第3話 行き着く先は

 ダグザは引き戸に手を掛けた。

 大きさと緊張が相まって、恐ろしく重い。勢いをつけてガララッと戸を開ける。

 教室内の生徒全員が、一斉にダグザを見た。240人に見つめられるのは初めての経験だったが決して心地いいものではないなと彼は思った。


「ん? ああ……転入生の子ね。えっと……じゃあ紹介はまた後でってことで……そこ、座って」


 教壇に立つ若い男の教師がダグザに気づき、空いている席を指差した。

 各々が座る席は教壇を囲むように階段状に広がっていた。

 彼は周りの視線にどぎまぎしながらも自分の席へ。隣の席に座る女の子と目が合う。笑いかけようとすると、彼女は目をそらしゆっくりと席を移動した。

 ダグザは何ともいたたまれない気持ちになったが、転入生なんてこんなものだと思うことにした。


「それじゃあ……授業を再開するぞ、あ、転入生の教材は明日までには部屋に送っておくからな」


 教師が言った。ダグザはそれに頷くと、周りの生徒を見渡した。

 皆手元の分厚めの教科書をじっと見つめていた。

 兵士養成学校の薄い教科書とは大違いだなと、彼は心底わくわくしていた。


「こうして……こうっ!こんな感じで魔力を扱っていくよ」


 若い教師が指先の上に藍色にきらめく球体を出現させ、それをゆらりと動かして教室内を旋回。生徒達から歓声が上がる。


「んーと、それじゃあ……自己紹介も兼ねてヴェルター・・・・君、やって見せて」


 突然の指名にダグザは驚いたが、名前を知っているのかと思い、少しだけ顔がほころんだ。


「君がどれくらい魔法が使えるのか見たいと思っている人はたくさんいると思うよ。私を含め、ね」


 教師は悪戯いたずらな笑みを浮かべて言った。ダグザは教師の耳元で尋ねる。


「あの……どうすれば?」


 このダグザの問いは、自分の、魔法使ったことがあるのは一回のみでそれも無意識下であるという境遇、を理解してくれていると思ってのことだったのだが、そんな幻想はいとも簡単に崩される。


「ほら、早く」


 先程とはうって変わって冷たい口調だった。無理だ、と出かかっていた言葉をダグザは慌てて飲み込んだ。

 それは周りの生徒からの期待の眼差しに気圧されたからだった。

 もう後には引けない。

 彼は頭の中で精一杯思考を巡らせた。

 その時、ちょうど頭に浮かんだのは、あの一回のみ・・・・の経験だった。

 彼は、あの時の思い出したくないルマンの表情かおを、デュークの言動を、怒りを、感覚を、必死に想起した。

 体にみなぎる何が溢れ出しそうな感覚。 できる。

 ダグザはそう確信した。

 右手に力を込める。体の中を魔力が流れているのがわかる。

 しかし、彼が手の平へとそれを移動させた瞬間、それは閃光とともに彼の手から逃げ出した。

 行き場を失った魔力は高い天井で爆発した。

 くすっと誰かが笑ったのを引金に教室中に笑い声が広がっていった。

 何が起こったのかよくわからず、茫然と立ち尽くす彼に教師が声をかける。


「もういいよ、ヴェルター君。十分すぎるほどよくわかった」

 そしてもう一言。


「やはり下民だな」


 ダグザは周りを見渡した。皆、同じ目をしている。

 ダグザのことを蔑み、嘲笑う目だ。

 そして彼は理解する。担任の教師は優しくて爽やかじゃないこと、魔法区域ここに居場所なんてないことを。






 一日の授業が終わると、生徒達は自分の部屋へと帰っていく。

 ダグザも同様だった。

 彼は部屋に入ると、見慣れないものがあるのに気づく。

 分厚めの教科書だった。

 どうやら今朝見た他の生徒達が使っていたものと、同様のものらしかった。

 手に取ると紙が挟み込んであった。差出人は書いていない。


『わからないことがあったら、まずは自分で調べることだ』


 そう書かれていた。

 正直のところ、彼はもうヘトヘトで本なんて読む気はなかったが、念のためと思い表紙に手を伸ばした。

 題名はなく、目次もなかった。

 書き出しは「魔法とはすべてであり、魔力とはその代償である」だ。

 この時点でダグザは読むのを止めようかと思った。

 冒頭から読ませる気がない内容な事は間違いない。

 溜め息混じりにページをめくる。

 ーー魔法を行使できる者、すなわち魔法遣いの諸君、初めまして。この本を読めば、魔力を正しく扱い、思うままに操ることができるだろう。最も大切なことは魔力にも意思はあるということと、君自身の意思の強さだということは忘れないで欲しいーー



「魔力にも意思が……?」


 言葉の意味がわからずダグザはしばらく考えていたが、やがてある結論に至る。


「じゃあ魔力に聞いてみればいいのか」


 彼はそう言うと同時に目を瞑り、自分の内面に意識を集中させた。

 兵士養成学校での鍛錬を思い出す。自分の気をコントロールし、内面から強くなれと毎日のように言われていた。

 そんなことを考えているうちに、段々と内面の自分が見えてくる。

 あるのは昔からのいつもの自分。

 兵士見習いで、元戦士長の息子。剣術が得意なダグザ。

 その中に浮かぶ異端の存在。

 いつからいたのだろう。そいつは平然とした顔でそこに居座っていた。


「お前が魔力……なのか?」


 ダグザは生唾を飲み込んだ。

 そいつからの返答はなかったが、確かに自分の中には、前の自分にはなかった何かが存在していた。

 現実に意識が戻ってきた。


「魔法の行使? ……んーと、なになに……。魔法にもランクがあり……」


 彼が続けて教科書を読み進めていこうとした時、戸が叩かれる音が響いた。恐る恐るが戸を開けると、そこにはガウルテリオの姿が。


「早速勉強とは精が出るな。入っていいか?」

「……どうぞ」

「色々と説明が足りない部分があったからな」


 ガウルテリオは着ていたローブを脱ぎながら言った。まるで自分の部屋にいるような振る舞いだった。


「足りないというか、ほとんどなかったと思いますが」


 ダグザは苦笑した。


「まあそう言うな。そうだな。じゃあまずは学校について話すか」


 ガウルテリオは腰を下ろし、質素なテーブルを挟んでダグザと向かいあった。


「お前が今所属しているクラスは『初等級』というんだ。魔法に関しては初歩の奴が選抜される。他にあと二つ、『二等級』、『一等級』というクラスがある」


「あと二つもあるんですか…」


「ああ。それで、ここはかなり重要なんだが……『初等級』から『二等級』、そして『一等級』へといった風に上のクラスへと昇格の機会が与えられるということだ」


 ガウルテリオが熱く語るのを見て、心底ダグザは面倒臭いなと思った。


「そうですか……。まあでも、僕には縁のない話だと思いますが……」

「いや大アリだ」


 ガウルテリオはダグザの声を遮るようにして言った。


「家族に会いたいとは思わないのか?」


 ダグザは目を見開いた。表情がガラリと変わる。


「会えるんですか!」


 身を乗り出して聞くダグザをは座らせ、ガウルテリオはゆっくりと話し始めた。


「先程言った三つのクラスの最後、『一等級』を終えると、学校を卒業でき、正式な魔法遣いの資格をもらえる。正式な魔法遣いは城下町へ降りることは自由だ」


「卒業……」


 ダグザは先の見えないトンネルにいるような気持ちになった。

 彼がまだ一つも魔法を使うことのできない僕なんて、と絶望しかけた時ガウルテリオは言った。


「魔法なら俺が教えてやる」


「え?」


 ダグザは状況を把握できずに素っ頓狂な声を上げた。


「お前はまだここへ来て間も無い。他の者は学校に入る前に魔法に触れる機会があった。しかしお前にはない。まあ今のお前は赤ん坊みたいなもんさ。今のままでは授業についていくことすら困難だろう。だからしばらくの間俺がつきっきりで見てやる」


 ガウルテリオは笑って言った。ダグザはその言葉に目を輝かせたが、何か思い出したように目線を落とした。


「……何で、僕なんかに……? ……下民……なのに」


「親切に身分は関係ない」


 ガウルテリオはそう言うとローブを着て、部屋を出る支度をした。


「明日からな」


 出る直前に彼は笑顔で言った。

 その背中を見送るダグザの体は小刻みに震えていた。

 古ぼけたカーペットに二つ雫が落ち、染み込んでいった。

 彼は涙を脱ぐわなかった。

 卒業、そして家族に会うため。

 彼の拳は決意の様を表しているかのようにきつく握りしめられていた。

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