4
青い目、しかし瞼はなく。左半分は、奇妙に抉れて変形していた。
歪なマシュマロに、青いビー玉をはめ込んだような、およそ人とは遠いところにある容姿だった。
変形した左半分は、破壊されたのとは違う抉れ方をしているように思えた。
まるで溶けたような顔面には、綿状のふわふわとした胞子がこびりついている。
どこかで嗅いだことのある、ツンとした臭い。
遠い昔ではない、ごくごく最近の記憶だ。
コーダは眉を寄せ、オルビットのシナプスを満たす〈ミラージュ〉を活性化させる。巻き戻されて行く記憶に、臭いの記憶を探す。
「サラバントに壊された菓子人形と同じ臭いだ! カビているの?」
『まさか? 砂糖は腐らないものでしょ?』
ゴーグルが落ちる音を合図に、とまった時間が動き出す。
呆然としていたラルゴが、顔を覆い、悲鳴を上げた。
悲痛な慟哭が、甘い空気を震わせる。
「私が、菓子人形? ならば、この肌はなんなのだ! 人の肌と同じものだろう! この、病気はなんだ! 皮膚が崩れ、熔けてゆく。この、忌々しい病は人である証だ!」
確かに、フィーネの肌のように白くない。僅かに赤みの差した色は、コーダとそっくりだった。
何より、顔の腐食。
「不純物のせいですよ、ラルゴ。その肌の色は、人の血肉の色なんです。リトミック博士の意志を継ぎ、オレが貴方を作りました。人としての意識が生まれ出たのは、全くの偶然ですがね」
祈るように、縋り付くように這いつくばるラルゴに向けられる声は、あまりにも硬質だ。 右手に持つ蛇腹剣よりも重い一撃となって、ラルゴの肩を穿つ。
『人間が……混ざっているの? どうして?』
「いったい、この世界でなにがおこっているのさ?」
右腕を抱いて、泣き噎ぶラルゴに、コーダは掛ける言葉もなく見つめるしかない。そんなときだ、工房の奥へと続くシャッターが、強く叩かれた。
風、ではなさそうだ。
「なにか、来るわよサラバント!」
シャッターを叩く力は次第に強くなり、瞬く間に変形して行く。
「答えろ、サラバント!」
義足を床にめり込ませる勢いで穿ち、ふらつきながら立ち上がったラルゴは、指の隙間から見える青いガラス玉にサラバントを映し出した。
「この世界に人がいないというのなら、なぜ、私をつくりだした?」
怒りに歪むラルゴとは対照的な、サラバントの無機質な顔。黒い瞳には否定も肯定もないが、答えは明確だった。
「オレも、貴方も所詮は道具なんです。与えられた使命を遂行することだけが、この存在を肯定してくれるのですよ」
「貴様を満足させるためだけに、私やセリは生み出されたのか!」
ラルゴの怒号に触発されるよう、シャッターが吹き飛んだ。
ぞろぞろと、工房に入ってくるのは白い木偶人形(マネキン)だ。
「サラバントぉおおおっ!」
飛びかかってくるラルゴに、サラバントは蛇腹剣を振りかぶった。
にじり寄る素体たちを巻き込んで、分厚い刃がラルゴの巨体を吹き飛ばす。
『ちょっと、乱暴すぎるよ!』
「全く、困りましたね。エレベータへの道が、素体たちで塞がれています。俺たちを上へ行かせないつもりなのですかね」
「どうするつもりよ、サラバント? 蹴散らせなくはないけど、全部壊すとなると、骨が折れるわよ」
片っ端から破壊するのも一つの手なのだろうが、あまり力を消耗したくないのが本音だ。
建物の中にいる今、外からの補給は望めないし、うっかり〈エヴァジオン〉を破壊してしまったら、今度こそ助からないだろう。
話している間にも、素体たちの数がどんどん増えて行く。
『ラルゴ、大丈夫かしら』
心配しているオルビットに、「どうかしら」とコーダは素っ気なく答える。
『なによ冷たいのね、助けてくれたのよ、彼』
「お礼はさっき、アナタが言ったでしょ。それで、充分。ラルゴだって、自己満足のためにアタシたちを助けたんだろうから」
『どういうことよ、パギュール』
コーダは砂糖が絡まって、ごわくつ髪を掻きむしった。オルビットが抗議のノイズをあげるが、気にしない。
「人間の振りを、していたいのよ。あのセリって子を娘だと言っているのだって、そう。ねえ、サラバント?」
手袋に絡みつく長い髪を、腕を振って払い落としたコーダは、素体たちの壁が一番薄い場所へと向かって踏み出した。
カリヨン主塔から外へと出る、連絡口だ。そこだけが、異様に壁が薄い。
(罠の匂いが、ぷんぷんする。けど、それならそれで、乗っかった方が手っ取り早そうね)
殺気だった素体たちの様子は、どこか変だ。ラルゴに付き従っていたときの統率生が全くない。
一見、暴動のようにもみえるが、まだ完成していない彼らが勝手に動き回っているとは思いがたい。
これには、意味がある。そんな気がしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます