3

「すべて、貴方がやったことよ。サラ、貴方は人を殺したの」

 横たわる女――リトミック博士と瓜二つの顔が、悲しげな笑みを、ゆっくりとサラバントに向けた。

「ありえませんよ。俺が、人間を殺すだなんて」

「安全装置は絶対、ですか?」

 フィーネの間を置かない返答に、サラバントは「当たり前です」と返す。

 人工生命体に義務づけられている安全装置は、サラバントにとって唯一絶対のものだ。殺人を否定する言葉は、それ一つしかなく、つまりは全てだった。

 疑う余地など、どこにも無い。

「全ての人工物は、創造主である人間の不利益になるような行為はできない。命を奪うなんて、もってのほかだ。そうでしょう?」

 統合政府の招集を受け、リトミック博士が屋敷から出て行く姿を、サラバントは確かに見送った。頭の中にある記憶メモリーは、別れ際に振り返った博士の顔を、確かに記録している。

 サラバントは砂糖漬けの死体を、恐る恐る見やった。

 少し水っぽく腫れてはいるが、リトミック博士その人に間違いない。

 どうして、ここにいるのか。

 どうして、砂糖漬けにされて安置されているのか。

「俺は、人造人間ですよ? 人間を殺すなんて、できるはずがない。せいぜい、死んだ人間を砂糖窯に投げ入れる程度だ」

「この子の体は、リトミック博士の生体脳の一部が組み込まれている。人工脳髄を支配して、私は理解したの。すべて貴方がやったのよ、サラ。この世界を包む悲しみは、すべてあなたのものなのよ」

棺から取り出した花をサラバントに向けて放り投げるや、フィーネはセリの頭を覆う布を剥ぎ取っていった。

 毛根の痕もないつるりとした頭皮が、浄化装置から吐き出される無味無臭の空気の中に晒された。

「そっくりね、リトミック博士に。もしかして、フィーネのあの綺麗な髪は、人間のものなのかしら?」

『サラバントが、フィーネやセリを作ったの?』

 こくり、と。フィーネは、頷く。

「なるほどねぇ」と独りごち、オレンジ色の砂糖花を手に取ったコーダが、硬質な花びらを囓る。

 ぱき、っと小気味良い音と共に、甘い匂いが広がった。

「菓子人形たちが人間を求めたように、サラはリトミック博士を求めた」

「……否定はしません。支配する主が存在してこその、人造人間だ。マスターの言うとおり、俺は博士に似せて貴女をつくりました。しかし、人間を殺すことはできない」

 フィーネは、ゆっくりと首を振った。

「ねえ、サラ。貴方は私たちを……リトミック博士を何故、必要としたの?」

リトミック博士の面影を残した少女型の菓子人形が、サラバントに問う。

 この少女(セリ)を作ったのは、いつだっただろう。

 フィーネよりも、前なのは、確かだ。いくら人の贓物を混ぜようと、生まれてくるのは不完全な菓子人形ばかりだった。だから、途中で諦めた。

 結果として、その歪さが、彼らに本来あるべきではない自我を与えることになったのだが――だからといって、それがなんだというのか。

 サラバントが望んだ結果ではない。人間は、生まれなかったのだ。どんなにそっくりであろうと、この世界に存在するものすべては、まがい物だ。

「マスターを作った理由ですか? それは、貴方も言ったではありませんか? 菓子人形と同じです。自己の……」

「ふん」と言葉を遮る嘲笑は、コーダだ。

「存在理由を、守るため? でも、サラバント。人造人間であろうとするのなら、人間が存在しなくたって、良いんじゃないの? システム、つまりは〈エヴァジオン〉さえあれば、アナタは満たされるはずでしょ? 現に、〈アンフィニ〉の車掌は、不満なんてなさそうよ。ムカツクぐらいに、人生を楽しく謳歌しているようだけど?」

 砂糖花の茎を咥えたまま、コーダは「なんで、わざわざ人間にこだわるのさ?」と問う。

 サラバントは、強張った肩から、力を抜いた。

「確かに、コーダ様、貴女の言うとおりだ。使命さえあれば、人造人間の存在理由は果たされる。俺に与えられた使命は、〈エヴァジオン〉の維持です」

「……本当に? サラはこの世界の維持を、リトミック博士から任されたのですか?」

 フィーネの再びの問いに、サラバントは言葉を飲む。

 与えられた使命は、〈エヴァジオン〉の維持だ。

 ――その、はずだ。

 しかし――と、サラバントは視線を下げた。

 じっと見つめてくる二人分の視線に晒されている今、確かだったはずのものが、徐々にグラついているのを感じていた。 

 白い糖蜜花を溶かす砂糖窯を覗き込んだような、底の知れない不安に、じわじわと足元を溶かされているようだ。

「いくら要人の作った人造人間でも、システムの全てを任せるなんて、そんな大胆で無駄な命令を、果たして出すでしょうか?」

『施設の制御系統は、独立しているべき……ね』

 目眩がする。立っていられなくなって、サラバントは後じさる。

 ふらつく体を支えようと、側にあった棚に手を突けば、衝撃でいっぱいに詰め込まれた機具が勢いよく落下し、埃一つもない床に散らばった。

『手術道具が、たくさん』

 フィーネは、鈍色の光を放つ小さなノミを拾い上げ、微笑んだ。

「人造人間でありながら、すでに人の領域へと踏み入れている貴方のために、私たち……いいえ、〈エヴァジオン〉の全ては存在しているのかもしれない」

 放り投げられたノミが、床板を削る。

「リトミック・アルコを殺したのは、サラ。貴方なのです」

「……嘘だ」

「愛していた人を、サラは殺した。罪を無かったことにするために、貴方が必要としたのは、安全装置。人造人間で在り続けることが、貴方の免罪符だった」

 人の肉が混ざった、僅かに赤みの差した頬。

 菓子人形の青い瞳に、サラバントは射竦められていた。

信じられない。――信じられるはずかない。

「人を殺すことなんて、不可能だと言っている! 自分を人間だと勘違いしている、愚かな菓子人形たちとは、違う!」

 髪から、指の先まで。全てが、人工物でできている。

 思考はリトミック博士によって、統一規格を基に作られた。

 学習自立型であるとはいえ、別に珍しくもない。その他大勢の、ただの人造人間と同じだ。

 超えられない一線がある限り、人の領域へなど踏み込めるわけがない。

 人造人間であるという、証拠さえあれば……

「愛のために、愛した人を殺せるのは、人間だけ」

 乾いた音が、フィーネの……いや、セリの足首を捥ぎ取る。

 清潔すぎる室内はひどく乾いていて、菓子人形にとってはあまり良いとは言えない環境だった。

 硬化症だ。

「そう、だからサラバント。貴方はもう、人間なのよ」

 ゆっくりと、頽れる体。

 驚き、見開かれた大きな目。

 足元に散らばる、鋭利な刃物。

 飛び散る血液の代わりに散るのは、砂糖の欠片。

「忘れた振りをするのは、もうやめなくては。甘い夢から目を覚まして、貴方はここから去らなくてはならないの」

 あの日と同じように、フィーネは眼球だけをサラバントに向け、力なく微笑んだ。

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