第30話 寄り道

『随分と呆けた面だな。前にも会っただろ? ほら、二年くらい前だったか……』


 いつの間にか周りは小洒落た部屋になっていて、そこに妙にマッチしながらそいつは言った。物が良さそうな机に腰掛けている。


「そう……だな。久しぶり」


 ダグザはやっとのことで声を絞り出した。この部屋の雰囲気に飲まれてしまいそうだ。


『わざわざ話に来るなんて、何かあるんだろ。なぁ、そうだろ?』


 そいつが軽い足取りで机から降りて彼に近づく。少しでも手を前に出せば当たってしまうほど近くまで来ると、そいつは唐突に口を開いた。


『俺からはお前に触れられない。でも、お前が触れたければ・・・・・・いつだって触れられる』


「どういう意味だよ」


 ダグザの困惑した顔にそいつは笑みをこぼす。

『引き金を引くのはお前だということだ。まあ……今回は初めてだしな。機会くらい与えてやろう。ほら、握手しようぜ』


「…………」


『なんだよ。宜しくしようってんだろ?』


 渋る彼に特に気を悪くした様子はなく、そいつはずっと右手を差し出していた。

 仕方なくその好意を受けることにし、ゆっくりとその手を握った。瞬間目の前が暗転する。突然のことすぎて、ダグザが固まっていると耳元で声が聞こえた。


『身をもって体感しろ』


 明転するといつの間にかいけ好かない部屋は消えて、代わりにダグザが壁にはりつけになっていた。


『ここは今、俺の方の世界。とりあえずまあ……意識をリンクさせる恐さっての教えとくから……、いきなり正面衝突はやめにしよう。言っておくけどこれ君のことを思ってのことだからね」


 そいつの意味のわからない言動に彼は首をかしげる。


「まずは、右腕」


 その言葉を真意を確かめる前に彼の右腕が音もなく吹き飛ぶ。

 無造作に、それでいて確実にもぎ取っていかれた感覚。

 信じられない量の血液が無くなった肩から、滝のようにーーーー、







「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁあ!」


「どうした?」


 グランノーデルが心配そうに彼に駆け寄る。

 ダグザは辺りをしきりに見回し、何より師父の顔を見て安堵の表情を浮かべた。

 しかし、抑えきれない嗚咽は彼を容赦なく襲い、競技場内に吐物の池を作る羽目となった。


「大丈夫か?」


 グランノーデルは足が池に浸かっているにも関わらず嫌がる素振りなど微塵も見せず、彼の背をさすった。


「は……い……。おぉぇをぉえぇっ……」


「無理するなよ。話なら落ち着いた後でも聞けるから」


 引き攣る胃に身をよじらせながらダグザは勢いよく、何度も頷く。瞳いっぱいに浮かべた涙が水滴となって、落ちた。





 





「もう大丈夫そうか?」


 日陰に移動し、コップ一杯の水を飲み終えたダグザに師父が再度、聞いた。


「はい。もう、大丈夫、だと思います」


 深呼吸して心音を落ち着かせる。

 途切れ途切れながら彼は、自分の中で何があったかを事細かくグランノーデルに説明した。肩が吹き飛ばされた部分を話すときにまた吐き気を催したが今度は我慢することができた。


「しかし……本当に言葉を交わし対話するとは……君の魔力は一体何て?」


 師父は顎をさすりながら悩んでいる。


「なんかこれはあくまでも機会を与えるだけだ、みたいなことを……。普通は魔力は言葉を発しないんですか?」


「発しないも何もそんな事例は聞いたことがないな……まあその事はあとで研究するとして、対話には成功したんだったな。あとは直接、『侵食』の手順を伝えるだけだが、その様子だと今日中にはもう厳しいだろう。ゆっくり休め」


「すいません……」


 よろよろと立ち上がるダグザ。

 そのまま覚束無い足取りで自室へと帰って言った。しかし、体力が回復したあとだけでなく、それから一ヶ月間、彼が魔力との対話を行う事はなかった。












「今日もダメなのか?」


 グランノーデルが聞く。


「はい……すいません。何で、でしょうか……いや……わかってます……僕が……弱いから、ですよね」


 虚ろな目をしてダグザが弱音を吐露する。

 その姿を見て師父は少し悩んだあと、ひとつ提案する。


「対人戦をやろう」


「え……どうして……ですか?」


「相手は……そうだな、ヨンにしよう。君、明日の朝ヨンの稽古場に行きなさい」


 その名前を聞いてダグザの瞳孔が開かれる。

 そんな彼には御構い無しでグランノーデルは颯爽とその場を後にしようとする。


「ちょっと! 待ってください……何で対人戦なんて……それより相手がヨンって……説明して下さいよ!」


「ヴェルター君。勘違い、してないか?」


「え……?」


 ダグザは聞き覚えのある師父の低い声に冷や汗をかかずにはいられなかった。


「私はあくまでも君が強くなりたいと望み、私を必要としたから手を貸しているんだ。しかし、今の君はどうだろうか? たかが・・・一度、トラウマを植え付けられたぐらいでつまづいて立ち上がらない、負け犬だ」


「……ぼ……僕だって……今まで」


「頑張ってきた? 死ぬ気でやっとここまで登りつめた? そいつはおめでとう。だがここで折れることでそれがどうなるかは、君自身が誰よりわかっているだろう」


 まるで本当の負け犬のように、彼がいつも敗戦した時のように、自分の弱さを恥じるように、目線を落とす。


 ーーーーあぁ……また……僕は……なんてーーーー


「顔を上げろ。情けない・・・・奴だな」


 ダグザは自身の考えが読まれたのか思い、とっさに顔を上げる。

 実際のところグランノーデルは『読心』を使っていたのだが、そんなことには彼が気付くはずもない。


「君は強い。心身ともに年相応ではない能力を持っている。向上心もあり、努力も怠らない。だが……君の努力は劣等感から発生している。打ちのめされーー、憧れーー、追い求める。それは険しい道のりだったろう。そして、それはこれからも続いていく。他の誰でもない君が選んだ道だ」


 不思議と話を聞くダグザの体から、強張りが抜けていた。


「明日、ヨンに挑むんだ。これは、ちょっとした寄り道・・・。どうするかはダグザ=ヴェルター君、君が決めるんだ。例え君がヨンと手合わせしないとしても、私は君のことを……諦めない・・・・からな」


 そう行って今度こそグランノーデルは立ち去った。ダグザももう引き止めはせず、ふとある女の子の言葉を思い出していた。

 しばらくの間、その場を動かなかった彼だったが、何かわかったような顔でふっと口元を綻ばせたのだった。












 そしてーーーー、翌朝。

 ダグザは力強く、校舎とは世界観の違う古ぼけた木の引き戸を叩いた。

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