第25話 遥か遠くを見据えて
一体どれほどの時間が経過しただろうか。
運動競技場の天窓から先程は見えなかった日差しが降り注ぐ。
(既に限界は迎えているはず……まだ……立つのか)
ぜぇぜぇと荒い息も絶え絶えになりながら、それでもまだ立ち上がるダグザに、グランノーデルは賞賛の眼差しを向けていた。
「まあ、立ったところで何もできてないんだけどね」
張りぼてのような彼の体を、流麗な蹴りが襲う。
その流れるような動きと裏腹に威力は絶大で、咄嗟に反応した彼の防御もろとも吹き飛ばしていた。
「んっっっくっ……!」
幾度となく地面に倒された体は土にまみれている。
ガクガクと痙攣する腕。膝は擦り切れて出血していて、他にもあちこちに青あざが目立っている。
それでも、彼の両足は地面を掴んで離さなかった。
体力などはとうに枯れ果てているにもかかわらず、なぜ彼がここまで戦えているのか。それは彼の目の前に対峙しているのが、
もちろん戦っているのはグランノーデルであり、それは紛れもない事実だ。しかし、彼の見据える先には、自身の越えなければならない相手、アピが映っているのだった。
「これまで……かな。この一撃でどのみち最後だろうからね。終わりにしようか」
グランノーデルの脚が力強く地面を蹴り上げる。
強靭な脚力の前では間合いなど毛ほどしか意味をなさないことを、彼は嫌というほどわからされていた。
グランノーデルが言っていたように恐らく次の攻撃を食らえば、もう立つことはできないだろう。彼はこのまま終わるなんてまっぴらだった。思考をフル回転させていく。コンマ何秒という世界の判断。そして彼が導き出した答えはーー、
(ギリギリで避けてすれ違いざまに……一発!)
そう意気込むダグザと裏腹にグランノーデルはしたり顔だった。先ほどから笑みが止まらない原因。
(そうかすれ違いざまね……)
『読心』。
限られた魔法遣いしか知りえない代物であり、故に存在すら不透明な魔法。ランクは4に分類され、習得が困難な上に情報が全くないため、幻の魔法とも称される。
効果はその名の通り、相手の心を読む。正しくは相手の心の中の声を
発動には一度、対象者の体内に魔力を打ち込むことが必須とされる。
(ダグザには悪いけど……弱点は浮き彫りにしておかないとね……)
まっすぐに振り抜かれる拳。失神必至の威力を誇るグランノーデルの殴打がダグザの顔面を捉える、はずだった。
「なっ……! なるほど……! 悪運が強い奴だな」
ダグザの顔は拳の少し下をすり抜けたのだった。
それはとうに限界を迎えていた彼の体が今ついにここで、ガタがきたことを表していた。
飛びかけた意識を必死に取り戻す。
一瞬で状況を把握。ここからは感覚だけに頼る他ならない。
(膝が
ダグザは前のめりになった体を翻し、グリップを握りなおした。このまま重力に身を任せていれば間違いなく転倒し、起き上がっている頃にはチャンスはなくなっているだろう。
一矢報いるなら、今しかないのだ。
空いている左手を地面へ。
瞬時に衝撃波を『生成』し、なんとか転倒は避けた。まだグランノーデルに隙は残っている。しかしあと一歩が踏み出すことができない。
「くそったれっ!」
疲れ果てた足腰に鞭を入れ、彼は倒れこむようにして剣を振り下ろした。
「いい動きだ」
グランノーデルの声がする。だがもう避けられる速度ではない。
(このまま……! 行くっ!)
刀身が無防備なグランノーデルの肩に触れた瞬間、
「ぐあぁぁぁぁぁぁ!」
身の毛もよだつような痛みが彼を失神させたのだった。
グランノーデルは倒れ込んできた彼の体を支え抱きかかえた後、ゆっくりと囁いた。
「上出来だ。君は…………合格だよ」
目を覚ましたダグザがはじめに目にしたのは、天高く昇った日を背に剣を振るグランノーデルの姿だった。
その体の周りには薄い青色の膜が張っていて、常に魔力に気を配っているのがわかる。
「あぁ、起きたかい。少しばかり魔法での処置をとらせてもらったけど……どう? 体の具合は」
ダグザは心なしか軽くなった体を肌で感じ、頷いた。
それを聞いて安心したのかグランノーデルは自身の鍛錬を続行する。
すり足。踏み込むと同時に縦横に剣を振る。
その繊細な太刀筋から彼が
ダグザはその並大抵ではない努力の証に、純粋に感動していた。自分に武術の才があるなどと、少しでも思ったのが恥ずかしくて堪らない。そう思うと自然に彼の口から、
「先生……僕を……強く、して下さい」
グランノーデルは少し驚いた表情を見せたが、最も驚いていたのは無意識に口走ってしまったダグザ自身だった。
先生と呼ばれたその男は、額の汗を拭い、少し照れたようにこう言った。
「僕のことは師父と呼びなさい」
同日の午後、彼らは昼食の後小休憩を挟み、本格的な指導へと移っていった。
「君に言いたいことは正直山ほどある。技術的な面では特にね。だけどその前に君には、強者の大前提となる部分が足りてない。なんだと思う?」
「大前提……? 気持ち……とか」
「残念不正解」
グランノーデルが胸の前で腕を交差した。
「正解は
「からだ……?」
とぼけた顔をするダグザに師父は嘲るように笑った。
「筋骨隆々……とまではいかなくても強者ってのは強靭な肉体あってこそなんだ。根っからの魔法遣いは違うけどね。かと言って単純な筋力トレーニングをやりすぎる必要はない。ましてや、君はまだ齢十三歳。成長途中の身体を潰すつもりは毛頭ないよ」
「ではどんなことをするんですか?」
「まあ聞いてくれたまえよ。僕のとっておきのプランを発表するからね。これから三ヶ月間、君はこれだけやってくれ」
そう言ってグランノーデルは甲冑一式と、一本の大剣を
それを見たダグザが不思議そうな声を上げる。
「『生成』? ……とは違うんですか?」
「……? あ、あぁ、これは『召喚』。あらかじめマーキングしておいた場所から物や人を呼び出せるんだ。まあ、一度にマーキングできる箇所は一箇所なんだけどね。それよりっ! こいつを着て、この大剣をぶん回すのが当分の修行ね」
ダグザは表情一つ変えずに頷いた。彼自身あまり気づいていなかったが、覚悟や意識は既にグランノーデルが理想とすると形まで出来上がっていた。
言われた通り甲冑を身に付けると、想像以上の重さにダグザは悶える。
「寝るとき以外、脱ぐことを禁ずる。いい?」
「はい!」
彼がよろめきながらも頷いた。
続いて大剣に手を伸ばす。荒い布でぐるぐる巻きにされたグリップを力強く握る。が一向に持ち上がる気配がない。
ダグザの顔はみるみるうちに朱に染まり、腕や首の血管が浮き出るほどに力むが結果は変わらない。遂には疲れ果ててグリップから手を離してしまった。
「貸してごらん」
そう言ってグランノーデルは大剣を片手で軽々持ち上げて見せた。そして目を見開くダグザを尻目に説明を始める。
「この大剣は少し特殊でね。とんでもなく重いんだけど、魔力を使うことで簡単に持ち上げられるんだ。どういう原理かというと、魔力と重さを等価交換するんだ。『魔力等価の法則』って言うんだけど……、手順としては、頭の中で天秤をイメージして持ち上げたいものと同じ分量の魔力を送り込むだけだよ」
言い終わると彼は大剣を元あった場所に戻した。
「その大剣は練習用だからやりやすくするために魔力を送ると綱引きみたいに
ダグザは生唾を飲んで、もう一度グリップに手を掛けた。今度は『伝導』の手順で魔力を送り込んでいく。
瞬間、彼は魔力を根こそぎ持って行かれるような錯覚に陥り、慌ててグリップから手を離してしまった。
「ね? 言ったでしょ?」
ダグザは何度も縦に頭を振った。
その後も彼は幾度となく挑んだが、結局大剣は不動のままに終わった。
まだまだ続けたそうにしていたダグザだったが、夕暮れ時なのを見て、グランノーデルが慌てて止めたのだった。
言われた通り、甲冑のまま自室へと向かう。
「ちょちょちょ……! 何?」
ちょうど廊下ですれ違うミランダが大声で叫ぶ。
歩くのに集中している彼はそれに応じる暇がない。
部屋で勉強していたエイバにもその恐怖は襲った。
「おかえりダグザ……っておわっ! 何だよ! ってか誰?」
急いで部屋の隅まで後退するエイバ。
彼は兜だけでも脱ぎ、ルームメイトに顔を見せた。
エイバはダグザの顔を見るなり溜息をつき、少々の愚痴をこぼす。
「いったいどんな修行をしてるんだ? そりゃ?」
ガチャガチャと大きな足音をさせながら歩き、文字通り重い腰を下ろすと、ダグザは待ってましたと言わんばかりの満面の笑みで、語らいを始める。
その表情は疲れを知らなかった。
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