第33話 再来、そして狂気
『やあやあ、ゲロ吐き坊やくん。また来たのか』
対面は二度目になるが自分の顔と声で話されるというのは些か気分の良いものではなかった。
「あぁ、この前は……ちゃんと話せなかったから」
ダグザはできるだけ落ち着いたそぶりで言った。近くにあった悪趣味な色のソファーに腰掛ける。
その動作にダグザの容姿をしているが
「本題に入る前に自己紹介をしよう。僕はダグザ=ヴェルター。見たところ君は……僕の姿をしているけど……」
『知ってるよ。ダグザ=ヴェルター。そうだね。僕は君の姿をしてる。だけどこうも捉えられる、君が僕の姿をしてるってね』
そいつのしたり顔がダグザの神経を逆撫でする。
「名前は……あるの?」
『あるよ。ダグザ=ヴェルターの姿をして言うのも何だけど、僕はペタ。ペタ=ペティム。偉大なる魔力の起源。万物の化身ゼタからもらった名だ』
彼は知らない単語に少し顔をしかめた。
「ペタ=ペティムは……僕の魔力?」
『それは正解であって正解ではない。僕、ペタ=ペティムは一応、一人の生物として確かに存在している。ただ君達が知らないだけで魔力というのは人や物に宿ることでしか生きられない一生物……なのかも知れない』
「なのかも知れないって?」
『僕も、魔力同士で会話したことはないし、君達、《遣い人》達が使う魔法とかやらで消費される細切れの魔力に意思が宿ってるとは思えないからね。あくまでもその根源は確かに生きている、という推測さ』
短時間にとんでもない発見をしてしまったようでダグザはどう言葉にして良いか分からずにいた。
「まあでも、僕は
「特別? 何で?」
「ゼタが言っていたのさ。……少し、話し過ぎた。これ以上は…………言わない」
「……わかった。じゃあ、本題だ」
そう言ってダグザは右手を差し出した。
『潔いね……。それとも根拠のない自信でも湧いたかな? ちなみに自信でも行きすぎるとただの傲慢になるって知ってた?」
ペタが皮肉とともにその手を握り、世界は暗転した。
明転。
この前とは違い、ダグザは壁に貼り付けられていなかった。それどころか体の自由さえある。
辺りは前と同じただただ白い水平線が続く空間。誰もいない静かな空間。
このまま何も起こらないのではないかという考えが彼の脳裏によぎった頃、部屋の隅から何かが近づいてきていることに気づく。
「何だ?」
それは最初小さな点だったが、段々と大きくなりやがてそれが何かの大群だとわかった時にはダグザの四肢は捥げ、辺りにどす黒い血を撒き散らすこととなった。
もはや人と呼べるのか分からない姿になっても彼の意識は鮮明なままだった。それはペタの悪趣味というわけではなく、単に四肢を吹き飛ばされる感覚を受けるだけでは、自我を保つことができるというダグザの意思の強靭を意味していた。しかしーーーー、
『強いねぇ……ヴェルター。喋れるかい?』
何処からともなく現れたペタがダグザの髪を撫でながら言った。
彼はおそるおそる口を開け、喉の奥から声を搾り出そうとした。すると口の中がやたらもそもそと動いていることに気づく。
『美味しい? ねぇ。美味しい?』
謎の言葉に顔をしかめていたダグザだったがやがて喉の奥がだんだんと熱くなり、こみ上げてくるものを抑えきれなくなると、彼は苦痛の叫びを上げる代わりに、吐き出したのは蟻、蟻、蟻、蟻。大量の羽蟻だった。
『悲鳴を蟻にしてみたんだけど、気に入ってもらえたかな?』
そうペタは彼の耳元で囁いた。
舌の上、鼻の穴、顔中を歩き回る蟻を手で退けることもできず、声も上げられない。
一匹の蟻が眼球に触れる。そして彼の世界はやがて暗くなり、完全に埋め尽くされーーーー、
ーーーー嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。触るな触るな触るな寄るな寄るな寄るな寄るな寄るな寄るな気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。
「触るなって言ってるだろうぉぉっ! 触るなよぉぉ!」
先程まで出なかった叫び声が競技場に響き、そばで呼びかけて背中をさすっていた人影をダグザは突き飛ばす。
そのまま何も付いていない顔を毟り、毟り毟り毟り毟り毟り毟り毟り毟りーーーー、
「おい! ダグザ……大丈夫か? ダメだな一度気を失わせるしか……」
そう言ってグランノーデルが暴れまわる彼に手を伸ばす。がその手は彼に触れることはなく、人ならざる力で強制的に身体を宙に持ち上げられた。
「お……っ……おい! ダグザ……正気かっ……」
片手で師父の胸ぐらを掴み、俯いたまま持ち上げるダグザ。彼を中心に段々と辺りを禍々しい魔力が包み始める。
「この…………っ……蟻がぁぁぁぁぁぁ!」
手合わせであれほどの実力差を見せつけたグランノーデルの身体を軽々と地面に叩きつける。
「く……どうなって……」
巻き上がる土煙の中、グランノーデルは彼の姿を見て驚愕した。彼の身体に巻き付くように黒々とした魔力が脈打っていたのだ。肝心の顔には仮面のようなものが覆っていたので表情はわからない。
「これは明らかに……暴走……だよな……くそっ……! 厄介な……」
そう言いながらグランノーデルが立ち上がった瞬間、漆黒の爪が音を切り裂き、彼の身体を吹き飛ばした。咄嗟に『相反』していなかったらいくら教師といえど無事では済まなかっただろう。
壁に打ち付けられた背中が痛む。
「こりゃぁ本気でやらないと無理だな。ダグザの身を心配する前に、こっちが無事じゃ済まない……。連絡、しとくか」
戦闘体制に入ったグランノーデルの身体を魔力が覆い、練度の高い『
黒い粘液のよう魔力は文字通りダグザを『侵食』していき、まるで漆黒の鎧を纏っているようだった。
右腕で空を一閃するだけで、千の魔弾が飛ぶ。
「蟻ィ! 蟻は嫌だ嫌だ嫌だぁぁぁぁ! 死ねよぉ! 消えろぉぉぉぉ!」
乱雑に振り回された裏拳がグランノーデルの頭の上を掠める。
「悪いけど、気を失ってくれよっ!」
ゼロ距離での高威力の魔力波。極限まで圧縮された魔力を打ち込むのではなく発射する。触れているから衝撃は全てダグザに伝わるが、それでも辺りに波紋が広がるほどの威力だ。確実に意識は刈り取れる。そう思っていた。
「…………だからさぁ……寄るなっ…………よっ!」
たった一撃の蹴りで十分すぎた。
グランノーデルは自身の防壁で捉えたにもかかわらず、競技場の壁にめり込む有様となる。ダグザは別段追撃するそぶりも見せず、そのまま、廊下へと足を進めて行った。そんな彼の背中を師父はただ、目で追うことしかできなかった。
「今どこのあたりだ?」
「二階の東棟のはず……」
「絶対に学校外には出すなよ!」
そう話しながら教師達がダグザの行方を追っていた。彼はグランノーデルを下した後、寮の方へ壁と窓を破壊しながら移動している。もちろんそれは身体から放たれる禍々しい魔力の所為だが。
「いたぞっ! 囲むんだ!」
五人程の正式な魔法遣い達が彼の周りに陣形を取る。そして、全員が魔力を練り始めた時間にしておよそ二秒程のロスタイムのうちに、ダグザは魔力で作り出した黒い腕を伸ばし多対一を優位に進めていた。
「また蟻かよっ! ワラワラと寄って来やがって……この虫けらがぁっ! 消し炭になれよぉっ……!」
一度に伸ばせる腕を二から三へ、三から四へ。次々と増やしていく。
「一体どこにそんな魔力が……! 五人でも手に負えんぞ!」
うち一人はダグザの軽く音の速さを超越したであろうエセ『
死さえ感じさせる恐怖。圧倒的すぎる、力。
学校に存在していい域を確実に超えていた。
「次の…………蟻はぁ?」
ダグザ、否、漆黒の修羅が鋭い眼光で睨みつける。
「ひっ…………」
思わず教師達が下がった時、この場に、一戦場とかした空間に、いてはならないものが介入する。
「もしかして……ダ、グザ?」
その少女の名はミランダ。騒がしさのあまりに寄せ付けられたのかひょっこりと顔を出し、その予想外な光景に少しばかり動転する。
「来ちゃダメだっ! 下がれっ!」
教師の一人が叫んだ頃には、既に黒い腕のうちの一本が真っ直ぐ少女へと伸びていた。その先は徐々に変化し、鋭利な槍を形成する。
即死。そう、その場にいた誰もが思った。当然の如くミランダ自身もだ。
黒い仮面の下でダグザの口角が上がるのをその場にいた全員が目にし、畏怖などという感情さえ覚えていた。
しかし、槍の先が彼女の体を捉えることは永遠になく、廊下の壁を破壊するだけに終わる。
「こりゃあ、ひどい有様じゃのう。大丈夫、ではなかろうな」
一瞬にして現れるや否やミランダを救った賢人が、異端児の少年だった者を睨みながら言った。
「アズマ様っ……! こちらは既に一人、戦闘不能にされております!」
教師の一人が早々に述べる。それにアズマは頷くと、次の瞬間にはダグザの懐へと飛び込んでいた。それは速さと呼ぶにはあまりにも断片的だったが、初期の地点から目的地までの移動時間だけを考えたのならアズマの『転移』は光の速ささえも凌ぐ速さを誇っていただろう。
「さすがに冗談では済まなくなりそうなのでな」
「……?」
魔力のこもった殴打。魔術などではなくただの肉体強化だったが、その計り知れない程魔力量に腕がぼやけて見えていた。下手をすればアズマの一撃で校舎が半壊していたかもしれない。そんな一撃をダグザの漆黒の『
辺りを衝撃波が走り、側にいた者を震撼させる。
「そんな……アズマ様でも……!」
ミランダが悲痛の叫びをあげた時、賢人がその場にそぐわない笑みを浮かべていたことに気づいた者はいなかった。
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