第31話 悪寒

「何の用……と聞くのは野暮かネ。その目を見たら君が何を欲しているかすぐわかったヨ」


 部屋の中から現れたヨンがダグザに気づいて言った。

 前は名を聞くだけで憂鬱になっていたのにダグザは不思議と自分が冷静なことに気づく。それどころか根拠のない自信までもが湧き出てきた。

 二人の間に言葉の掛け合いはなく、ダグザが頷くとヨンもわかったという顔をして彼を部屋に入れた。


「この数ヶ月で多少強くなったところで……。僕も甘く見られたもんだネ」


「甘く見てなんかいない。見てなんか、いないよ」


 この時、ヨンは彼の表情に以前のような初々しさや、余裕のなさが消えていることを悟り少し感心したような感覚を覚えた。


「まあでも……僕は左手だけだけどネ」


「すぐ使わせてみせるよ」


 落ち着いた表情で構えるダグザ。それに呼応するようにヨンも左手を彼へと向けた。

 一瞬でいて永遠のような時が彼らの間を流れ、部屋を真空が包む。

 互いに相手の動きを読み、初動を、待つ。

 不意にヨンは自分が冷や汗をかいていることに気がつく。


(なんで……、いやまさか、こいつの雰囲気が、似てきている・・・・・・?)


 その原因はダグザがまとう隙のない気迫、まるでヨンが何度も交えたあの少女のように。

 ふと彼の脳裏に思い出したくもない記憶が蘇っていた。それはほんの二ヶ月ほど前のことーーーー、












「どういうつもりネ? いきなり来るなり手合わせだなんて……」


 そう言い放つヨンに力強く芯のある眼差しを向ける少女が一人。


「突然で申し訳ないのだけれど、あなた程の実力者とでないと練習にならないから……」


「とんだ皮肉ネ……そんなの、ヴェルターと仲良く訓練でもすればいいヨ」


 言った瞬間に自己嫌悪に陥るヨンだったが、マーベルも引き下がろうとはしなかった。


「彼の訓練の邪魔はしたくないの。それに……うかうか、してられないから」


 もうどうにでもなれと、ヨンは半ば投げやりで承諾する。


「手は、抜かないで」


 馬鹿なと彼がマーベルの方を見ると真剣な顔つきだったので、嬉しいような呆れたような気分になった。


「無論ネ」


 二人は対峙し、すぐに開戦した。

 大体の場合先に手を出すのはマーベルの方だ。接近戦を苦手とする彼女はヨンのような接近特化型の相手に対しては、速攻で手数の多い魔法を繰り出すのが鉄則だった。

 無数の魔力弾が彼の足元へ。

 ヨンはそれを綺麗に往なし近づいていく。

 両の手の拳には、汗と闘志とありったけの魔力を握っている。

 いくら一度も勝ったことのない相手で、恐れていてもヨンが戦いの最中にマーベルに臆したことはただの一度もなかった。

 軽い身のこなしで前へ。既にマーベルはヨンの射程圏内だ。


「……っ行けるっ!」


 弾かれることを見越してヨンは『虚弾』を放つ。周囲の空気が見えない拳によって揺れる。


(……いち、に、さん……よん……五つ、ね)


 そう肉眼で判断したマーベルは後ろ、右、左と的確かつ無駄のない動きでかわしていく。

 彼はこれに対し別段驚きはせず、想定内といったように追撃の準備をする。


「……っ! っと」


 そう簡単にはいかず、彼女が杖で小突いた床から八方に氷塊が出現し、ヨンは慌てて身体を反転させた。

 攻守交代。

 マーベルは後退しながら瞬時に魔力を練り、彼の方へ拳を向けた。


(……『重力』かっ? だが……)


 マーベルにしては簡単で何のひねりもない攻撃だったので、彼は疑念を抱かずにはいられなかった。

 重力場の範囲からヨンは身を翻すと、力強く床を蹴った。

 彼女が『幻影』を使っていなかったら間違いなく、凄まじい回し蹴りが脳天を撃ち抜いていただろう。

 実際のところ、この蹴りが空振りすることはヨンにとっては必然であり、彼の背後に本物・・がいることも予想されていた。

 そして案の定、彼が空中で背後を盗み見ると小柄なシルエットが見えた。その周りには十数個の魔力弾だ。

 ヨンは、脳内で何千にも刻まれた時間を使い、絶対的詰みな状況を打破するための準備を始めた。彼の足の裏へ魔力が這う。着地までの時差を肌でーーーー、感じる。

 ダンッという音ともにヨン=ロイの身体は、人間離れした速さで少女へと迫った。

敏足びんた』。それは瞬きを許さない足さばき。心武の真髄を体現したヨンの身体が駆ける。

 彼の渾身の思いを乗せた一撃は少女の周りを覆っていた防壁をいとも簡単に破り、一瞬で懐へ。

 瞬間、ヨンの身体が硬直する。それは別段彼女が何か仕掛けたのではなく、自身が直面した事実に震撼していただけだ。

 彼がマーベルだと思っていた物体・・はどろりと溶けると同時に彼の体を捉え、遠方からのフィンガースナップによって重力場を展開した。

 ヨンは強制的に服従の姿勢となった。


「……っぐっ……ぁ……!」


 嗚咽すらまともに声にならず、まるで周りの空気の振動だけが、自分を認識しているようで。














「余所見なんてして……考え事ですかっ!」


 勢いよく宙返りと共に繰り出されたダグザのかかと落としをすんでのところで防いだのは、自らの禁忌とした右手だった。


(しまっ……! いやそれより、これではっきりした……こいつの実力は……)


「びっくりしたヨ……ダグザ=ヴェルター。悔しいけど今の一撃でわかっちゃったからネ。君にはどうやら敬意を払わなければいけないみたいネ」


 そう言ってヨンは両の手をしっかりと構えて、今一度ダグザを細い目で睨んだ。


「そいつはどうも……」


 ゴクリと。生唾を飲む音がうるさい。


(想像以上だ……まさかヨン君の本気が、ここまで来る・・とは……)


 短く、細かく。息を刻んで行く。心拍数の速さは、焦りじゃない、武者震いだと彼は自分を奮い立たせる。

 舌を噛んでも痛みを感じない。不思議だ。

 均衡の中、先に動いたのはヨンだった。

敏足びんた』によるアドバンテージがあったのもあるが、やはり何度も圧倒的実力さの前に立たされてきた経験の差が出たのだろう。

 鞭のようにしなやかな連打。

『痛波』、『崩弾』、『虚弾』、『痛波』、『崩弾』、『虚弾』。

 様々な角度、威力の体術に不規則に魔術が合わさる。

 技の繋ぎ目は完璧でダグザが攻撃に転ずる暇を与えない。


(このまま……このままっ……!)


 一層増す速さにダグザはじりじりと後退して行くほかなかった。

 たった一本増えた右手が、ここまで以前と一線を画すものなのかと彼は感動の意さえ覚える。


(……重……い? まさか、な)


 ヨンは、頭に一瞬よぎった考えと違和感を結び付けるのをやめた。

 しかし、その予感は的中し、ヨンの連打は膝への蹴りを終止符として、止まった。

 まだ見せていない覚醒の片鱗が、徐々に、顔を見せ始めていた。




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