第28話 ほとばしれ感覚

 ある更けた夜の日。東の国はかなり久々となる大雨に見舞われていた。

 ざあざあと、部屋の中にいても雨音が聞こえてくる。


「なんでこう……雨ってのはいきなり降り出すことが多いのかね。困っちゃうよな」


 エイバが窓の外を眺めながら、ダグザに話しかけた。


「ああ……」


 彼はそれを上の空で答える。


「そういやグラン先生が屋根裏の雨漏りがひどいって言ってたな。何でも、そこらじゅうから漏れてて一つ止めたらまた一つってキリがないってさ……」


「へぇ……、雨漏り……ねぇ……。雨漏り、水滴…………。それだ! それが良い!」


 ダグザの突然の大声にエイバは困惑する。


「何だよ。何か思いついたのか?」


「なぁエイバ! その雨漏りって不規則・・・なのかな?」


「はぁ? そんな意味がわからないこと言われても……、まぁそうなんじゃないか?」


「うん、うん! よっし! 試してみる価値はある……よな!」


 ダグザは何やら何度も頷いて、大急ぎで部屋を飛び出して行った。


「何だったんだ? ダグザの奴」


 一人取り残されたエイバは首を傾げ、やがてそうすることが無駄なことだと気付き考えることをやめた。







 三階のさらに上、屋根裏ーーと言っても倉庫として使われているためかなりの広さの部屋なのだがーーには何に使うのかよくわからない物が、雑多になって置かれていた。

 部屋の中は暗く、辛うじて小さな窓からの光で辺りが視認できる程度だった。

 エイバの話通り屋根の至る所から雨漏りがしている。ダグザは特に酷かった部屋の中央で寝そべり、目を瞑った。

 顔や身体に水滴が降り注ぐ。彼はその不規則に触れられる箇所に瞬時に魔力を集中、『相反』を行い、水滴を弾き返そうと試みていた。

 水滴が身体に触れた直後では既に間に合わないため、微弱な空気の振動や気配を感じ取りほぼ同時に『相反』を行わなければ上手くいかない、かなり高難度な修行だったが彼は微塵みじんも気付いておらず、偶然の賜物の修行に興奮気味で取り組んでいた。

 ポタッポタッという音のみがしばらく部屋に響く。

 全身から魔力を発することで、素肌に近い感覚を甲冑で味わえるようにしていた。かと言って魔力の伝達までほんの少し遅れが出るため、修行は更に困難なものとなる。


「目を瞑っているから肌に触れてからしかわからない……けど、それじゃ間に合わない……

 いかに普段目に頼ってるか浮き彫りだ。でも……」


 微弱な空気の振動。雨音は必要ない。耳をーーすます。

 この瞬間彼の身体、魔力は急激に変化と進化を繰り返していた。五感を研ぎ澄まそうとすればするほど魔力がそれに作用し、人間の限界を超えた感覚、いわゆる第六感を覚醒させていく。

 目を瞑っていても、見える、わかる。水滴が落ちる場所はーーーー、


「ここだ!」


 水滴が甲冑に触れる寸前、ダグザはその落下地点を中心に波紋のように魔力を集中させた。そうして出来上がった魔力のクッションの上に落ちた水滴は、破砕せず球体を保ったまま甲冑から少し浮いていた。

 この一連の動作は一秒を更に刻んだ世界で行われたものだった。

 感無量の表情を浮かべるダグザ。当然だ。心の底から達成感が湧き上がってきて抑えていられないのだから。しかし、彼にも一つ誤りがある。彼自身が第六感という感覚的なものの目醒めによって成し遂げたと思っているが実際は、彼の新たな魔力の使い方によるものだった。

 水滴を視認出来ない状況下でダグザはいかにして位置を捉えるか考えた時、ふと脳裏に浮かんだのは蝙蝠こうもりだった。

 目は見えなくとも超音波・・・があれば、と。もちろんダグザが自身が成し遂げた偉業に気づいているはずもなかったが。


「雨、強くなってきたな……」


 天窓に降り注ぐ雨の矢を見て、彼は言った。











「エイバ君、いる?」


「グラン先生! どうしたんですか?」


 エイバは突然の来客とノックもせずに入ってきたということに対して驚きつつ、声を上げた。


「よかったぁ。てっきり屋根裏に向かっちゃったかと……雨漏りしてるって言ったけど絶対に近づかないでね! 先生方が処理・・しておくから」


 グランノーデルは普段の、生徒たちに向けるものと同じ口調で言った。


「え……でも先生、ダグザがもう随分前に向かいましたけど……なんか凄い勢いで飛び出して行って……ってどこ行くんですか⁉︎ 先生っ!」


 突然部屋を飛び出して行ったグランノーデルにエイバが大声で叫んだ。

 普段廊下を走っている生徒を注意する側の人間が、猛烈な速さで廊下をかける姿はいささか滑稽だったが彼の表情はそんな和やかな雰囲気ではなかった。


「……間に合ってくれっ!」


 出際に聞こえた一言の意味をエイバはただひたすらに悩むしかなかった。









 ギシッ……。






「物音……?」


 ダグザは誰もいないはずの暗い部屋を見渡した。どうやら木箱がたくさん積んである端の方から音はしたようだ。

 若干の恐怖を感じながらも彼はのっそりと体を起こし、確認しに行く。


「念のため……念のためだ」


 そう自分に言い聞かせ、ゆっくりと木箱に手を掛けた瞬間、胸部を一閃。視界がブレる。

 何者かが彼の意識外から飛び出す。

 重い甲冑が宙を舞う中、彼の脳裏には甲冑への怒りと感謝が浮かんでいた。一つは耳障りな足音により隠密者の一撃を避けられなかったこと。そしてもう一つ、感謝はーー、抉り取られた胸当てが物語っていた。

 このような襲撃は初めてではなかったためか、彼は年不相応な対応をすることができた。


(落ち着け……。まずは相手の確認。初撃では救われたけど、重いのは不利だから……)


 ダグザは素早く振り返りながら甲冑を脱ぎ捨てる。

 グギギッと気色悪い鳴き声なのか唸り声なのか判別出来ないものを発する襲撃者は、警戒するかのように低い姿勢を保ちながら移動していく。


「一体、何者…………な……お前、また……!」


 窓から差し込んだ光がその姿を照らした直後、ダグザは目を見開いた。

 顔のない頭。筋骨隆々な肉体に、飛び出た鉤爪。その全てが飲み込まれそうなほどの漆黒。前回と同一ではないが、紛れもなく同種なのはわかる。

 顔の無い頭に割れ目が走り、パカッと開く。中はザクロのような色で恐らく口なのだろう。

 その口を横へ目一杯開いて、そいつは笑った。


『グギギガギギキ……』


 予備動作はない。しかし、そいつが人外の力で地面を蹴った時ダグザの身体は自身でさえ、驚くべき反射速度で動いた。そして実感する。今までどれ程の力が抑え付けられていたかを。











「んっ……はぁはぁはぁ…………」


 ダグザの安否を確認する為、ただ一人この場で真相を知るグランノーデルが屋根裏に駆け込んだ。そして、上げかけていた声を飲み込む。


(ダグザ……鎧が……じゃあこの部屋に充満した魔力は……君の…………遂にここまで来たのか……いや来てしまったといった方がいいかな。魔法遣いとして目覚めたのなら、君は過酷な道を選んでしまったのかもしれないね)


 静かに、気付かれないように、この短期間で彼が吸収した全て、思いを、グランノーデルはただ座って見届ける。それが最も良いのだろうとわかっていたのだ。












 身体中から魔力が溢れ出てくる。そんな感覚がダグザに訪れていた。気を抜くと気を失いそうになる程の重圧を精神に背負っているようだった。


(状況から察するに……あの甲冑、ただ重いだけじゃなかったってことか……)


 高まる気持ちに相まってか、ダグザは溢れ出る魔力を制御しなかった。それは、手に余る力を操ろうとするより体を任せてしまおうという試みだった。

 漆黒の身体が動く。止まっていると彼の魔力に臆してしまいそうになるからだ。

 猛烈な衝撃が彼を襲う。更にもう一撃。そしてもう一撃。


「ぐぁっ! ガードしててもこれか……!」


 辛うじて両手が無事なのは確実に無意識の内に『相反』を衝撃に合わせて使っていたからだろう。そうでなければ腕が吹き飛んでいるか、禍々しい魔力を打ち込まれて内部から破壊されていたはずだ。

 ダグザは一歩、大股に踏み込み渾身の魔力を込めた『波動』を打ち込もうとするが空を切る。再び攻防が交代。


『グギギッ……!』


 そいつが彼の両腕を掴み、無理やり開かせる。


「……っ!」


 何故か大きく開けられた口から彼の背丈程はあろうかという黒い刃を持つ槍が出現した。

 そいつが何をしようとしているのか、ダグザはもちろん見物していたグランノーデルにすら察する事は容易だった。ただ彼等が想像した結末は異なるものであり、ダグザは僅かながら口角を上げーー、


「ダグザっ! 何やって……」


 グランノーデルは身を乗り出して大声で叫んだ。しかし、間に合うはずもなく、無慈悲にも槍は、放たれた。


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