第29話 嘘に嘘を重ねる

 グランノーデルは目の前で確かに起こった惨状を理解出来ずにいた。

 部屋に充満している禍々しいとんでもない量の魔力。そしてそれが誰のものかは上半身が爆散したようになっている漆黒の化物が如実に表していた。

 あり得ない。一体何が。いや、実際はグランノーデルは何が起こったのしっかりと目で捉えていた。一瞬の出来事だったが、それはもう鮮明に。しかし、認めてしまいたくない自分がいたのも事実だ。


(やはり、アズマ様の予想していた通り……)


 コンマ何秒かの間に何が起きたのか、グランノーデルが辛うじて見えた部分は、両腕を掴まれ身動き取れない状態のダグザに槍が放たれた瞬間、彼の魔力が急激に高まり化物と同じように黒く染まった右腕で槍を掴み取ったところまでだ。この際、既に限界を超えた魔力に、ダグザをしっかりと捕まえていた漆黒の両腕は灰と化していた。そこから先は眩い光のせいで見えず、あとに残ったのは酷い有様、というような流れだ。

 化物の傷口はピクピクと痙攣していて、ゆっくりと再生を試みているようだった。

 それにダグザは一瞥をくれてやると、黒いアザに包まれた右腕を向ける。

 グランノーデルはただそれを黙って見ていることしかできなかった。


(俺は……何のために来たんだ? 生徒が無茶をすることを許容することか? 違うだろ! 頼む、頼むよ……動いてくれ俺の足……)


「……? ぐ……あ……ぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 右手のひらに魔力が溜められていく。空気が唸るような異様な音がしていた。今にも化物をチリに変えようかとした時、突然の悲鳴。

 その場にうずくまり、右腕を抱くように押さえていた。


「……っ! ダグザっ!」


 咆哮のような悲鳴に何とか我に返ったグランノーデルが急いで駆け寄る。


「これは……!」


 右腕に広がっていた黒いアザは全身を覆い尽くそうとしていた。そして明らかに桁違いの魔力量がダグザの体から噴水のように溢れている。


(魔力に飲まれている……このままじゃダグザは危ない…… まさかここまで魔力量が成長するとは、嬉しい誤算だが少し問題だな……とりあえず……)


 グランノーデルはダグザの意識を飛ばそうと首元に手を添えた。


「少し痛いが、我慢してくれ」


「……っ!」


 微小な魔力が彼の意識を遠くするに連れて、部屋内に充満していた禍々しい魔力も収まり始めた。


(よし……)


 ひとまず落ち着いたため、グランノーデルがホッとしたのもつかの間、再生し終わった化物が人並外れた速さで近づいてくる。


『グギギッ……!』


 鋭い爪での一突き。

 鉄板さえ容易く貫いてしまいそうな一撃。

 その必死の攻撃は血肉を切り裂くことはなく、対象の脇の間をすり抜ける。

 無いはずの表情が一瞬曇ったように見えた。


「あまり舐めてもらっては困る」


 彼の平手が炸裂し、化物の横腹に小爆発が巻き起こる。そのまま間髪入れずに顔面に蹴り、足払い、渾身の突きを叩き込み、化物の体を地面に着かせない。


『グギャッァ!』


 元人間・・・の名残だろうか、心なしか黒い顔を赤く染め、激情の咆哮を上げる。

 丸太のような大腿筋だいたいきんが更に盛り上がり、強靭な脚が屋根裏の床を破壊しながら跳ぶ。

 その姿はさながら矢のようだとグランノーデルは密かに思っていた。

 漆黒の矢は落ちてくる雨粒が止まって見えるほどの速度で確かに実感する。今目の前に対峙している男は自分を殺す気でいると。

 どうやって? 化物は少しの間、ほんの少しの間考えた。現時点ではこの攻撃を避ける手段はない。絶体絶命の危機、のはずなのに余裕の表情を浮かべているグランノーデルが癪に触った。


「そんなの決まってるじゃないか」


 化物の爪が今まさに彼の体に届こうかという時、攻撃は静止した。いや、正しくは見えない障壁によって阻まれているようなーー、


「僕の方が強いからね。圧倒的に」


 その言葉が化物の耳に届いたかどうかはわからない。それ程までに、グランノーデルの魔力の刃が息の根を止めるのは、一瞬の出来事だった。

 腹に大穴を開けた大きな黒い身体を担ぎ上げ、彼は溜息をこぼす。


「今回ばかりはアズマ様の所為……って訳じゃなさそうだなぁ……どっちにしろこれはあと一押しだな…………久しぶりに、気圧され・・・・ちまったよ」


 そんな思惑には全く気づかず、ダグザはスヤスヤと寝息を立てていた。












 翌日の昼時、ダグザは窓から差し込む忌々しい光によって目を覚まさせられた。


「保健……室? かな…………っん……」


 彼は辺りを見回した後、軽く伸びをして体を起こした。


「昨日の事がよく思い出せないな……、雨粒で特訓してたところまでは覚えてるのに……」


 その時、ガララッと引き戸を開ける音がしてグランノーデルが紅茶のカップを二つ持って入って来た。


「お、起きたか。どうだ体の具合は? あんな事があった後だ、反動が来ていてもおかしくはないぞ」


「あんな、事?」


 ダグザはカップを受け取りながら言った。


「まさか覚えてないのか?」


「まさかも何も……まぁ、覚えてないですね。何があったんですか?」


 グランノーデルはその言葉を聞いて少し悩み、慎重に話し始める。


「お前は……修業中に魔力が暴走したんだ……あぁ、確かそうだった」


「暴走?」


 彼は腰回りの痛みに顔をしかめながら、ベッドから足を下ろした。


「どうやらお前の中に眠っていた魔力は驚くべき量だったらしい・・・。意識が飲み込まれるような……そんな感覚がなかったか?」


「飲み込まれる? ……まあなんとなくそんな感じだった気もしますが……」


 ズズッという音を立てて彼が紅茶をすする。


「あの……」


「ん?」


 会話が途切れ、少し間が空く。ダグザが言い淀んでいるからだ。


「暴走……ってまた起こるかもしれないんですか?」


「あぁ、それはもちろんだ。だからこそ君に伝えたい事があってここにいるんだよ」


 その言葉にダグザは真剣な顔つきになって身構えた。


「一応だが選択肢がある。片方はこれからは魔力の全力を出さず、セーブして魔法を使用していく」


「もう片方は?」


 グランノーデルが文字通り彼の瞳を覗き込んだ。まるで瞳の底を見ているようなそんな眼差しに彼は思わず身震いする。


「もう片方は……、魔力に体を預けて・・・やること、だ。正しくはギリギリまで飲み込まれるってとこかな?」


「それは思う存分魔力を使えるんですか?」


 この問いがダグザの意志の強さを如実に表していた事に、彼の師父はいとも簡単に見抜いていた。













「さてさて、君の大きすぎる魔力をコントロールし、かつ最大限以上の力を発揮できる技、正しくは魔法を教えようか」


 場所を保健室から運動競技場へと移して、グランノーデルの課外授業は始まった。


「魔法、何ですか?」


「魔術に近いのかも。何しろ作ったのは僕だからね。その辺は曖昧さ」


 不安そうな顔つきになった彼を見て、師父は高らかと笑った。


「その名も『侵食』」


「しん……しょく……」


「そう。これは一応魔力の絶対法則に従っているんだ。『矛盾の法則』と言ってね、魔法の行使、または魔力の扱いにおいて命令と意志で食い違いを起こすとそこにできた歪みの影響で、化学反応・・・・を起こせる、つまり劇的な効果を望めると言ったところかな」


 ダグザは難しそうな顔で頷いた。


「じゃあ一度、やって見せるから順を追って説明していくから。まず、『侵食』させたい箇所に魔力を溜める。今回はすぐに元に戻り・・・・たいから右腕だけでやって見せるよ」


 じわじわと滲み出るようにグランノーデルの右腕が魔力に包まれていく。周りの空気が震えていて、魔力の練度の高さをダグザは肌で感じる事ができた。


「次に、魔力に自身の身体を喰らい尽くすように、または命を奪いに来いと命令する」


「え……」


 どういう意味ですかと彼が問う暇もなく、運動競技場内に衝撃波の波が巻き起こる。グランノーデルは痛みに顔を歪め、歯を食いしばっていた。

 先程までの人肌を感じさせる魔力とは違い、無機質な、それでいてどす黒さを兼ね備えている魔力が辺りを包む。

 ダグザは若干の既視感に疑念を抱きながらもその惨状から目を離せずにいた。

 徐々に魔力は集束し、強い光を放つようになりグランノーデルが地面に膝をつく。やがて眩しさのあまり視界を遮らずにはいられなくなった。

 そして、一際大きい破裂音の後、手順は終了した。巻き起こる砂埃の中心に、右腕を抱え込むようにしてうずくまる師父の姿があった。


「大丈夫、何ですか?」


 ダグザは恐る恐る聞いた。


「あぁ。何とかね。ところで、こいつ見覚えない? 君の部屋を襲撃した奴とか……」


 グランノーデルが『侵食』し終わった右腕を掲げて言った。

 その表皮は漆黒に染まっていた。丁度昨日の化物や、ダグザのように。

 筋肉は隆起し、血管はこれでもかというほどに浮き上がっている。明らかに右肩から先が別物となっていた。


「えっと……、あぁ! 確かにそうでした! 何か関係が?」


「それは全身『侵食』の失敗の例だよ。完全に意志を食われた輩だ。詳しい事は後ほど話す機会を作るけど……実はこの魔法は製作段階でね、アズマ様と共同で実験を行っていたんだ。死者が出たからもうやめたんだけどね。でその生き残り、というか失敗例のサンプルが逃げ出して君を襲ったって感じかな」


 グランノーデルは淡々と述べた。その口調や表情からは嘘のかけらも感じられなかった。

 いや、正しくは感じさせなかった。


「それ……本当に僕がやっても大丈夫何ですか?」


 ダグザが青ざめながら聞く。


「恐らく……いや問題ないよ。もし飲み込まれそうになったら僕が止めてあげるから。少々荒療治になるかもだけど……」


「不安しかないんですが……」


 グランノーデルはそれに笑顔を返し、右腕の『侵食』を解いた。

 みるみるうちに彼の腕に血の気が戻っていく様子はいささか滑稽ではあった。


「さあ。と言ってもすぐには難しいだろうから、まずは少し対話・・してごらん」


「え……魔力と、ですか?」


「やった事ない?」


 ダグザは当然という顔で顎を引いた。


「簡単だよ。自分の内側を見るイメージだ。恐らく魔法遣いの素質のある者は、これをすると内側に何かある感覚がするんだったかな」


 彼はそれなら以前に一度試した事があると思い、早速実践する。


(魔力と意志との深い関係性、だったっけ……)


 外側に向いている意識を自分の中へ。

 以前のように昔の自分、兵士になるために鍛えられてきた短いながらも大切な日々が蘇る。そして、異質な日常の思い出が走馬灯の様に始まろうとした時、彼は人の気配に気がついた。

 前回も自分の中に異端の存在がいる事は感じ取れたが、今回は姿形がしっかりしていた。そう、まるで、ダグザ自身の様な姿をした少年が目の前にいるような。


『久しぶり』


 ダグザの顔で、体で、声でかつ彼の意識外で、得体の知れない何かは言葉を発した。


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