが、何だったんでしょうねぇ? お客さんは、大丈夫ですかぁ?」

 誰もいないホームの真ん中に、白い制服を着た男が立っていた。

 丸い小さな制帽を挟むように頭から獣の大きな耳が突き出し、ふさふさの尻尾が陽気な口調に合わせて揺れている。

「お前、人造人間か」 

「ええ、そうです。まさか、人間様に見えた……なんてことはございますまいな? いや、むしろあなた様の方が人間様にそっくりなんです! おどろきです。さてさて、前置きはさておき。自分は、レガート。環状列車AZ八〇〇系〈アンフィニ〉の車掌をしております。どうぞ、よしなに」

 裾の長い制服をひらりと翻し、頭を垂れた車掌は、黒い肩掛け鞄から読取機を取り出した。

「では、早速。パスを拝見。お持ちでしょう? 青い円盤。身分証明板と呼ばれているアレでございます」

 にやにやと、意味の分からない笑みを浮かべる車掌は、握手を求めるように読取機をラルゴへと突き出した。

 使命が全ての人造人間と睨み合ったところで、何にもならない。ラルゴはコートの内ポケットから〈オーヴァチュア〉を取り出して、レガートの持つ読取機へと翳す。

 が――。

「おやおや、これは大変! エラーが出ておりますが、この円盤様、本当にお客様のものですかな?」

「ディスクは、持っている。〈アンフィニ〉へと乗せろ」

「そう仰られても、ねぇ。自分は、ただの車掌ですよ。社の規定範囲外のことは、対応できかねます」

 ラルゴよりも頭一つ分背の低いレガートが、背伸びをして顔を近づけてくる。意味のなさそうな笑顔は、何もかもを見透かしているように胡散臭い。

 そのレガートの顳顬こめかみに、ラルゴは銃口をめり込ませた。

 脅しなどではない、本気であることを示すため、銃爪に指を掛ける。しかし、レガートの表情は、相変わらず緩んだままだ。

 不思議そうに、ラルゴのゴーグルを見上げる。

「武力行使ですか? そんなもの、自分には何の効果もありませんよ」

「パパ! 危ないっ!」

 長い制服の裾が、ひらりと捲れ上がる。

 視界の隅にちらつくのは、銀色の拳銃だ。読取機を持っているのとは別の手に、小振りの凶器が握られていた。

 反撃か?

 一歩さっと後じさったラルゴに、レガートは取り出した銃を己の顳顬に添えて、笑った。

「百聞は一見に敷かず。よぉく、ご覧くださいな!」

 にやりと、口の端が耳朶へと届いてしまいそうなほどの不気味な笑みが――甲高い銃声と共に吹き飛んだ。

 飛び散る、青い人工血液にセリが悲鳴を上げた。

 残されたレガートの体が、どしゃっと、力なく頽れる。

「なにを……馬鹿なことを」

「悲しんでくださるのは嬉しいですが、自分共に、そんな感情を向けられても、意味がない。もったいないので結構です。むしろ、笑ってくださるほうが、二十九号も浮かばれるでしょう。なにせ、ここは至上の楽園〈エヴァジオン〉なのです。他に類を見ない、素敵なアトラクションになれたというのなら、いくばくかの意味も――ありますかね?」

 小首を傾げ、どこからか現れた車掌は、「戦闘用じゃないので、脆いですね」と、足元に転がる自分の頭を無雑作に蹴飛ばした。

「しょせんは、ただの道具というわけか」

「換えが利かなければ、道具とは言えませんでしょう? まあ、この通り、自分には脅しは利きませんので、あしからず。自分はいくらでも消費可能ですが、あなた様の銃弾はそうは行かないでしょう? 無駄にしてはいけませんよ。忠告は、サービスです」

 車掌はにこやかに、再び読取機を突き出した。

 軋むほど銃のグリップを握りしめ、ラルゴはすぐ目の前にある純白の車体を見つめた。

「どうしても、駄目なのか? 私はいい、この子だけでも乗せてはくれないか?」

「パスさえあれば、何の問題ありません。最大のサービス精神を持って、乗せいたしましょう。人造人間だろうと、菓子人形であろうと、それこそ、地球外生命体であろうとも」

 頑として譲らない車掌は、読取機をしまって長い袖を捲った。白い腕には、黒いベルトの時計が巻かれている。

「そうですね。次の午後休憩の鐘が鳴り終える頃までに、必要なものを揃えていらっしゃい。乗り遅れれば、次の接続は約百年後となりますので……注意してくださいね」

「たのむ! どうか、頼む! 身分証明板はある、ちゃんと、ここにあるのだ!」

 ラルゴは銃を捨て、膝を着いた。

 面食らっているレガートに、額をぶつけるほどに頭を下げる。ここまで辿り着いたのだ、なりふりなど構ってはいられない。

「ですから、それは別の方……と、いいますか、コーダ・オルビット様の身分証明板でしょう? せめて、正式譲渡されてから、いらっしゃってくださいな」

「譲渡だと?」

「ええ、譲渡です。コーダ・オルビット様から譲渡の許可を戴くか、それが難しければ……殺しちゃってくださっても、結構ですよ」

 人差し指をくるくると回し、あくまで、にこやかに続ける。

「所有者の死亡後、次に手に入れた方へと自動的に所有権が移るようになっているんですよ。便利でしょう?」

「なにが、便利よ! このクサレ車掌!」

 跪くラルゴの頭上を何かが勢いよく通り過ぎ、そのまま、車掌を吹き飛ばして四散する。煌めく虹色の輝きには、見覚えがある。

「さあ、アタシのオンボロ・ディスク、返してもらうわよ!」

 背中から、吹き付けてくる風。 

 慌てて立ち上がるが、間に合わない。あっという間に、ラルゴはゲル化した光の固まりに拘束され、身動きができなくなる。

 締め付けられる体に、手から身分証明板が転げ落ちた。

「どうしてだ? あの爆発で生きているとは、信じられない」

「人間だったら、死んでるでしょうね。とはいえ、だいぶ、ダメージを貰ったわ」

 紺色の車体の屋根に仁王立ちに立つのは、白い宇宙服を煤で汚した、あの旅人……コーダと呼ばれていた少女だ。

 確かに爆風に巻き込まれたはずなのに、滑らかな頬には傷一つも見当たらない。

 ラルゴは奥歯を噛みしめて、拘束から逃れようと四肢に力を入れる。が、身を捩ることすら、ままならない。

「セリ、身分証明板を拾うのだ! お前だけでも、〈エヴァジオン〉の外へいけ!」

「やだよ! パパと一緒じゃなくちゃ、セリは嫌!」

 駄々を捏ね始めたセリは、ぺたりと座り込んで、首を振る。手を伸ばせば、すぐそこに青い円盤があるというのに、動こうとしない。

「一緒が良いって言うのなら、ずっと二人でここにいなさいよ」

 屋根を蹴り、緩い放物線を描いてコーダが着地する。

 縊れが浅い腰に手を置いて、眉を吊り上げてセリを睨み下ろす顔は、どことなく苦いものが滲んでいた。

 見た目には現れていないが、爆発の影響は、少なからずあるようだ。

「セリ、逃げるんだ!」

「どのみち、二人で一緒に逃げるのなら、身分証明板はもう一つ必要なんだっての」

 コーダは身分証明板を拾って、ひらひらと扇いだ。ぞんざいな扱い方に、ラルゴは吠える。

 青い、あの円盤だけが、この狂った世界から救い出してくれる、たった一つのものであるというのに。

「わたせ、それを渡せっ!」

「い、や、よ。これは、アタシの――」

 コーダの嘲笑を遮って、乾いた破裂音が〝連絡駅〟のホームに鳴り響く。 

 オゾンの臭いの中に漂う、苦い硝煙。

 額を綺麗に撃ち抜かれたコーダの体が仰け反り、頭からゆっくりと倒れるのを、ラルゴは呆然と見ていた。

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