第4話 たった一晩の出来事

 ガウルテリオによる魔法の特別指導は朝早くから始まる。

 それは彼の説得により、ダグザはしばらくの間授業を欠席することを許されていたため、可能になっていることだった。


「魔法にもランクがあるのは知ってるな? このランクは難易度が高くなるにつれて上がっていく。主に『初等級』はランク1までの魔法を習うことになっている」


 ダグザの部屋で、ガウルテリオが朝のコーヒーをすすりながら言った。


「知ってます。教科書に書いてあるのを見ました」


 その言葉を聞いてガウルテリオは嬉しそうに頷いた。


「良い心がけだ。俺はお前がしっかりと基本を身につけられるよう手助けすることはできるが、結局のところ頑張るのはお前だからな……じゃあまずはすべての軸となる魔法、『放出』と『維持』について教えよう」


「ほーしゅつといじ?」


 ダグザは首をかしげる。


「そうだ。『放出』は文字通り魔力を体外へ放出すること。『維持』はそれをコントロールしたり、形を留めたりすることだ。この二つができなきゃ他の魔法も扱えないはずだ」


 そう言った後、ガウルテリオはおもむろに人差し指を立てた。

 何だろうとダグザが見ていると、突然人差し指が光りだし朱色のモヤモヤした物体が出現した。


「これが『放出』……そして……」


 モヤモヤした物体は、ガウルテリオの人差し指の上に集まり始め、やがて金属のような光沢の球体になった。

 色は変わらず綺麗な朱色だ。


「これが『維持』……こっちの方が重要だな。確かお前はこっちができなかったんだろ?」


 ダグザは魔力の球をじっと見つめながら頷いた。


「大事なのは意思だからな。魔力にしっかりと指示が伝達しないと、行き場を失っちまう。ま、要はイメージだ」


「イメージ……」


『放出』ならばダグザにだってできる。

 今の所二回成功していたはずだ。

 課題とされるのは『維持』だった。


「よし!」


 ダグザは掛け声と同時に両頬を叩いた。

 手の平に魔力を集中させ『放出』する。

 まるで血が流れているように、ドクドクと脈打ち彼の体から漏れ出していく。


「こいつを……丸く……」


 彼はモヤモヤと漂う自身の魔力に、次の指示を下す。

 その瞬間、彼の体に襲いかかる重圧。

 彼の魔力が命令に反発したのだ。


「ぬっ!」


 危うく魔力を手離しそうになる。

 意思と意思の綱引き。

 彼が丸くなれと命令を下す度に、魔力の方も彼の心に訴えかけていた。

「お前などには制御できない、離せ」と。


「あぁ!」


 ダグザの叫び声が響くと同時に、彼の魔力は空気が抜けていく風船のように部屋の中を暴れ回り、壁にぶつかって消えた。


「あぁぁ……ダメだぁ。なんで……」


 ダグザは悲しそうに唸った。

 まだ手の平にはじんじんと痺れるような感覚が残っている。


「まあ、一朝一夕にはいかないさ。ほらもう一回」


 ガウルテリオはダグザの背中を叩いた。

 結局その日は、一度も成功することはなかった。




 


「ガウルテリオ先生」


 夜の魔法学校の廊下。

 何人かの教師が見回りをしているなか、その一人だったガウルテリオは突然の声にびっくりして振り向いた。


「あぁ、ハーム先生。どうしたんですか」


 ハームは『初等級』クラスを受け持っていて爽やかで優しい雰囲気を漂わせている若い教師だった。

 彼の最近の悩みは自分が受け持つクラスに彼の最も忌み嫌っている人種が編入してきたことだった。


「他の先生方から耳にしたのですが……あの下民を指導しているとか」


「ええ、授業を休んでいる件についてはもう許可をもらっていますよ。それに彼は下民ではない。ダグザです」


 ガウルテリオは淡々と述べる。


「あんな落ちこぼれに時間を費やすなんて、よほどおヒマなのですね……」


 ハームはそう言って立ち去った。

 ガウルテリオはその背中を見えなくなるまで見つめていた。

 一見正反対の意見に見える二人だったが、彼ら二人とも肝心なところを見落としていた。

 ハームははなから見る気が無く、ガウルテリオには見えていなかったのだ。

 ダグザ=ヴェルターの限りない努力が。




 同時刻ダグザは真夜中にも関わらず起きていた。その理由は……。


「あぁ! くそっ!」


 彼の手の平から魔力の塊が飛び出した。


「もう一回!」


 再び、いや五十二度ごじゅうにたび、彼は魔力を手の平へ集中させた。またもや失敗。しかし、彼が『維持』にチャレンジするたびに少しずつ、ほんの少しずつだったが魔力の形が球体へと近づいていき、手の平で安定するようになってきていた。


「まだまだ……!」


「諦めるもんか!」


「必ずできる!」


 失敗を重ねる毎にダグザは自分を鼓舞し、めげずに夜が明けるまで挑戦し続けた。




 朝早く、ガウルテリオはいつもの時間にあくびをしながらダグザの部屋に入ると危うくコーヒーを全部ぶちまけそうになった。


「大丈夫か!」


 まるで泥棒にでも入られたかのように部屋の中は散乱した家具や荷物などでめちゃくちゃだった。

 その真ん中でうずくまるダグザに、ガウルテリオは急いで駆け寄る。


「ん……先生……? ……あ、そうだ……僕……魔法できるようになりましたよ……」


 ガウルテリオの存在に気づいたダグザはふらふらと立ち上がりながら言った。


「一晩中やってたのか……まあできるようになったと言ってもどの程度かは予想できるが……そんなことより今は休め。魔力の使い過ぎと疲労で、クタクタじゃないか」


 ガウルテリオは半ば呆れながらも、ダグザの体を起こしベットに寝かせた。

 案の定、彼は一瞬で眠りについた。


 この日の夜、彼の魔法の進捗状況を見たガウルテリオは自身の目を疑った。

 彼は、ダグザ=ヴェルターは一晩でランク1の魔法をすべて完璧にマスターしていたのだから。

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