第24話 近づく

 グランノーデルは、真っ赤な夕日に眩しそうに目を細めながら妙に息を切らしている少年を見つめていた。彼は普段の明るい様子とは違い、どこか悟ったような顔をしていた。

 対するダグザは、次に発せられる言葉を今か今かと待っていた。


「ーーーー、『セントラル』に行ってきたんだね」


 唐突な、しかも予想外な一言にダグザは面食らったがやがてゆっくりと頷いた。


「もう僕は……随分と長いことあそこに顔を出してないよ……。懐かしいなぁ……」


 そう言ってグランノーデルは窓の外を眺めて、物思いにふけり始める。

 もう日が地に着きそうなくらいに落ちていた。

 教室内を包み込む沈黙。もうここはグランノーデルの世界だ。ダグザはまるで虚無の海に溺れているかのような感覚に陥っていた。そして悠久と錯覚するほどの時間が経った頃、ついには辛抱たまらなくなって口を開く。


「あの……先生! 僕、先生に頼み事が」


「師父」


「え?」


 グランノーデルの表情は先ほどと変わらず柔和なままだ。しかし、声音にはしっかりとした重みがあった。


「今日から僕の、いや……私のことはグランノーデル師父と、そう呼びなさい」


「えっと……、あの、どういう意味だかよくわからないんですけど」


 彼は一から十まで理解できないといったような困惑顔だ。

 しかし、そんな抜けた・・・顔もグランノーデルの次の一言によって一瞬で変えられることとなる。


「君は自分の非力さに、気づいたのだろう?」


 この時ほど、自分の心音が大きく感じられたことはないと彼は強く思った。


「私が、君に、この十ヶ月間で稽古をつけてやろう。君が一体どれほど才能を浪費しているか……確かめ甲斐があるよ」


 思わず生唾を飲むダグザ。

 自分は、変えられてしまうのだと、強く確信したからこその鳥肌だった。


「今日はもう疲れているだろうから……、明日から始めよう。いいかい? くれぐれも今日は自主トレーニングをしないでくれよ。明日は万全の状態で臨んでくれないと意味がないからね」


 彼はグランノーデルに礼を言うと、級友の待つ自室へと足を運んだ。

 いつもと変わらないエイバの顔を見ると普段の日常に戻れた気がして、いくらか気持ちも落ち着いた。


「あぁダグザ! 今日一日どこ行ってたんだよ。何か揉め事か? それなら俺が……」


 少し忙しなく見えたエイバが早口で話し始めた。彼は微笑ましく感じながらも事情を説明する。もちろんアピとの戦いは抜きでだ。


「なんだよ……水くさいな。言ってくれればよかったのに……。でもまさかお前が代表とは驚いたよ」


 エイバは安堵したように言った。

 ダグザはそれに同調するかのように笑い合う。


「そうか…………。うん…………うん」


 何度も確かめるように頷くエイバ。やがて何か思いついたように大声をあげた。


「そうだ! せっかくだから今日は街へ行こう。代表に決まった祝いに飯奢るよ」


「街? それって城下町のこと?」


 ダグザの質問に彼は呆れた顔で答える。


「バカ言え。『魔法街』に決まってるだろ」


「『魔法街』?」


 困惑気味のダグザに反してエイバの口には笑みが浮かんでいた。


「まあ見てのお楽しみだ」







「凄い賑わい……!」


『セントラル』よりもやや下町風の雰囲気で、商店街のように店々が立ち並ぶ通りを前にしてダグザは思わず目を輝かせた。


「だろ?」


 エイバが嬉しそうに笑った。そのままダグザを先導して街の喧騒の中に歩を進めていく。

 すれ違う人々が皆ローブや上品な服装でなかったら、彼はここが城下町だと錯覚してしまいそうだった。


「行きつけの店があるんだ。特製ソースのハンバーグが極上の旨さなんだよ……。あぁ、思い出しただけでもよだれが…………着いたよ、ここだ」


 低い音のベルが鳴り響いて、店の戸が開かれる。

 店内は外の喧騒とは違って落ち着いた雰囲気だった。


「いらっしゃい。あぁ、スミス君、 久しぶりだねぇ。今日は何にする?」


 白い髭がチャーミングなマスターが、カウンターを挟んでエイバに笑いかけた。


「どうもおじさん。今日は友達連れてきたんだ。ほら、ダグザって言うんだけど……」


「なるほど、君が……」


 マスターはダグザの全身を舐めるようにくまなく見て、やがて言葉を続ける。


「今日はよく来たね。君のことは一等級昇格試験で見たよ。あれは凄かったねぇ」


「はぁ……どうも」


 彼が何となく返事をするとエイバがまるで自分のことのように嬉しそうにしながら、勢いよく彼の背中を叩いた。


「じゃあ俺はいつもので頼むよ」


「はいよ、ダグザ君はどうする? うちにはメニューがないからリクエストに応える形になるけど」


「えっと……じゃあ、僕もエイバと同じもので」


 注文を聞き終わるとマスターは厨房の方へと消えていった。


「綺麗な店だね。マスターも……いい人そうだし」


 ダグザが言った。

 カウンター席の椅子は少し高くて、彼は地面につかない足をプラプラさせていた。


「ここは、俺の思い出の場所なんだ……マスターは俺を……いや辛気臭い話は止めとくか。それより、なんか話したいことがあるんだろう?」


 ダグザは驚いたようにエイバの方を向いた。彼は一点を見つめて目を合わせようとしない。


「……わかるの?」


 ダグザが恐る恐るといった風に声を絞り出した。二人の間にしばらくの沈黙が流れ、やがてエイバがそれに答える。


「わかるよ」


 一言だった。たった一言。

 それでも、その温かみはダグザの芯まで届いていた。

 彼は今にも張り裂けそうな胸を抑えて、言葉を紡ぐ。


「あの……さ、僕、『セントラル』で……アピと、戦ったんだ。そんで、ボッコボコにされてさ……」


 元々無理にせき止めていたものが次々とこぼれ落ちていく。


「嫌がらせ、とか?」


「違う違う! 僕が挑んだんだよ……最初はあっち、だけど。彼奴あいつ、お前は代表に相応しくない、マーベルの隣に立つなって言ったんだよ……僕、悔しくて……! すっげぇ悔しくてっ!」


 歯を食いしばってつっかえながらも話すダグザの膝は、既に熱い思いで濡れている。

 その大粒の雫は頬を絶え間なく流れ、必死に堪えよう、隠そうとしている彼のベールを剥がしていった。


「いてもたっても……! 居られなくなってっ……、でも全然……だめで…………。もっと、もっと強く、なりたい!」


 ズズッと勢いよく鼻をすするダグザの肩を、エイバはただ黙って優しく叩いていた。

 また彼も、それに身を委ねるようにして、溜まっていた鬱憤を吐き出した。


「はい、おまちどお様。きのこの煮込みハンバーグね」


 挑発的なほど肉厚なハンバーグがデミグラスほ芳醇な香りを漂わせながら、カウンターに置かれる。

 泣き疲れたのかダグザの腹が鳴ったのを合図に、シリアスなムードは終わりを告げた。


「とりあえず、食べるか」


 彼がそれに腹の音で返事をすると二人の間で笑い声が弾けた。

 ひとしきり笑った後、彼らは声を合わせて食べ物へと感謝の言葉を捧げて、肉へとナイフを伸ばした。


「あっ、あふっ!」


「慌てんなって、肉は逃げねぇから。そんでご感想は?」


「うん! ……すっげーっ美味しい!」








「……起きてる?」


 同日の夜中、消灯してベットに入りしばらく経った後にエイバが尋ねた。


「ああ。起きてるよ…………。今日はありがとう。エイバのおかげで気持ちが軽くなった……」


「いや、俺は特に何も……、そんなことよりっ! ちょっと言いたいことあるからさ、聞いてくれ」


 突然の言葉にダグザは一瞬驚いたが、ゆっくりと返事をする。


「う、ん……?」


「相応しいとか、相応しくないとかそんなことばっか考えるなよ。隣にいたい奴の隣にいて何も悪いことなんてない。辛いことがあって背負いきれなくなったらいつでも言えよ。半分ぐらいしか無理だけど一緒に背負ってやることぐらいならできるからさ」



「………ありがとう……俺もーー、」


 ダグザも自身の感謝の思いを伝えようと考えたが、今は多く語る必要がないと察し、代わりに「おやすみ」と、気持ちを込めて贈った。

 気持ち良さそうな寝顔をつくっている彼はここから始まる地獄の日々の片鱗に、欠片さえも気づいていなかったのだった。











 翌日の早朝、ダグザはエイバを起こさないように忍び足で部屋を出た。

 部屋の外にある洗面所で顔を洗い、歯を磨く。鏡に映る自分の顔は寝起きだからまだ眠そうだったが、瞳の奥はしっかりと燃えていた。

 少し肌寒い廊下を歩き、教室へと向かった。


「まだ、いないかな……」


 外はまだ外灯が付いている。一歩踏み出すごとに響く足音が人気のなさを物語っていた。

 そして、重い引き戸を開けるとーー、


「やぁ、おはよう」


 案の定、グランノーデルは何食わぬ顔で定位置に座っているのだった。


「お……おはようございます。お早いんですね」


「それはお互い様だろう? 昨日はよく眠れたかな?」


「ええ、まあ」


「そいつはよかった。それじゃあ早速やろうか」


 グランノーデルの落ち着いた口調がダグザの神経を逆撫でする。


「やるって何をですか?」


「決まってるだろ? 決闘だよ」


「決闘……?」


 面喰らう彼の反応に、グランノーデルはご満悦だ。


「一対一の真剣勝負。本気と本気のぶつかり合い。これをしないと君の指導は始まらないよ」


「はぁ……」


「とにかくやろう、とりあえずやろう」


 グランノーデルの普段の姿が如何に化けの皮なのか、つくづく彼は思い知った。本性はもっと暗く、深い感じだ。


「ルールはどうしますか? 武器は無し、とか」


「いや無用だよ。対象者を戦闘不能、もしくは降参で勝敗を分けよう。場所がまずいよな……よし、運動競技場でやろうか。第三だったらしばらく使わないと思うし……そうしよう! ということで移動しよ」


 一人で話を進めるグランノーデルに呆れながらもダグザは頷いた。

 二人で廊下を歩いている間も、彼は戦術を考えていた。

 なりふり構わず強くなる決意をしたのだ。たとえ格上でも一矢報いるぐらいはしてやるつもりだった。


(どんな攻撃を仕掛けてくるか……わからないから最初は様子を見て……)


「着いたよ」


 彼が顔を上げるとグランノーデルが対峙していた。


「準備は出来てる?」


 ダグザは右手に『生成』した長剣ロングソードを掲げて返事をする。


「じゃあよーい……どんっ!」


 最近敗戦が連続しているが、中途半端に変えるよりはいいと思い、ダグザはいつもの速攻の体制に入った。

 長めの息を吐く。そして、全身の筋肉を稼働する。

 グランノーデルの周りを全速力で駆け、徐々に間合いを詰めていく。


「今ぁっ!」


 咆哮とともに一瞬で懐へ。

 今まで何の動きも見せなかったグランノーデルも振り下ろされた剣には対応するようだ。

 橙色の魔力を纏った右手のひらが刀身へと向かう。

 しかし、剣先と右手が触れることはなく刀身とダグザの体はもやとなって消える。


「馬鹿の一つ覚えだな……。『幻影』からの合わせ技はもう見てるよ」


「それは……っ! 止めてから言ってくださいよっ!」


 そう叫びながら何処からともなく現れ、グランノーデルの背後を取るダグザ。

 今度こそ完璧に捉えた一撃だった。が振り下ろされた剣は空を切り、地面と剣先が奏でる金属音が響いた。


「……っ! 『幻影』っ⁈ いつの間に……?」


 急いで振り返るダグザ。

 背後には何か考える素振りを見せるグランノーデルが立っていた。


「んー……これじゃ意味がないな……。こんな勝ち方は駄目だ。よし、こうしよう」


 グランノーデルの右手にダグザが持つものと全く同じ長剣ロングソードが出現した。


「何の真似ですか?」


 ダグザが尋ねると彼の顔には道化師のような笑みが浮かんだ。


「君に、より屈辱的な敗北を」


 言葉の内容よりも口調に気圧されてしまいそうになりながらも、ダグザは何とか踏みとどまった。

 やがて、雰囲気に堪えられなくなった彼の方が先に仕掛けていった。


(右はあくまでも牽制。本命は……!)


 ダグザはいつでも『波動』を流しこめるように左手に、わからない程度に魔力を流しておく。


余所見・・・するなよ」


 一瞬で詰まる間合い。

 グランノーデルの重い斬撃がダグザの構えていた剣に触れる。

 とんでもない衝撃に思わずグリップを離してしまいそうだった。しかし、その一撃でダグザは不運にも、僅かながら強者であるからこそわかってしまった。グランノーデルとの底が見えない程の実力差に。

 背筋が凍る。

 すぐさま目の前の剣にだけ集中した。

 重く鋭いグランノーデルの剣が彼の精神を削っていく。

 まともに受けることは避けた方がいいと初撃から彼は学んでいたので、受け流すことだけに専念していた。

 さながら闘牛士のようにギリギリで引きつけてかわしていく。一つ異なる点は、彼の顔には余裕がなかった。

 痛い。

 速い。

 強い。

 グランノーデルの顔には薄っすらと笑みが浮かんでいる。

 左からの斬撃。彼は先程と同じように身体を前傾させ、受け流したーーーー次の瞬間、彼は腹部に猛烈な痛みが走る。


「っ……んごっ……‼︎」


 なす術なる後ろへ転がるダグザ。


「腹がお留守だったから……ごめんね。どうする? 降参する?」


 どうやらもろにみぞおちに入ったようだ。おまけに魔力も打ち込まれている。

 ダグザは必死に吐き気を抑えながら、震える足腰を立たせた。


「まだっ……まだ!」


「だよね。まだ死なないもんね」


 人が変わるとはこういうことかとダグザは実感する。恐らくこっちが本性なのだろうと。

 そういった意味では、今現在、彼はグランノーデルのに最も近づいていた。


「ぐぇっっ……‼︎」


 横っ面を弾き飛ばされる音が運動競技場内に響き渡る。まるで軽い爆発でも起こったような猟奇的な音だった。

 まだ、誰も起きてこない程の、早朝のことである。

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